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バブルの真っ只中に上梓されたこの本は、高騰する地価に対する危惧に満ち溢れている。それと同時に市場には決して届くことの無い有識者の警笛の意味のなさを感じる。
土地、床の大量供給は適正な需要を量り、その需要に追いつくスピードで行わないと、地価を下げるようには働かないと論じている。そのすぐ後に地価は下がる事となったが、それは床の大量供給が不動産価格をコントロールできたということではなく、単に諸外国からのクレームに日本が応じて不動産取引を規制したからであり、地価の下げ幅は適正などと言えるものではなかった。そして大量の不良債権を生み、その後10年以上続く不景気を生み出した。
現在、バブル期の不良債権を処理するため、容積ボーナスという規制緩和により床の大量供給が行われている。土地価格が下落したことも重なり、都心部では大規模な開発が進んでいる。
バブル期では地価を下げるため、そして現在では不良債権を処理するためという理由で、一貫した規制緩和が行われている。どれほど政権が変わっても、相変わらずの開発一辺倒なのは、日本での所有権が犯してはならない絶対的なものであるという観念があるためで、強い所有権の意識があるため規制側への政策をとることが出来ないから。強い所有権を横目に見ながら土地問題を解決するための唯一の方法が規制緩和路線なのである。
欧米では、開発利益に直接課税する制度を持つ国もあり、開発利益を担保とする再開発の制度もある。これは、土地の所有権と開発権が分けられていることに起因しており、それによって開発をコントロールもしくは制限することが可能となっている。それに比べ、日本では絶対的所有権となっており、土地所有権は絶対に犯してはならない権利であり、かつ使用・収益・処分という土地所有権のすべての領域において自由であるという観念を持つ。
過去日本においても2度ほど開発利益への課税をしようとしたことがあり、都市開発をコントロールしようという試みがあったことが伺える。しかし、いづれも当時の世論や利益団体の反対を受け流れた。所有権の絶対、土地利用の自由は広く日本に行き届いている意識なのである。その国民性が形をもったのが、今の東京の姿だといえる。