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恐怖の博物誌 人間を駆り立てるマイナスの想像力 みんなのレビュー
- イーフー・トゥアン (著), 金 利光 (訳)
- 税込価格:3,190円(29pt)
- 出版社:工作舎
- 発行年月:1991.3
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2011/09/13 02:20
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心を打った文章を抜き書きます。今皆が当たり前のように恐れている物は、時代の制約を受けている事がはっきり分かる本です。
第16章 恐怖、過去と現在
現代の豊かな西洋社会に住む人でさえ、恐怖に取り囲まれて生きているものは少なくない。新聞は毎日のように強盗や殺人を報じているし、大都市の中心部と言う危険な環境に暮らす老人たちは外出もままならず、家で囚人さながらの生活を送っている。高い教育を受けた若い人なら常に肉体的な暴力の危険を恐れながら生きているとはいえまいが、彼らの生活にも漠然とした恐怖が影を落としている。自分の将来だけでなく人類の未来も心配する彼らには、「状況は次第に悪くなっている」という焦燥感があるようだ。進む大都市の荒廃、自然環境破壊の危機的な状況、人間間の軋轢、世界的な飢餓、悲惨な核戦争など、人類の未来は悪いことばかりのように思えてくる。
-恐怖が人間関係を緊密にする
こうした恐怖に脅かされる今の時代の人々は、昔はもっといい世界-少なくとも今よりずっと安全な世界-があった、いや、今でもどこか遠くにひっそりとそういう世界があるはずだ、と強く考えるようになる。極端な場合、衛生設備のような現代が達成した成果をわざわざ貶め、昔いたるところに苦痛があったがそれに耐える能力もあったなどと過去の時代の恐ろしささえも賛美しようとする。ジョン・ウェインは、最近書いたサミュエル・ジョンソンの伝記の中で、十八世紀の風景の端正さに憧れを示し、それに比べ現代のイギリスの風景は醜悪で汚れており、あまりに俗化されていると述べた。だがそのウェインですら、かつての美しい世界に不調和があったことを認めざるをえなかった。それは病気にかかり、醜い姿をさらすおびただしい数の人間や動物の存在だ。今日、多くのヒューマニストたちが、現代の町から死の形跡が消えてしまったことを嘆いている。かつての家々の間に見られたあの絵のように美しい墓地はどこへ行った、死者を思い出す現実的で健全なよすがとなる墓はどこへ行った、というわけだ。だが彼らは、かつての古いヨーロッパの村の中心に墓地があったのは、死者が生活の中心舞台に位置を占めていたからだということを都合よく忘れている。
昔の人間が感じた恐怖は、その種類、程度、頻度において現代人が感じる恐怖といったい違いがあるのだろうか?この問いは大変な難問だ。恐怖を感じるかどうかは客観状況だけ決まるわけではなく、受け止める側にもよるからだ。絞首台やさらし台のある風景は誰が見ても恐怖の風景といえる。さらし台の目的は疑いもなく人々の恐怖心をあおり立てることにあり、実際、夜道を行く人々はそのかたわらを通らずに行こうとしたものだ。だがヨーロッパの大部分の都市や田舎では、こういう薄気味悪い装置が風景の一部としてごく普通に受け入れられており、池や風車などと同じように道案内の目印として使われていた。十五世紀には「パリ市民は市郊外のモンフォーコンへ行き、処刑者の死体がぶら下がるさらし台の下で酒を飲み浮かれ騒ぐのが好きだった」と歴史学者のリン・ホワイトが書いている。なんともぞっとする話だし、そんな��所で浮かれ騒ぐ彼らの気持ちも理解できないが、こういう野蛮さの実例はたやすく増えてゆくものだ。西洋の歴史に倫理の進歩はなかったのかと疑問を抱くものはこう問うてみるといい-今日われわれが当然のこととして受け入れているもので、先祖の倫理観を逆なでするものはなんだろう、と。狭くみすぼらしい養老院?長期の懲役刑?スラム街?テレビが流す暴力番組?もちろんそんなものに驚きはすまい。ただしその規模にはおそらく当惑を禁じ得ないだろうが。
