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今の所、この4巻が一番好き。はらはら、どきどき、ほんわか、色々な気持ちを味わえた。
そして少し泣いた。
2014/8/17
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待っていましたの第四巻。
三巻と同様、本阿弥光悦に誘われ、
美しい世界でしばしの休暇を味わった後、
宿敵吉岡一門との死闘に臨む武蔵。
いよいよ宮本武蔵と言えば!のアレが登場する!
そしてついに読者も待ち望んでいたであろう、
すれ違いを続けてきたお通との再開。
強さを追い求めてきた武蔵だったが、
彼女もまた別の道で強さを追っていた。
一方、彼らと比べると光と影のような又八と朱美。
又八は自業自得だが、朱美は気の毒である。
お通と比べて彼女には何が足りなかったのだろう。
運が悪かったのか。それとも弱かったからなのか。
もしも舞台、もしくは執筆時期が現代だったならば、
武蔵と又八、お通と朱美の運命はどう変わっていたのだろうか。
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積ん読チャレンジ(〜'17/06/11) 15/56
’16/08/19 了
一乗寺下り松における武蔵と吉岡一門との一大決闘に向かってジリジリと物語が収縮していく様が、武蔵同様に読者にも緊張感を与えていて凄く良い。
兄清十郎を凌ぐ実力を有するとされる吉岡伝七郎との果たし合い。
どのような壮絶な戦いになるのかと思えば、その日のうちに申し込まれた果たし合いを遊郭の席を中座して、一撃の下に勝利を収めてくる。
本阿弥光悦、吉野太夫との出会いを通じ、生きる上では張り詰めた気持ちばかりではなく適度に気持ちを緩める瞬間も必要だと気づく武蔵。
下り松での決闘を前にしてお通さんと城太郎と会う決心をしたのも、光悦との出会いがあったからこそだろう。
そしてやっと再会を果たしたお通さんに胸中を吐露し、自分の弱さも曝け出した上で決闘に臨む。
そしていざ戦いに挑む直前に神仏に祈ろうとする自身を省みて初めて、死を受け入れて戦う決意を固めて死地に赴いたつもりでいた自分の中に、生きたいと願う気持ちがあったことに気がつく。
様々な道を経て「生きる」為に剣を振るう彼の姿は、今まで以上に格好良く思えるし、また人間的な魅力を増したように思う。
そして、ここで初めて武蔵の代名詞とも言える二刀流がお披露目される点も見逃せない。
「生きる」という強力な意思の下、無意識に生まれた極意たる二刀流。
それまでの戦い、人生を経験してきた彼だからこそ生み出すことの出来た剣の型だと思うと何とも感慨深いものがある。
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気に入った表現、気になった単語
遊廓(くるわ)に向かう武蔵と光悦の母・妙秀とのやりとり
「「いや、拙者には、美服はかえって似合いませぬ。野に伏しても、どこへまいっても、この袷(あわせ)一枚が、やはり自分らしくて気ままですから」
「それはいけません」
妙秀尼は、変なところで、厳格になって、武蔵をこうたしなめた。
「貴方はそれでよいじゃろが、汚(むさ)い身装(みなり)をしていては、綺羅やかな遊廓(さと)の席に、雑巾が置いてあるように見ゆるではないかの。世事の憂いこと酷(むさ)いこと、すべてを忘れて、一刻でも半夜でも、綺麗事につつまれて、さらりと屈託を捨てて来るのがあの遊廓(さと)でござりまするがの。--そう思うてみれば、わが身の化粧や伊達も、廓景色(さとげしき)の一つ、わが身だけの見栄と思うが間違いであろうが。」」
(P64)
「一瞬、なんともいえない寂寞(じゃくまく)の気が漲った。人のいない天地の静かさよりも、人中の空気にふと湧いた寂寞のほうが不気味な霊魂を含んでいた。」(P131)
「めいめいが、一つずつ杯を持って、好む程度に、それを愛し合っていた。」(P157)
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この巻は、吉岡一門との対決が話のメイン。吉岡一門との決着の前に中々会うことができなかったお通と出会い、本当の気持ちを吐露する武蔵。一時は元許嫁の又八に切り殺されてしまうような描写もあったので、お通が浮かばれないかなと思ったけどその点は良かったかな。次は佐々木小次郎との対決などがメインになっていきそう。続けて読んでいきたいと思う。
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「いまの肚をすえるまでに、さんざん生死の問題に苦労したり、日常の修練だの、侍としての鍛錬だのを積んできて(中略)・・ 女は、そういう鍛錬も苦悩も経ずに、いきなり何らの惑いもなく『あなたが斬り死にあそばしたら、わたくしも生きていないつもりです。』と、涼やかなに言う。」
第4巻の武蔵の心情を表すもの。この後も武蔵の心情から成長を追っていきたい。
