投稿元:
レビューを見る
著者の代表作(だと、私は思っている)。
序論から。
「始めに断っておくが、本書はいかなる意味でも、ある特定の宗教や宗派の護教論的プロパガンダではない。第一に、本書の最も枢要な部分を占めるイスラームや、それに劣らず重要な禅仏教さらには老荘思想のいずれにも私は帰依していない。端的にいって本書のすべては筆者である私個人の感性と知的興味だけで出来上がっている。」
第一章で、神秘主義のエクリチュールとしてまず取り上げられるのは、良寛と貞心尼との相聞の歌。
修行、放下、エクスタシス、自己犠牲、……等々、これを読まずして、これらの語を口にすることなどできぬ、とさえ思われる。
私の言葉ではやはりなんとも覚束ないので、帯から引用することをお許しいただきたい。
「思いを寄せる貞心尼にズバリ150キロの剛速球で歌を返した良寛、「知識とは何か」の衝動につかれて旅に出る少年を描くスフラワルディー、人は本当に良いことが何かを考えずにはいられないという真理を小さなセララバアドに託した宮沢賢治など、多彩なエクリチュールを通して神秘主義の本質を極める画期的な書下し。オカルト趣味や超高級形而上学を排し、少数の手から万人のために鮮かに拓かれた叡智の世界。」
もう少しだけ、本文から引用を。
「言い換えるならば、知識を身に着ければ着けるだけ、そのように身に着けられるものの限界を了解し、いつでも脱ぎ捨てられるような状況へと心境の変化が認められる。否、さもなければそれは単なる慢心に他ならない。そのような真理が心に染みて分かることこそ、ほんとうの知識ではなかったか。」
引用ばかりで恐縮なり。
知の、知性の、言葉です。