紙の本
善と偽善の違い
2001/09/11 14:08
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投稿者:みやぎあや - この投稿者のレビュー一覧を見る
人から見られる「自分」をよくすることにこだわり続けるナルシストの行動は、一見すると善人のそれである。にもかかわらず最終的にその行動が人に対する優しさにならず“ニセモノ”で終わってしまうのはなぜか。それは善人と偽善者ではその言動の根本的なところが違っているからだ、と著者は指摘する。
たとえばナルシストが誰かを助けた時、重要なのは「私が助けた」という事実であり、善意の人が同じ行動を取った場合重要に思うのは「その人が助かった」という事実なのだ。
その違いを、著者はA・カミュの小説『転落』のストーリーを用いて分かりやすく説明している。納得。
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3色ボールペンの本が出た頃に購入。
77/215まで線が引いてある。
学生の頃買ったけど未だに進まない。
興味のある内容なんだが。
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自分を愛さない人間が人を愛せるだろうか。自分を信じない人間が人を信じられるだろうか。家族、友人の港へ向けて大海を漂う小舟である自分。ロンリネスの渕に沈まぬよう真の自己愛が針路を示す。自己自立への道を提示。
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自己愛、あるいはナルシストについて知りたかったのですが、
そういう解説というよりは「よく生きる」ための本でした。
なんだか胸が苦しくて人生に行き詰まってしまうようなとき、
手に取るといいような本だと思います。
そんなつもりで読んでいなかったので、
逆にドキドキさせられる箇所が多く、
自分も人生を振り返る必要がありそうだなどと思いました笑。
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後半は生き方のアドバイスとなっており、タイトルとあまり関連していないようにも感じましたが、全体的には堅くもなく、読みやすかったです。
でもどこか物足りなかったです。
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ナルシストとエゴイストは違う。人を愛するためには自分を愛することが必要であり。そのために自己愛は不可欠。最近の自分のテーマは「自己受容」なので、なかなかにしみいる本でした。ホンタナに感謝。 http://hontana.blogspot.jp/2012/03/2012313.html http://hontana.blogspot.jp/2012/03/2012320.html
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高校時代に一度読んだ本であるが、読み返してみた。
上智大学のバビエル・ガラルダ先生の著書。
人間が「私」という言葉を使い始めた時から必然的に生じ、あらゆる苦しみの原因ともなりうる「自分を愛すること」と「ナルシシズム」について深く考えさせられました。
本書では、「本当は自分しか愛していない」「他人にいいことをするのは自分の評価をあげたいため」「他人の成功を喜べない」というナルシシズムからの脱却の方法が説かれて、
自分が、奥底にある本当の自分に忠実であるということの指南となっています。
感謝の精神と、奥深い自分の良心をみつめることが大切ですね。
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社会:ダイナミックなモラルとスタティックな法律について考える | デジたろうとピアノ http://digitaropiano.luna.ddns.vc/digitaropiano/?p=5496
心理:「ありがとう」と言われる理由がわからない | デジたろうとピアノ http://digitaropiano.luna.ddns.vc/digitaropiano/?p=5481
心理:若い女性に肩を貸しながら凍ってました | デジたろうとピアノ http://digitaropiano.luna.ddns.vc/digitaropiano/?p=5474
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奥深い自分に耳を傾けることが本当の自己愛に繋がる。孤独と向き合いながら港を目指す姿勢を大事にしたい。
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エゴイズムとは何か、どのような人達なのか、その特徴、対策、など興味のある人には良書なのだろうか??