現在われわれが善だと信じていることも、昔は恐怖が混じったものだったかもしれない。この事は、昔と今の恐怖を比較する上で混乱を生じさせる原因になりかねない。たとえばわれわれは神聖さを失っていく自然をしばしば嘆く。昔は森にも山にも小川にも精霊が住むとされ、それらはあがめられ、恐れられることさえあった。たとえば古代ギリシャの風景には、自然神や死んだ英雄の霊を祀る神殿がいたる所にあったことはすでに見た。それらが風景から失われていくのは、われわれには損失だと感じられる。自然界から力を奪い去った結果、それは畏怖の対象からただ単に楽しいものになってしまった。われわれは土地の守護神が戻ってくれたらいいのにと願う。だが、戻ってくるのは守護神だけだろうか?悪霊や幽霊がいっしょに戻ることはないのか?キリスト教伝統においては、天使の存在を信じる気持ちは常にサタンという邪悪な力の存在を信じる気持ちと対を成す。鮮やかな過去の風景には明るい陽光だけでなく暗い影もさしていたはずだ。
過去と現在の恐怖を比較する上で混乱を招き得るもうひとつの要因は、共同体の理想にまつわるきわめてアンビバレントな性質を理解しそこなうことである。われわれはしばしば現代社会の人間的絆の弱さを嘆き、かつての家庭や近隣、村や町に存在した(と感じている)人間関係の緊密さに恋焦がれる。昔も今も緊密な人間関係を編み上げる要因は恐怖の存在であることを忘れているのだ。それが自然の猛威であれ、敵対する人間であれ、環境から脅威を取り除けば共同体内部の結びつきは大体弱まるものだ。一例としてフランスのマコン地方における家族の絆を見てみよう。歴史学者のジョルジュ・ルビーは、九世紀ごろ、この地方における家族の規模はその最小単位である夫婦に縮小されていたと書いている。身を守ったり、攻撃したりという必要が少なかったため、血縁上の結びつきは非常にゆるやかなものだった。「フランク王国の治安能力はまだ強力で、自由民は独立した生活を営むことができたし、自分が望めば血縁者との結びつきより友人や近隣の人々との結びつきを大事にすることもできた。
だが、十一世紀にはいると王国の解体が進み、人々は安全を確保するためにより緊密な排他的集団を形成せざるを得なくなる。貴族や騎士は家系や血縁によりどころを求め、農民は村落内における社会的結束を強めることで安全をはかろうとした。都市という規模で考えた場合、中世後期のイタリアの町がどれほど硬く結束した一族によって構成されていたかはすでに見た。中世ローマやフィレンツェの各縄張り内には、きわめて忠実な人のつながりがあったのは間違いない。だが、その結びつきは必要と恐怖が生み出したものである。また民族国家の規模で考えても、外敵による脅威がある場合に、市民は強烈な国民意識を感じ、国家的目標を意識することはよく知られている。このように、家族から民族国家にいたるまで、その結束力の固さは恐怖のあるなしで決まると言える。情熱が冷え、共同体内の人間関係が希薄になる-個人的な友情は別だが-ことは、さまざまな意味でより安全になった世界に住むわれわれが払うべき代償であるらしい。現代になって自然の脅威をおそれる気持ちが世界のあらゆる地域で大幅に薄れたとはいえるだろう。かつて「荒野(ウィルダネス)」は人間の支配を超越した猛威の象徴であったのに、今は人間の保護と世話が必要な弱々しい生態系に変わり果てた。生い茂る雑草におびえる人間の姿など、われわれには想像すら難しい。だが原始農民にとって、わずかばかり耕地にまるで悪意を持って侵入するかのような雑草は、脅威以外の何物でもなかった。現代では野生動物は保護されている。もちろん、国立公園で無警戒な訪問客に熊が危害を加えるなどと言う事件もまれには起こるだろう。そんな時われわれは子供時代に聞かされた物語を思い出し、お話の中の危険が現実にも起こることがあるのを知る。
嵐や洪水は今でも大きな被害を与えはするが、発展した西洋諸国では死者はほとんど出ない。だから、普段から対策を怠るなと口をすっぱくして注意するが、人々はなかなか実行しない。今では自然災害の恐怖と言っても本当に恐ろしいのは大地震ぐらいのものだろう。大地が激しくゆれると、安全の絶対的な拠りどころが奪われたような気分になるからだ。それでも大地震はめったに起こらない。カリフォルニア州の住民の多くは活断層の上に暮らしているが、大地の変動よりも経済の変動をより恐れているだろう。西洋社会の知識階級が自然に対していだく恐れはきわめて逆説的だ。彼らは人間の破壊行為により、動植物のみならず川や湖さえも姿を消してしまうのではと恐れているのである。自然の脅威にでなく、その脆さに絶えず不安を感じているというわけだ。
