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名著の誉れ高い、白川静先生の『孔子伝』読了。中国思想史に明るくない私には、なかなか高いハードルだった。本書の刊行は1972年。古書店で入手した手元の初版の中公文庫版でさえ1991年の刊行である。ルビもさほど入っておらず、かなり硬質な文章はやや読みづらい感もある。
ただ、その内容は非常に芳醇だった。
第一章では、聖人としての孔子ではなく、歴史的事実に基づき、人間としての孔子の姿を明らかにする。孔子は40歳半ば以前の行状があまりよく分かっていない。白川先生は、様々な史料を基に、おそらく卑賤の出で、巫女の庶生子ではないかと推定する。そして、政治家としては大成しなかった彼の革命家としての側面を示す。この辺り、本書を下敷きとした酒見賢一の小説『陋巷に在り』(傑作です!)も読んでおきたい。
儒教の批判者と題された四章も面白い。その中で特に頁を割かれるのは墨子である。また荘子についても白川先生は高く評価される。一方で、孟子、荀子には、スポークスマンとしての才は認めつつも、辛い評価をされているようだ。
『論語』の成立過程に関する論考も深い。孔子の言語録のような『論語』の作りからは、孔子と弟子の関係が伺い知れる。特に子路と顔回とのやり取りは、2500年後の今も心を打つ。
本書は、中国の文革、日本の大学紛争と時を同じくして執筆された。白川先生の頭には、現実社会にあって孔子ならどうするかということがあったという。だからなのか、本書の孔子像は力強い。
子曰く、述べて作らず、信じて古を好む。本書を読むと、伝統の樹立者としての孔子が浮かび上がる。釈迦やキリストとは、明らかに異なる存在である。
どうでもいいことだが、孟子と斉の宣王とのやり取りの解説の段で、“今の政治家なら「仮定の問いには答えられない」というところであろう”という文章を見て笑ってしまった。白川先生、50年後の今でも、政治家はその言葉を連発しています。