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表題作と「セランポーレの夜」の二編収録。
いずれも読むのは今度が五回目くらいだが、
飽きない、面白い。
宗教学者の余技と呼ぶには見事過ぎる幻想小説。
大した長さではないが、どちらも情報量が頗る多い。
☆
「ホーニヒベルガー博士の秘密」
語り手〈私〉は東洋文化の研究者で、
著者自身を模したキャラクターと推測される。
〈私〉は1934年の秋、ブカレスト中心部のゼルレンディ家に招かれた。
医師ゼルレンディ博士は
ヨーガの秘法に習熟したヨハン・ホーニヒベルガー博士の
伝記を書こうとしていたが、
頓挫したので引き継いでほしいというのが
ゼルレンディ夫人の依頼だった。
浩瀚な書庫に案内されて資料を漁っていると、
ゼルレンディ夫妻の娘スマランダがやって来て、
母の真の目的は父の行方を探ることだと告げる。
博士は死んだものと見なされているが、
あるとき忽然と家族の前から姿を消し、
生死不明というのが本当のところだ……と。
〈私〉はゼルレンディ博士のサンスクリット語練習帳が、
一般人には読めないようにカムフラージュした日記だと気づき、
そのノートをこっそり自宅に持ち帰って貪り読んだ。
そこに書かれていたのは――。
*
タイトルに冠されたホーニヒベルガー博士は
実はさほど重要ではない。
「ゼルレンディ博士のひみつ日記」(笑)
と呼んだ方が、しっくり来るストーリー。
読み取りにくい手記を好奇心と探究心に駆られて
読み進めるうち、語り手〈私〉もまた知らぬ間に、
本来身を置いていた時空間とは別の場に
辿り着いてしまったらしい。
ひっそり、ひんやりとした秋冬のブカレスト
(解説によれば正確な発音は「ブクレシュティ」)
の空気が、ひたひたと肌に伝わってくるような
端正な語り口が美しくも物悲しい。
☆
「セランポーレの夜」
語り手〈私〉はインドで学ぶルーマニア人学生。
師匠格の東洋学者ボグダノフ、チベット語の研究者ファン・マネンと
親交を深め、ファン・マネンの友人バッジの招きで
カルカッタ近くのセランポーレの西に位置する別荘へ
度々入り浸るようになる。
ある晩、バッジは
近所に現れるはずのないスーレン・ボーズ教授に出くわしたが
無視されたと話すが、
〈私〉が大学で教授にその件を切り出すと、
教授はセランポーレには一度も行ったことはないと答える。
しかし、〈私〉たちは車でセランポーレへ向かう途中、
森に向かって歩く教授を目撃する。
カルカッタへの帰路、道に迷った〈私〉たちは、
女性の鋭い悲鳴と助けを求める叫びを聞いて車を降り、
その方向へ走ったが……。
*
図らずもインドの秘術を操る人物の邪魔をしたために
意趣返しされたと考える〈私〉に、
自身の救いを求めて仕事と家族を擲って
修道院へやって来た医師スワミ・シヴァナンダは
「世界のどんな事件も実在(リ���ル)ではない」と、
〈私〉の解釈を一笑に付す。
人は何一つ実在的(リアル)なものを作り出すのではなく、
仮象の戯れを生み出すだけだ――と。
ヨーガやタントラの知識がないので、
難しいには難しいが、晦渋ではない。
「ホーニヒベルガー博士の秘密」に冷気と湿気を感じるなら、
こちらは匂い。
インドの夜気が孕む、
噎せ返るほど濃密な花や食べ物や、もっと妖しい何ものかの。
それを堪能するだけで充分ではないか、
と自分に言い聞かせて本を閉じた。
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ホーニヒベルガー博士の伝記をゼルレンディ博士から引き継ぐことを夫人から依頼された主人公。しかしヨガを極めようとしていたゼルレンディ博士の不思議な失踪・・・その真相とは。不思議だけど素敵な夢を見ていたような読後感。
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エリアーデの小説には、自伝的な作品が多いらしい。おそらくこれもそうで、東洋の研究をしている主人公のもとに、ホーニヒベルガー(はちみつ山)博士という人の研究をしていたらしい人の奥さんが訪ねてきて、夫の仕事を引き継いでほしいと頼む。主人公は興味をひかれて引き受けるのだが、まあいろいろと面白かった。