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ついに折り返し。
武蔵の物語の一つの山場を迎えているわけだけど、全然記憶に残っていないのさどういうことか
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映画化・ドラマ化・漫画化など、様々なかたちで紹介されてきた大人気歴史小説の第四巻。この巻のメインは吉岡一門との戦いで、終盤にあまりにも有名な「一乗寺の決闘」が出てくる。
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ストイックなだけでは、駄目であると学んだ武蔵。
張り詰めているだけでは、ピンと張った糸は必ずいつかは、切れてしまう。
そうならない為にも、どこかで弛ませないとならない。
飴と鞭は、使いようである。
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吉岡清十郎の弟伝七郎を、雪の舞う蓮華王院、三十三間堂で打ち破った武蔵。
吉野太夫が自らの琵琶を壊し、武蔵に伝えたかったこと。
その中、吉岡一門は武蔵を探し、ついに最終決戦が始まります。
一乗寺下り松で繰り広げられる、吉岡門下の精鋭たちのとの戦いの行方は。
これを短く切って炉に焚べてみると、炎はやわらかいし眼には美しいし、また、瞼にしみる煙もなく、薫々とよい香りさえする。さすがに花の王者といわれるだけあって、枯れ木となって薪にされても、ただの雑木とは、この通り違うところを見ると、質の真価というものは、植物でも人間でも争えないもので、生きている間の花は咲かせても、死してから後まで、この牡丹の薪ぐらいな真価を持っている人間がどれほどありましょうか? ー 159ページ
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「あまりにも、覚悟し切ってしまった、その死に対して、彼の知性はもう間に合いもしない−−死の意義、死の苦痛、死後の先などと、百歳まで生きてみても、解決しそうにないそんな問題に、今さら、焦燥する愚をやめてしまったのかも知れない。」(4巻p.287)
雲の抱くおおきな万象の上から見れば、一匹の蝶の死も一個の人間の死も、なんらの変わりもないほどのものでしかない。けれど人類の持つ天地から観れば、一個の死は、人類全体の生に関わってゆくのだ。人類の永遠な生に対して、よい暗示か、悪い暗示かを地上に描いてゆくことになる。
(よく死のう!)と武蔵はここまで来た。
(いかによく死ぬか?)に彼の最大の最後の目的はあるのだった。(p.352)
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吉岡一門との最後の闘い?だろうが、長い。
途中から決闘当日の話になりながら、先に進まない。
ストーカー女性陣のドラマが長くてやや退屈。
この小説が書かれた時代はこれで良かったのかもしれないが、この女性キャラを読んで、現代の女性はどう思うのだろう?
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4巻は、さらに武蔵の心と技が磨かれていく。
これまで愚直に、強くなることだけを考えて修行を重ねた武蔵だが本阿弥光悦や吉野太夫との出会いの中で、本当の強さとは、心を張り詰めて自身に厳しくあるだけではなく、適度に緩みを持たせるしなやかさを持つことだと悟る。
「生きている間の花は咲かせても、死してから後まで、この牡丹の薪ぐらいな真価を持っている人間がどれほどありましょうか。」(吉野太夫)
物語は吉岡一門との決闘に向かって、徐々に緊迫感を増していく。武蔵は死を受け入れて戦う決意を固めるが、その中に「生きたい」と願う心を知る。
生命を愛するということは、命の終わり方に意義をもたせることだと戦う覚悟を決める。
武蔵が圧倒的に不利な中、「生きる」ために剣を振る、怒涛の決闘のシーンに息を呑む。武蔵の代名詞である二刀流はこの戦いの中で生まれ、実戦の中で育つ技と心こそ本物なんだなと感じた。
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吉岡清十郎の弟である伝七郎が、武蔵に戦いをいどみます。本阿弥光悦のもとに身を寄せていた武蔵は、彼に連れられて茶屋を訪れていた武蔵は、途中で座を抜けて伝七郎と剣を交え、返り討ちにします。
清十郎につづいて伝七郎も敗れたことで、瓦解の危機に陥った吉岡道場では、門弟たちがなんとしても武蔵を討ちとろうと、数を頼んで復讐を計画します。一条寺下り松での決闘を目前にして、武蔵はついにお通と再会し、彼女に剣の道をきわめたいというおのれの決意を示して、二人は別れます。
小次郎の駄弁がめだってあまり魅力的なキャラクターにえがかれていないことがすこし気にかかります。本作では武蔵一人がヒーローという位置づけなのかもしれませんが、このままだと巌流島の決闘で盛りあがりを演出することができるのだろうかと、よけいな心配をしてしまいます。