人間が成し遂げた大事業には、いつも不安の影がつきまとうらしい。創造は神々だけに許された権利である。人間にその権利を侵された神々は嫉妬に怒り狂うのではないか?人間は自然を犠牲にその大事業を成し遂げたのではないか?だとすれば、次は自然からの復讐を受けるのではないか?都市の建設も大事業のひとつである。都市という人口の世界を作り上げるには自然を犠牲にせざるを得ない。古代の都市建設には必ず不安と罪の意識が伴った。中国殷王朝(紀元前およそ1500年)の首都を考えてみよう。それは生者のための都市であり、また死者のための都市でもあった。死者とは大建築の下に埋められた人身御供のことだ。大きな建物の柱一本一本に人身御供がささげられた。建物が天に向かってそびえ立つたびに、大地の霊を宥めなければならなかったのだ。古代ヘブライ人も、野望を抱くのは恐れ多いことだと考えていたらしい。創世記には、ノアの子孫がシナルの地に町を建て自力で天に届こうとしたが、神はその試みを許されなかったと記されている。神はその者たちを全地に散らしたばかりか、互いに理解できない言葉をしゃべらせた。大勢のものが集まり、奢りたかぶった大きな社会を作らせないためである。
成功すれば慢心し、慢���すれば必ず天罰が下る。現代が成し遂げた科学技術上の成功も、この古い信念を消し去ることはできなかった。自然に根を下ろしていた人間が自然から遠ざかるたびに、必ず不安を感じる人々がいた。一八一六年にガス灯が生まれ、初めて人間が「夜を征服した」時、ケルン市のある新聞がガス灯は神と自然の摂理を犯すものだとして、次のように書いた。「人口の照明は、この世界を創造したもうた神の意思に背くものだ。神は夜が暗いものだと定められた」。このような疑問や不安は産業革命の初期から何度も出されてきたが、神への冒涜を恐れる気持ちが今ほど強烈で今ほど浸透した時代はまずないだろう。科学技術の発達は数々あるが、最大の危険は原子力エネルギーの開発である。それは天に届こうとした人類の最も新しい驚くべき試み、太陽のみに許された現象を人間が作った脆い容器の中で再現しようとする試みなのだ。人類はついに地球と自分たちの種を滅ぼし得る制御不能な力を解き放ってしまったのかもしれない。
すでに見てきたように、古くからある恐怖のもうひとつは他の人間-とりわけ見知らぬ人間-に対する恐怖である。これも自然に対する恐怖と同様、現代では少なくとも相手国と戦争状態にでもないかぎり、ほとんど消滅したと言っていい。他の人間を恐れなくなった原因の一つは、人間をかたくなに「われわれ」と「彼ら」に分けていた昔の発想が、今ではより柔軟になったことだろう。「われわれ」と「彼ら」の違いを強調したがる多くの原始的伝統社会とは対照的に、現代社会では両者の違いをできるだけ無視しようとする。「われわれ」は必ずしも親密で固定的な集団ではなくなったし、「彼ら」も永久に外のものというわけではない。ともかく社会を機能させるには、男であれ女であれ、現代人はさまざまな組織とも関わらなければならないし、見知らぬ人々の援助も受けなければならない。その上、近隣とのつながりや家族間の結びつきが弱まり、裏切りの恐怖も少なくなった。魔女や幽霊を恐れる気持ちは、緊密な人間関係の中でこそ起こりやすい。人間同士のつながりがゆるい社会では親族といえど干渉しあう気持ちは弱く、呪術を用いて相手の不幸をたくらむとか、死後も恨みを忘れないなどということは起こりにくくなるものだ。
社会が複合的で平和な時代だとすればなおのこと、たとえ自分たちと違う言葉をしゃべる見知らぬ人間であれ、寛容と善意のまなざしで見られるものだ。とはいえ、-心の奥深くにではあるが-外部の人間を敵とみなし下等な人間と見下したい誘惑は常にあり、状況が切迫すると、妬み、嫌悪、恐怖などの強烈な感情が人種間のわずかな文化的・生物学的相違をたやすく誇張し歪め始めるものだ。その結果、自分と相手を善と悪、天使と悪魔の両極端に色分けしてしまう。こうして見知らぬ人間は敵に変わり、彼らを殺し、その家を破壊しても良心の呵責を感じることがない。普段は心の中だけで考えていることを、ひとたび状況が変わると多くの者がいともたやすく実行に移してしまう。こうして世界は無残な戦争、征服、虐殺による荒廃を経験するのである。
-人間にとっての究極の慰めと力
