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『翁童論―子どもと老人の精神誌』(1988年、新曜社)の続編です。文学作品や映画、音楽など、前著以上に多様な領域にわたって、著者の自由な思索が展開されているエッセイ集といった内容で、とくに老いが死に近いところにあることに注目して、われわれの生の日常的なとらえ方をひっくり返すような議論がなされています。
空海の思想から「速度」というテーマをとりだし、身体的な次元におけるイリンクスに一種の宗教性を見ようとする議論は、それなりに興味深いと感じました。ただ、密教に身体性というテーマを見いだすことはたしかに可能だとは思いますが、それを大乗仏教の根本的な思想とみなすことが果たして可能なのだろうかという疑問をいだきました。わたくし自身は、道元の「有時」、およびそれに関連して禅における「頓悟」の時間性に、大乗仏教の中心的な思想を求めたいと考えています。
その意味で、著者が西谷啓治のニーチェ批判に対して反論を試みているのも、わたくしには首肯しがたいもののように感じられます。とりわけ密教を重視する著者の仏教理解には、身体性という次元への固執が見られますが、それを否定するところに大乗仏教の思想的な意義を認めるべきなのではないでしょうか。その意味で著者は、「生の哲学」の枠組みのなかで理解されたかぎりにおけるニーチェの思想の限界を指摘するとともに、大乗仏教の思想によって自己への返照の道筋を示そうとした西谷の宗教哲学の意義を見落としているのではないかという疑念をいだいています。