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エンデ=童話作家 だった私のイメージを打ち壊し、今まで知らなかった世界を開いてくれた作品です。(でも最初は途中で辛くなって読む事ができませんでした…)この合わせ鏡の迷宮に迷い込んだかのような短編の連なりには、ただただ幻惑されるばかりです。
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時々むしょうに読み返したくなる1冊。短編集でいながら、次々にイメージが連なって、最後に最初へ戻るメビウスな小説。なぜだか、消防士とロウソクまみれの聖堂の話がいつでも印象に残っています。
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初めて読んだ時、世界が揺らいでしまうのを感じた。殆ど恐怖に近い感覚だった。大人になって何度も読み返し、一元的でない解釈ができるようになってきて、まるで眠る前に 聖書を読むように、時々思い出しては読み返している。
世界旅行者の話、ホルの話、扉の前の勇者と姫の話、娼婦の女王の話、貴婦人とパレードの話が好きだ。…しかしこうしてみると自分に今何が必要か(何が足りていないか)わかる気もしてくる。
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不思議な手ざわりをした30の短編で綴られる連作。ひとうひとつは繋がっているが、最後まで読み通しても全体像には霞がかったまま。調和すれすれ、ギリギリのところをかすめて鳴り続ける不協和のよう。
決して調和できない、混沌とした、それでいてまるで予定調和の夢を見ているような人々の群像。それ自体が、エンデが感じた社会そのものの暗喩なのかもしれない。語り尽くせないものを語るために定型の文学の枠組みを超越した感じ。すごい。
29篇目の「サーカスが燃えている」に登場する道化が、一番感情移入した。
「問題は目覚めることだ。それが、ただひとつの問題だ」(p.318)
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2004年初読。印象的だったのは、たしか、挿絵をエンデのお父さんが描いていて、その絵と、連作の短編がつながりを持っていたような気がする。絵と物語ってこんなふうにリンクしていくことができるのか、と思ったような…。
難しい話も多かった記憶があるけど…。
また読み直してみたい。
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2014年58冊目。
次の話が前の話の何かを引きずり、最後の放しが最初の話に繋がる、不思議な短編集。
それぞれはとてもシュールレアリスティックで、意味を追い求めようとしたら大変なことになる。
なんとなく、登場人物たちが来ることのない何かを「待っている」ことが多かった気がする。
「この扉を通ったら、そのあと―どこへ?」
「それを決めるのは次のこと」
僕らは、次へ進み続けなければいけない。
時間をおいてもう一度読んでみたい作品。
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中学生のときに読んで、意味不明だと思ったのは覚えていた。いま読み返すとさらに意味不明なように感じる。
これは原文で読んだら面白いのかもしれないな・・・
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今まで読んできた中でいちばん好きな本。
延々と不条理な目覚めの来ない悪夢の中を彷徨う感覚が心地良い。
不気味で救いのない話もあれば不意に爽やかさや美しさを感じる話もあり、イメージの濁流に翻弄されるもよし、自らの鏡とし内なる世界の声を聴くもよし、様々な隠喩と捉え考察するもよし。
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今日はちょっと古いこんな本。
『鏡の中の鏡━迷宮━』 ミヒャエル・エンデ 丘沢静也 訳 (岩波同時代ライブラリー)
奥付を見ると、1992年の第八版だった。
なんと、この時はまだエンデは存命だったんですね。
ミヒャエル・エンデは、『モモ』や『はてしない物語』など、児童文学作家として有名だが、本書はそんなファンタジーの中で描かれる“夢”の、ちょうど裏側を覗いてしまったような、どこか歪んだ夢物語だ。
この作品を、作者自身は「意識の迷宮」と呼んでいるそうだが、潜在意識や深層心理のような精神世界にためらいなく踏み込んでいく、エンデの内的世界がそのまま現れた作品になっている。
30の物語からなる連作短編は、まるで毎日見る夢の断片を繋げたようで、辻褄の合わない理解不能なことだらけだ。
読むのはかなり疲れるが、これがなぜかものすごく後を引く。
鮮烈な残像がいつまでも残る。
もう一度読みたくなる。
内容もだが、挿絵も結構グロテスクだ。
挿絵は、エンデの父で、シュールレアリスム画家のエドガー・エンデの作である。
訳者あとがきによると、『はてしない物語』の執筆中にエンデは、その想像の国に時限爆弾やお金など、“現代”が欠けていることに気付き、その結果、メルヘンからは遠ざかり、父エドガーの描くシュールレアリスムの世界へと近づいていったそうだ。
確かにエドガーの陰気で不気味なこの19点の絵は、児童文学とは最も遠い世界のもののようにも思えるが、この独特の異彩を放ったこれらの絵は、まさに初めにこれありき、と言えるようなキラキラした存在感をもって、この不思議な作品たちをを飾っている。
物語に絵が添えられているというより、絵が物語を語らせている。そんな感じ。
“悪夢”と言ってしまっていいと思うが、どこかこの世のものではないようなおかしな夢がどんどん現れては消えてゆく。
一つ一つは一見無関係のようだが、同じモチーフが何度も出てきたり、同じ人物が再び登場したりする。
はっきりとこれがこう、とは言えないけれど、お互いに少しずつリンクしていて、最後の話と最初の話は明らかに繋がっているのがわかる。
爆弾。箱型大時計(グランドファーザークロック)。蝋燭。
永遠に到着しない道程や、幕が上がらない舞台。
駅カテドラルで火を消せなかった消防士。
勉強中に眠ってしまった大学生。
紙の王冠や401号などもそうかもしれない。
特に印象に残ったのは、蒼ざめた天使の話だ。
名前を持たない人が肉体化を要求している、という裁判の証人席に天使がいて、その前で残酷な光景が繰り広げられるという。
何でそんなことになっているのか、理由は分からない…
もう一つは砂漠の話。
花婿が、すぐそこに見える花嫁が待つ扉に、いくら歩いても到着できない。
人生の終わりが迫り、若さも希望もなくなってしまった頃、やっと到着する。
花婿と花嫁が永遠にそれを繰り返す、というちょっとゾッとする話。
「自分の存在を放棄する権利はあなたにはない」
人生を考えさせられる言葉だ。
二人の登場人物の名前が「ミヒャエル」と「エンデ」という話もあった。
二人が一緒に住める新しい世界を探したい、というのは作者の心理の表れなのか?
完成していない橋を人々が渡っていく話も、“自分は誰でもない”とか、“自分は存在していない”とか禅問答のようだし、とても難しいけれど心のどこかに何かが残る話だった。
ドイツ語が読めたら是非原書で読んでみたいですねぇ。
(英語もできないのに何を言ってるんでしょう 笑)
エンデの奥さんは日本人なのだそうだ。
知らなかった。
日本に縁がある人だったんだ。
経歴を見ると、結構したたかな人だったようだが、ためらわず方向転換したり、自分の心の黒い部分をさらけ出せる素直さも持っている人だったのだと思う。