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久しぶりに深く引き込まれた本。
10数年村上春樹をなぜか敬遠していたのだけれど、「さすが」、「うまい」と思わされるところが随処に。
寮で同室だった《突撃隊》のその後が最後まで気になったのだが……。
脇役使いもアッパレ。
ブクロクに検索・登録時にオマージュ本の多いことに、彼の影響力の大きさを温めて認識。読んでみたい本もある。
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(上)からの流れで読みました。
客観的にみているようで、実はそうでない主人公。
最後の進み方は怒涛の流れでした。
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最後が好きです。
救われないのかもしないと思わせられ、
また、始まるような不思議な感覚になります。
大人になってもう一度読みたい本のひとつ。
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読始:2010.06.23
読了:2010.06.24
下は上に比べさらっと読める
上のが話に変化?起伏?があるが、下はそれらが収束に向かいなだらかに進む
私が読んだ村上作品の中ではかなり読みやすいし、やはり村上春樹好き
登場人物のほとんどが村上春樹的な喋り方・または話す内容www
個人的にはこういう言い回しや表現が好きだからいいが、単にくどい・屁理屈・高飛車・淫乱…などと片付けられてしまったり、嫌厭されるのもわからなくない
途中幾箇所かもよかったが、ラストがよかった。
なんだろう…ものすごく感動するとか心動かされるような類の小説ではないが、読後も内にひしひし?しんしんと残るものがありまた読み返したくなる
どこか切なく、どこかすっきりした読後のこの感じは嫌味な感じしない
時間をかけてすーっと体にしみこむのを待てば、より好きになる作品
読んで即感動し、即熱が冷めるよな作品ではなくいつまでもずーっとじ~んと熱を持ち続けるそんな作品
本筋とは関係ないが、俺の考え方って村上春樹作品に出てくる登場人物の考え方に似ていることがままある
これは決してほめられたことじゃないし、望ましいことじゃない場合が世の中では多いんだろうが…
本作では主人公達はもちろん、永沢さんの台詞にもしばしば私の考え方と近いものがでてきたww
村上作品に出てくる考え方・価値観は一見綺麗ごと・理想論・非現実的と言われがちだが、そういう人には、はなからそんな考え方はナンセンスだと拒絶してるフシがあるように感じる。
実際そういう考え方で生きている人はいるだろうし(私を含め)、それが世間から完全に浮いた存在ともいいきれない(完全に悪い存在とは言い切れない)と思う
なら、その考え方が存在するということは受け入れてもいいのではないか?それになんの不都合もない
毎回そんな風な感想をいだくし、今作もそんな風に感じた。
以下本文から気に入った箇所を引用しつつ、もう少しだけ解説をば。
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/////////////以下引用文。ネタバレ含む//////////////
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p.6
「私たちがまともな点は」とレイコさんは言った。「自分たちがまともじゃないってわかっていることよね」
p.52
「男の人って女の子のことを考えながらあれやるわけ?」
「まあそうだろうね」と僕は言った。「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えならがマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいは女の子のことを考えてやるんじゃないかな」
「スエズ運河?」
「たとえば、だよ」
p.56
僕は朝食を食べていなかったので新宿駅で乗りかえるときに駅のスタンドで薄いサンドイッチを買って食べ、新聞のインクを煮たよう��味のするコーヒーを飲んだ。
p.92
でも結局その翌週の日曜日、僕は病院へ行かなかった。緑の父親が金曜日の朝に亡くなってしまったからだ。
p.102
「世の中というのは原理的に不公平なものなんだよ。それは俺のせいじゃない。はじめからそうなっているんだ。俺はハツミをだましたことなんか一度もない。そういう意味では俺はひどい人間だから、それが嫌なら別れろってちゃんと言ってる」
p.102
「あなたは人生に対して恐怖を感じるということはないんですか?」と僕は訊いてみた。
「あのね、俺はそれほど馬鹿じゃないよ」と永沢さんは言った。「もちろん人生に対して恐怖を感じることはある。そんなのあたり前じゃないか。ただ、俺はそういうのを前提条件としては認めない。自分の力を百パーセント発揮してやれるところまでやる。欲しいものはとるし、欲しくないものはとらない。そうやって生きていく。駄目だったら駄目になったところでまた考える。不公平な社会というのは逆に考えれば能力を発揮できる社会でもある」
