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四万十川 第1部 あつよしの夏 みんなのレビュー
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紙の本
少年の夏の「永遠」を切なくも見事に封じ込めた小説。幼少年の繊細なこころをここまで書けるのか。少年を主人公に描いた現代文学の白眉。
2002/07/30 20:23
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投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
小学校に上がった息子と44日間の長い夏休みを過ごすことになった。保育園に預けていたころは、お盆期間以外は連日面倒を見てもらっていたので楽だった。正直この長期戦でストレスに打ち勝てるかどうか自信がない。
というか、私には大いなるプレッシャーがある。少年の日の夏休みは、生涯彼のこころに焼きつくような美しいものでなければいけないと思い込んでいるからである。そのイメージを象徴するのが、井上陽水の「少年時代」の比類なき詩的な歌詞であり、この笹山久三氏の大河小説の1巻め『四万十川 あつよしの夏』である。
どちらも経済的にはまだまだ貧しかった日本、しかし人情にも自然にも感動的な要素が豊かに残っていた時代へのノスタルジーが色濃い。そして、その豊かさに包み込まれながらのびのびと遊ぶ少年たちの陰には、必ず母親がいる。子どものため、夫のため献身的に尽くす母親である。
映画化された『四万十川』では、少年のこころにいつまでも刻み込まれる母親を樋口可南子さんが演じていた。貧しくてもけなげに生きる母親像は、女をあきらめたおばちゃんではいけない。友だちが憧れるような優しい笑顔の持ち主であり、少年にとって永遠の理想の女性でなければならない。
余談ばかりつづくが、私が理想の母親像として思い描くのは、この小説のあつよし(篤義)のかあちゃんであり、アーサー・ランサムの児童文学『ツバメ号とアマゾン号』の母親である。
母親の話題に傾いてしまったが、限られた読書体験のなかで、私はこの小説ほど幼い少年の心情というものを繊細に描き切ったものに出会ったことがない。もちろん私自身が少年であったためしはないから、実際のところは分からないが、少年を書いた多くの児童文学に比しても白眉であると思った。
だから、この作家には児童文学を書いてもらいたいと感じ、かつて編集者として執筆を依頼したことがある。幸いに快諾いただき、リアリズムの人と思っていた笹山氏から思いがけなくもファンタジーの玉稿を預かることができた。
巻末の解説で桐山襲氏が指摘しているが、少年を主人公とする小説といえば(『芽むしり仔撃ち』を別格として)現代文学は既に2つの名作をもっている。小林信彦『冬の神話』と永山則夫『木橋』であるが、それらが輪郭の定かな意識をもちつつある「少年」の年代であることを考えれば、「幼少年」を主人公とした本書は非凡であるというのだ。
この本は2部構成になっている。はじめの「くろい子猫」は子だくさんの母猫のために間引きされそうになった子猫を少年が救う話であり、いまひとつの「うばが谷の大蛇」は
<はないちもんめ>でもらわれずにいじめられる女の子を少年が救う話である。間引きと<はないちもんめ>は少年の内部でオーバーラップしている。ある意味、少年時代を描く素材としては、捨て猫やいじめられる女の子を救う正義感に満ちた話は常套的とも言えよう。しかし、主人公あつよしの小さな行動、短いセリフのひとつひとつに込められた「ふるえる魂」に胸が熱くなる。
紙幅が尽きてしまった。本当は、本文からいろいろ引用しようと思って書き始めたのに…。私はリラックスして楽しむ小説では線を引きながら読むことはしない。しかし、この本にはずいぶん線を引いてある。自然描写も美しいが、「少年」や生の厳しさと喜びを哲学した記述がまた、ずーんずーんと胸に響いてくるのだ。
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