皆殺しを目論む意思は、繰り返し実行に移されてきた。たとえば古代メソポタミアでは、戦争に勝つと敵の��を完全に破壊した。町を護る神々さえも追い払ってしまうのだ。紀元四世紀、中国北部を征服した遊牧民は、漢民族が営々と築き上げてきた耕地を不毛の牧草地に一変させた。長安はじめ古くからの都市が焼き払われて住民が追い出されただけでなく、耕地そのものも休閑地となり農民は土地を捨てた。かつては渭河流域の肥沃な盆地に栄えた長安周辺に、虎や狼が徘徊した。長安に残ったものは野獣を恐れ、遊牧民の族長フー・シェンに嘆願した。だが、彼は冷ややかに笑って言い放った。「虎や狼が満腹すれば、百姓を食うこともなくなるだろう」。また現代は核戦争の危機に直面している。超大国間に戦争が起これば、人類は破滅しかねない。人類が過去に犯した過ちを考えるとき、核戦争への恐怖はさらに増幅される。人類が新たに獲得した皆殺し兵器の根っこには、敵対する相手を絶滅しようとする根深い意思と、人間を「自分」と「他人」の二つに分けたがる抑えがたい欲望があることをわれわれは知っているのだ。
文明の発祥以来、多くの戦争が何度となく都市を破壊し民族を殺してきた。だが、われわれはそういう出来事を例外とみなし、戦争と戦争の間には眠くなるほど静かな時代が延々と続き、十年一日がごとき生活が続いたと考える。それに比べ、現代は実に不安定だ。物理的環境も社会・文化的価値観も、常に変動しているように見える。土地への愛着にしろ人間関係にしろ、永続するという感覚がもてない。今の世界は昔より不安定で、思いもかけない危険に満ちていると感じる理由はいったいなんだろう。十九世紀の中国農民は伝統的な世界に生きていた。「伝統的」とは「型にはまった」と言う意味である。つまり、おだやかで予測できることの繰り返し、ということだ。だが、彼らほど不安定な暮らしを送った人間も少ないだろう。自然の大災害や内乱もなしに、彼らの安穏な暮らしが五年続いたことが果たしてあっただろうか。
歴史家の中には、十七世紀のイギリスでは、人々は現代人のように先行きの不安や軋轢に苦しむこともなく、環境に順応し生活に満足していたと力説するものもいるだろう。だが牧師件農民であったジョスリンの日誌から判断するかぎり、これほど事実とかけ離れた説もないだろう。ジョスリンの生活は不安定で不安に満ち、彼の日誌には不慮の事故や苦しみや死についての記事が毎日のように続く。暮らしていけるだけの収入があるにもかかわらず、自分の家族の心配をせずにはいられない事情が彼にはあった。彼の世界はじつに不安定であった。天候次第では作物はだめになるし、火事で子供が焼死する危険もあったろう。彼にしろ一夜で乞食にならぬとも限らない。保険制度などもちろんない。医療も未発達で、指にとげが刺さっただけの怪我から壊疽になり、苦しみながら死ぬこともあったろう。
たとえ物理的な環境は不安定でも、少なくとも昔は人間関係が永続的で、その固い岩盤の上に確固とした満足すべき生活が築けたはずだと考えるかもしれない。だが、それも一種の神話にすぎない。彼らには、死によって簡単に断ち切られてしまう人との絆は少しも頼りにできなかった。すでに見たように、十八世紀以前のヨーロッパでは、親は幼い我が子にさほど愛情を示さないことが多かった。幼児死亡率が極めて高く、いつ死ぬかもわからぬ子供に手間暇かけてどうなる,という訳だ。事故や病気を切り抜け、何とか子供時代を無事に過ぎても、老齢まで生きられるものはほとんどいなかった。だから老人はたいへんな尊敬を集めたものだ。結婚そのものは神聖で永遠のものとされたが、ではその永遠とはどのようなものだったろう?十八世紀のフランスでは、二十代後半に結婚した夫婦はせいぜい五年か十年も結婚生活が続けばいいと考えられた。それも理由のないことではない。どちらかが先に死んでしまうのだ。男はすぐに再婚するが、女の場合は男より遅くなる。このようにして死別するケースが非常に多く、離婚などはほとんど必要なかったほどだ。(E.ショーター「近代家族の形成」昭和堂)