p.103
僕はあきれて永沢さんの顔を眺めた。「僕の目から見れば世の中の人々はずいぶんあくせくと身を粉にして働いているような印象を受けるんでが、僕の見方は間違っているんでしょうか?」
「あれは努力じゃなくてただの労働だ」と永沢さんは簡単に言った。「俺の言う努力というのはそういうのじゃない。努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ」
p.116
「君にはどうもよくわかっていないようだけれど、人が誰かを理解するのはしかるべき時期がきたからであって、その誰かが相手に理解してほしいと望んだからではない」
「じゃあ私が誰かにきちんと私を理解してほしいと望むのは間違ったことなの?たとえばあなたに?」
「いや、べつに間違っていないよ」と永沢さんは答えた。「まともな人間はそれを恋と呼ぶ。もし君が俺を理解したいと思うならね。俺のシステムは他の人間の行き方のシステムとはずいぶん違うんだよ」
p.170
「自分に同情するな」と彼は言った。「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
p.196
「なんとなくわかるだろ、女の子ってさ」と彼は言った。「二十歳とか二十一になると急にいろんなことを具体的に考え始めるだ。すごく現実的になりはじめるんだ。するとね、これまですごく可愛いと思えていたところが月並みでうっとうしく見えてくるんだよ。僕に会うとね、だいたいあのあとでだけどさ、大学でてからどうするのって訊くんだ」
p.226
その場所では死とは生をしめくくる決定的な要因ではなかった。そこでは死とは生を構成する多くの要因のうちのひとつでしかなかった。
p.226
キズキが死んだとき、僕はその死からひとつのことを学んだ。そしてそれを諦観として身につけた。あるいは身につけたように思った。それはこういうことだった。
「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」
たしかにそれは真実であった。我々は生きることによって同時に死を育んでいるのだ。しかしそれは我々が学ばねばならない真理の一部でしかなかった。直子の死���僕に教えたのはこういうことだった。どのような真理をもってしても愛するものをなくした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その悲しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そして学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。
p.262
それからやがて緑が口を開いた。「あなた、今どこにいるの?」と彼女は静かな声で言った。
僕は今どこにいるのだ?
僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりとみまわしてみた。≪僕は今どこにいるのだ≫?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。僕はどこでもない場所の真ん中から緑を呼び続けていた。
登場人物
ワタナベ君(主人公)
直子()
レイコさん(石田玲子)
緑(小林緑)
永沢さん
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久しぶりに読んだけど、いろいろ考えさせられるというか、答えを見つけたというか。やはりこの作品は、今読んでもいい作品だなぁと思う。
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ひどく混沌とした作品だった、それが読み終った直後に思った感想。
ワタナベ君は最後のワンシーン、「今僕はどこにいるのだ?」と自らに問う。
彼はどこかネジの外れた人々に干渉し感覚され、生きていく。
キヅキ君は彼に生と死の意味を染み込ませ、直子は彼にとってのかけがえの無いモノとなり、緑は愛となった。
でもだ。
そんな一見波乱万丈に見える出来事が激流の様に過ぎ去ったとしても、それは世界からしてみたら対した遜色のないものだった。
そして彼は今どこにいるのか?
自殺は死を印象付け、性行為は愛を著していた。
僕は永沢さんとハツミさんの関係がこの作品の中で一番好きでした。
何年が後にもう一度読み返したい作品です。
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読み終わって味わったのは、深い喪失感と孤独感と、途方に暮れるような気持ち。
でもいつまで経っても心の中に残ってしまう。
これは映像化してはならない作品だった。
村上春樹の文章だからこそ表現できた世界であり、物語。
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再読。5回目くらい?