はっきり言ってわたしにはつまらなかった。統計や研究結果もなければ、医学的視点や他の学問分野からの考察や分析もない。ダラダラと一個人の意見を聞いているかんじで、かなり飛ばして読んだ。
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大学時代にこの先生の、まさしくこの本と同じ名前の「自己愛とエゴイズム」という講義をとっていた。
この講義はとても人気があり、私もとても印象に残っていて、卒業して10年以上経つ今もう一度内容をおさらいしたくて本書を読んだ。
授業で習った内容がまとまっていて、とても懐かしく読んだ。今の私にはとても学ぶことが多い。
文中で紹介される映画もどれも気になるので、時間を見つけて観てみたい。
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http://hontana.info/2012/03/13/2012-3-13-%e3%80%8c%e8%87%aa%e5%b7%b1%e6%84%9b%e3%81%a8%e3%82%a8%e3%82%b4%e3%82%a4%e3%82%ba%e3%83%a0%e3%80%8d%e3%83%8f%e3%83%93%e3%82%a8%e3%83%ab%e3%83%bb%e3%82%ac%e3%83%a9%e3%83%ab%e3%83%80/
http://hontana.info/2012/03/20/2012-3-20-%e3%82%b5%e3%83%a9%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%81%a8%e3%82%a8%e3%82%b4%e3%82%a4%e3%82%ba%e3%83%a0%e3%80%80%ef%bd%9e%e3%80%8c%e8%87%aa%e5%b7%b1%e6%84%9b%e3%81%a8%e3%82%a8%e3%82%b4/
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2022/07/28
p.16
ナルシストは滑稽なほどお世辞に弱い。おかげで親友からの尊敬を失うと同時に、ずうずうしい人に軽く騙されるのである。が、彼はそれに気がつかないで、依然として池の鏡で自分の魅力を見つめているのである。自分の魅力だけではなくて、自分の醜い欠点も。とにかく、自分を見つめ続けている。
p.18
「彼女を愛する」というよりも、「私の彼女を愛する」という感じの人である。「私のものである限り、彼女を大説にするけれども、私のものでなくなったら、本当に興味がない」とか、それとも、正直なところ「彼女が不幸になって欲しい」ということを考える人なのである。要するに彼女は池の鏡になってくれて、自分の輝かしい魅力を知らせてくれる手段にすぎなかったのである。
p.21
ある団体が冬の山を歩いているとする。ところが、いつまで経ってもノロノロと進んでいるので、暗くならないうちに目標の山小屋に着けないことが、途中で明らかになってきたとする。食欲もなくなり、水も毛布も懐中電灯もないので、木の間では大変なことになることは目に見えている。それが、実は社会のシンボルなのである。精神障害者、能力が弱い人、貧しいために才能を伸ばす機会を与えられなかった人、差別されている人などは、この例え話では、いわゆる「足の弱い人」にあたるわけである。
そこで、足の速い人選抜して、山小屋まで先に急いでもらい山小屋に着いたらすぐに、おにぎり、缶ジュース、単価に毛布、懐中電灯など持って、急いで残されたの子のところに寄ってもらい、みんなを引っ張って山小屋まで一緒に行くと言う計画をきめたとする。
しかし、恋理に対して、多くの強いナルシストたちはので、この計画は何回も失敗に終わってしまうわけである。山家に着いた、足の速いナルシストたちは、早速ご飯を食べてビールを飲んで寝てしまうので、山の途中に残された仲間をあっさり忘れてしまう。
しかも、さらに悪いことにはその仲間に対して、何もしないと思い、罪悪感を抱かず、山小屋でぐっすりと眠ることであろう。実は「何もしていない」こと自体が許しがたい無責任になるが、残念ながら、鏡で自分を見つめるという多忙を極めるナルシストにとっては、このような事について考える余裕はない。
p.22
ナルシストは、自分自身や、自分が出す話題が中心になっている時には、非常に元気な表情にするが、人が他の話題について話している間は、は時計を見たり、話を無視したりして、座を白けさせるのである。
p.25
友人のお葬式の時、普通の人は、愛しい人を失った悲しみで心がいっぱいになるが、『転落』の主人公が鋭く指摘したように、なぜ人は、むしろ自分自身の美しい空子に対して感動するのである。これだけ天涙子子愛情と優しさを持っていた自分の感動と自分自身に感激する。「今の私の悲しい表情はきっと美しい」と言うようなつまらない自己満足を味わっているにもかかわらず、そのナルシシズムに気づかないで、友人を本当に愛していたと思い込んでいるわけである。
p.46
奥深い自分を見つめること
ナルキソスは自分の表面の姿だけを見つめ��いるので、その反対行為といえば、奥深い自分を見つめることである。
人からよく思われたいという自分になるのではなくて、自分がなりたい人間を見つめるという態度である。愛されたい、認められたいという自分の浅い望みに妥協しないで、愛したい奥深い自分に忠実に生きることである。損得を自分の行いの基準にしないで、奥深い自分が正しいと思っていることと、奥深い自分が本当にしたいことを、迷わずに行うとあつコンスタントな態度を、自分の人生観に入れ込むことができれば、悪いナルシシズムはほとんど関係ない話になるであろう。