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この読後感、どこかで味わったことがあるなあと、12編の短編を読み終えるたびに感じていた。
なかなか思いつかなかったのもそのはずで、活字ではなく映像の分野であるタモリの「世にも奇妙な物語」を見終えたときの感じに似ているのだった。
「世にも…」は、テレビドラマ用に書き下ろされたものだろうし、この辻邦夫の短編集はそれとはまったく意図の異なるものである。
この12編は、トーマス・マンやジャン・コクトー、モーパッサンなど世界各国の作家の作品が、辻邦夫の手によってまったく別の作品に作り上げられるという模作(パロディ)である。
もちろんオリジナル作品を知っているにこしたことはないのだろうが、仮に読んだことがなかったとしても、このパロディだけで十分に楽しめる。
「どんな結末が待っているのだろうか」と読み進め、最後のオチを読んだときに「ああっ」と思ってしまう。
「そういうことかあ…」という読後感が、「世にも奇妙な物語」を見終えたときの感覚に近しいのである。
この作品集のあとがきに辻邦夫は自らこう記している。
『…小説を現実界の事実認識や因果律から切りはなし、自在な想像的現実の表現にしたいという意図から生まれています。小説は長い幻想小説の流れを持ちますけれど、十九世紀以来、あまりにも現実の重みに歪められすぎました。書くほうも、読むほうも、小説を<現実の報告>と感じるのが前提にまでなってしまいました。たしかにそれは人間的真実の厳しい内在律を描くことを可能にしました。しかし人間的真実の領域は事実的現実を超えたはるかに広い可能性を含みます。
だからといって、恣意的な幻想のなかでただ酔うだけでは、厳しい内在的な現実を透視することはできません。幻想的な作品が二重に困難なのはそのためです。
私が文章という形式を<水面>のように光らせようと考えたのも、小説を、現実の重みから解放し、自由は想像力に従わせたいと思ったからでした。小説はそのほうがはるかに面白くなりうるからです。
…』
各作品の初出は「海燕」であり、1984年1月号から90年に1月号までに掲載されたもので、おそらく「世にも…」が放映されるよりもかなり前のことになるのではないだろうか。