他の村上作品と同様、数年のインターバルをおいて必ず読みたくなります。
1969年、東京の大学に通う僕は、電車の中で、ある日偶然、高校時代の親友キズキの恋人、直子と再会する。
彼女と会うのはキズキが自殺し、その直後に会って以来のことだった。
キズキの死によって僕は、死というものは生の対極にあるのではなく、生の中にひそんでいることを知った――。
初めて読んだ時、学生だった私は、同年代の主人公たちと自分とを比べて、「なんて自分は適当に生きているんだろう」と、それこそ、穴があったら入りたいような気持ちになったものです。
それと同時に、自分を取り巻くオトナの社会というものが、真摯に生きようとすればするほどうまくいかないものなんだ、ということも薄々感じ始めていたので、読みながら心がキリキリと痛みました。
そのときの気持ちは、今でもありありと、消し去りがたい感触として覚えています。
そして、年を重ねながら人生の節々で読むたびに、心を占めていくのは、キリキリとした痛みよりも、圧倒的な哀しみ。
誰かを想い、誰かを失い、何かを求め、何かを失いながら、それでも生きていくということの哀しみ。
人のぬくもりや優しさやささやかな喜びもまた哀しい、ということ。
なんだかこう書いていると、暗くて悲しくて辛いお話のようですが、(まあ、実際そうなんだけど)、「それでも生きていく」という部分に、強く静かに励まされる小説。
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久しぶりにこんな気持ちになった
鼻の奥がツンとして、今やっと保たれているこの絶妙なバランスが崩れたら、図書館の真ん中で泣き出してしまいそう
上下巻
傑作でした
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何度も読んだ本の一つ。
村上春樹の作品の中でも異質で煌く作品だと思う。
本人の感情が入り込んでる感じと、
作品として仕上げるための葛藤も感じる。
12月に映画化されるってことで再読してみたけど、
やっぱりこれ、映画は観れないな。観たいけど。
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読後感も悪くなく、小説と一緒に何かを感じられたような気がして、やさしい気持ちになれた。自分が二十歳のときは、どんなだったろう? と、なつかしい気持ちもした。
小説中に登場するビートルズ他の楽曲も、場になじんで、しっくりする。
時代を反映しているのも、共感を得る背景にあるのだろう。
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2010/11/06
ワタナベ君,キズキ,直子,緑,レイコさん.
12月に映画公開.楽しみだ.
それにしても,暗い.そして訳が分からない終わり.
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友人を亡くし、自分と周りの世界とのギャップに苦しむ主人公と、姉と恋人を亡くし、自己表現に苦しむヒロイン等の心の葛藤を描く作品。下巻。
この作品を読む前は、何となく
「村上春樹って、チャラチャラした作品を書いてそう」
と思ってたんですが、その評価は完全に誤まっていたことを思い知る。
圧倒的な精神描写。
60年代~70年代特有の、現実感と無常観が入り乱れた時代背景。
人付き合いが苦手で不器用な人々のもどかしさ。
自殺と正面から向き合わざるおえなかった混沌とした感情を、ひしひしと感じることができる表現力。
ノーベル文学賞の有力候補と謳われる、「村上春樹」を十分堪能できた作品でした。
・・・以下、ちょっとネタバレですが。
永沢さんの恋人であったハツミさん。
この作品の世界観からすると、自殺させる必要は無かったんじゃないかなあ、と感じました。
あと、永沢さんの別れの言葉「自分に同情するな。」
なかなかの名台詞です。
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ラスト1ページがどうしようもない
ひとつの章が終わり、また新たな章が本を閉じたあと
続いていくのかと思っていたのに
足場が崩れ去ったのにはどうしようもない。
共感し決壊して涙がでたのかと思ったけど
すぐに頭の中に?が浮かんだ。わからないわけではないのに
足場が崩れさる情景がイメージとして焼き付き
一瞬の嗚咽だった。
また読もう。きっと
もし、どこからか流れてきて
このレビューを読むはめになった人にこれでは申し訳ないので
勝手にテーマ曲だと思っている曲をおいておきます
Imperium Dekadenz - Waiting
http://youtu.be/fvm9UOOjwXs
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人生を自分のやり方にひっぱりこもうとするから、苦しいのだろうか。生きて行くには、人生のやり方を学ばなければいけないというレイコさんの言葉にずきんとする。