現代は急速に変化しているという受け止め方も幻想の産物だ。昔より今のほうが変化の度合いがはなはだしいと感じる理由は二つ考えられる。まず第一に、われわれは空間的・時間的に隔たった人々の生活よりも、自分自身の生活に不安定さを見出しやすいものだ。空間的あるいは時間的に隔たっているだけで、彼らの生活が安定していたと言う幻想にとらわれてしまう。もうひとつは、現代至上主義とでもいうべきもの、つまり、現代こそ活力と進歩の時代であり、過去の社会はいつも同じことが繰り返されるだけで、本当に新しいことなどなにも起こりはしなかったという考え方があることだ。過去に類例を見ないほどの技術革新がここ数十年に数多く起こった、とほとんどの人が信じている。たとえば1920年生まれの人は、テレビ、コンピュータ技術、原子力、宇宙飛行などが実現するのを目の当たりにしてきた。それは事実である。だが、1860年生まれで1920年に死んだ人も、電話、電灯、自動車、飛行機、ラジオ、映画の出現を目にしているのだ。1800年から1860年まで生きた人で、しかも家に引っ込みがちで保守的な人であれば、鉄道、汽船、電報、ガス灯、それに工場で生産される衣服や家庭用品の出現を苦々しい目で眺めたことだろう。現代に比べれば、十九世紀後半の科学技術の進歩は確かにゆっくりしたものではあったろう。だが当時の人々にすれば、それは目もくらむほどの急速な発展に思えたはずだ。
社会面での発展について言えば、ここ二、三十年の間にアメリカ合衆国では喜ぶ(あるいは悲しむ)べき目覚しい変化が起きた。だが、それはジャクソン大統領の時代(1829~37)の変化より果たして大きかったろうか?人口が急増し、社会が激変したあの騒然たる状況では、さすがの理想主義者の中にさえ昔の「固定した」社会秩序を多少の憧れを込めて眺める者が出たほどである。われわれの「時間的近視症」を修正するためには、過ぎ去った時代の文献を読む必要があるだろう。それらを読めば、当時の人々が社会・経済上の、さらには科学技術上の変化にどれほど苦しんだかがよくわかるはずだ。
人間の精神は諸刃の剣である。それはわれわれに大きく秩序だった、美しい世界を与えてくれもするが、同時に混沌や邪悪や死のイメージも見せてくれる。現代人が感じる恐怖の多くは古くから在るものだ。たとえば夜に街中で強盗に襲われるなどというのがそれである。が、もちろん新しく、知識が広がり警戒心が高まった結果生じたものもある。たとえば人口の「爆発」、世界的な食糧危機、豊かな国と貧しい国との紛��、科学技術の発展が招く悲惨な事故などだ。人類は常に食糧不足と飢餓に悩まされてきた。だが、飢餓は常に現代の問題であり、「ここ」あるいは「そこ」という限られた地域の問題であった。
今、われわれが恐れるのは、将来、世界的規模で起こり得る破滅的な食糧危機である。昔と異なるのは、それが地球的規模の危機であり未来の時制である点だ。自分や子供たちの未来は、暮らしにくく食料も不充分な時代になるだろうとまでは恐れていないものの、世界の先行きを心配する教育ある市民がますます増えている。支配者側の人間や金持ちは常に貧しい者を恐れてきた。この問題もまた規模と時制の点で変化した。一六一一年、パリ市民は乞食の群れが市の城門に押し寄せる光景を見て恐怖に駆られたが、現在は、いつの日か飢えて怒り狂った第三世界の国民がパリ(あるいは発展した西洋諸国)に押し寄せる光景を想像して不安に襲われるのだ。個人のレベルで考えた場合、因習にとらわれない批判的な精神を持つ人々は、男であれ女であれ、かつては慰めを与えてくれた数多くの信条を捨てている。人間は脆い存在であり、この世の命など運次第だ。病気より事故こそ「死を思え(メメント・モーリ)」だ、とアイリス・マードックは言う。事故は命のはかなさを思い知らせるものだ。われわれが慣れ親しんだ生活や命さえもが、まったく予測もできない恐ろしい偶然でいつ断ち切られてしまうかわからない。私が口笛を吹きながら歩道を歩いていたとする。そこへ窓辺の植木鉢が落ちてきて私の頭にあたり、私が死んだり植物人間になってしまうことが起こり得る。人間は昔からこういう偶然に気づいており、それから身を護るさまざまなおまじないを考え出してきた。ウサギの足から占星術にいたるこのおまじないの数々は、極めて巧妙な着想から生じたものでもあり、同時に人間の弱さが哀れなほどににじみ出ていると言える。おまじないなど何の救いにもならぬと考えるものは、一定の割合で必ず事故が起こる不安の中で生きるしかない。周知のように、ほとんどの人間は何かの慰めで包んでやらない限り死と直面することができない。われわれは優れた認識能力のもたらす報酬が絶望の可能性であることをよく知っている。だが人間とはじつに皮肉な存在である。作り話などで慰めて欲しくないという覚悟すら慰めと力を生み出してもくれるのだから。
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