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『HHhH (プラハ、1942年)』からの派生。イージー・ヴァイルという作家に、プラハ・オペラ座にあるメンデルスゾーンの銅像を題材にした作品があるという話がちらっと出ていて、少々興味を持った。探してみたのだが、ヴァイルの著作で邦訳があるのは(少なくとも比較的手に入りやすいのは)どうやら本書収録の『星のある生活』だけのようで、とりあえずこちらを読んでみた。
この本は「東欧の文学」全13巻のうちの1冊であり、チェコのレジスタンス文学で代表的なヴァイル、そしてもう1人、ルスティクの作品が収められている。2人とも、チェコで生まれ、チェコ語で作品を書いた、ユダヤ系の作家である。
巻頭に訳者による文学的背景の解説があり、馴染みのない読者への導入にも気を配った構成になっている。
先に、ルスティクの作品について述べる。中編『少女カテジナのための祈り』、短編『闇に影はない』『一口の食べ物』が収められる。
『少女カテジナのための祈り』は映画化もされているという。アメリカ国籍を持つ、裕福なユダヤ人集団がドイツ軍の捕虜となる。一人の貧しいユダヤ人少女が、美しさのゆえに、収容所の一歩手前でこの一行の一人に救い出される。捕虜同士の交換により、ユダヤ系アメリカ人たちは死の淵から救い出されるはずであったが、ことはうまく運ばず、ドイツ軍将校に莫大な預金を奪われた挙句に、悲劇的結末を迎える。その顛末を無垢な少女が射貫くような目で見つめていく。『闇に影はない』は収容所から脱走した少年2人の話、『一口の食べ物』はゲットーで飢餓に苦しみ、瀕死の家族を抱えてもがき苦しむ少年の話である。
いずれも、年若いものの澄んだまなざしが痛い。ルスティク自身も収容所生活を経験し、家族も失っている。切実なまでの生々しい描写は、この背後に、数多くの同じような悲劇があることを感じさせる。
ヴァイルの『星のある生活』は、むしろ、淡々として静かな作品である。プラハの銀行で働いていた孤独なユダヤ系の男が、出自のために職を追われ、墓場で働くことになる。
去っていった人妻の恋人を回想し、野良猫に餌を与えて無聊を託つ。収容所に送られる呼出におびえ、墓で作られる野菜の収穫に喜びを感じる。男は黄色い星を胸につけることを義務づけられている。星のある生活は星に支配される生活である。
スターリン政権下で、発表後、即、禁書になったという作品なのだが、初めの方を読んでいる限りは、それほど「危険」なものとは思えない。戦時下の生活を克明に描いてはいるが、さほど過敏に反応することはないだろう。
だが、終盤、この鬱々と過ごしていた男は、立ち上がるのである。本当にすべてを失ったその瞬間に。
その変貌には息を呑む。
抑圧され、貶められ、蔑まれている男。うつむき、項垂れ、ずっと下を向き続けた男。その男が、ふっと顔を上げる瞬間を描いた、これはそんな話である。
男は銃を取って闘い始めるわけではない。精神の上で立ち上がるのだ。
レジスタンスとは、行動だけではない。自分は一個の人間である。そのことは誰も奪えない。そのことに気付くこともまた、レジスタンスなのだろう。
この物語の中には、「階層」がある。ナチス・ドイツがチェコに侵攻し、チェコを支配する。ドイツ人の下に置かれるチェコ人、そしてそのさらに下に置かれるのが、本書の主人公も属するユダヤ人層である。
だが、作中には「チェコ」や「ナチス」や「ユダヤ」といった単語は数えるほどしか出てこない。それがまた、この作品に不思議な普遍性を与えている。
大なり小なり、世の中に抑圧があるとするならば、それに対して尊厳を失わないとはどういうことなのかを描いた、普遍的な作品とも読めるのだ。
なるほど、抑圧する側としては、これは危険な作品であったのだろう。