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カントの倫理思想に関する発展史的研究であり、とくに前批判期のカントの思想形成をていねいにたどっている。
本書では、前批判期のカントの思想を前半と後半とに分けている。前半期においてカントは、ライプニッツ=ヴォルフの経験的観念論を克服し、みずからの経験的実在論と調和するような超越論的実在論の構築をめざした。そうした観点から書かれた処女作『活力測定考』では、ライプニッツの「窓のない」モナドを批判して、モナド間の実在的交通を認める主張が展開された。
1762年以降の後半期には、アダム・スミスやハチソンらの道徳感情論への接近が見られる。とはいえ、スミスの「共感」とカントの「共同意志」の間には重要な違いがある。スミスは、私たちの道徳はそれ以上分析できない感情に基づくと考えた。これに対してカントは、私たちは感情によって直接動かされて倫理的行為に及ぶのではないという。彼のいう「共同意志」は、ルソーの「一般意志」の影響の下に形成された概念だ。カントはいわゆる『懸賞論文』の中ですでに「手段の必然」と「目的の必然」を区別していた。そうした発想は「共同意志」の概念にも引き継がれており、義務のために義務をなそうとする「意志の自律」の萌芽をそこに認めることができる。この考えがやがて後の批判倫理学における「コペルニクス的転回」、すなわち、意志が善なる対象に従うのではなく、善なる対象が意志に従うという思想へと発展したのである。
また、後の『人倫の形而上学』で展開される実質的倫理学へつながってゆく思想も、ここには見られる。著者によれば、批判倫理学でカントが掲げる普遍的立法の法則は、「私たちは、私たちの行為の格率が普遍的法則となることを、その格率を通じて同時に意欲できるような、そうした格率に基づいて行為するべきだ」というものだったと解することができる。逆に、この法則に反する格率は、矛盾を含むことなく普遍的法則になることを意欲できない。ということは、この普遍的立法の法則は、私たちが意欲することのできる実質的な道徳を判定するための基準として機能することが期待されるのである。
前批判期のカントの考える「共同意志」は、実質的義務を感情において見いだすための「発見的手段としての道徳的立場の能力」であった。そこに、後の実質的道徳の判定基準として機能するような、普遍的・自律的な意志の考えにつながるような思想を認めることができる。こうした本書の主張は、カントの倫理学を形式主義とする批判に対する反論にもなっている。