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誰しもを釘付けにした氷点がいよいよラストを迎えます。北海道の風景や個々の人物が見えてくる感じが心地よいです。納得の終幕。
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四月、陽子は北大の学生となった。かつて父、啓造や実父中川が学んだと言いうキャンパスで、陽子は一人の青年に話しかけられた。「あなたは僕の母にそっくりです」──彼こそが三井恵子の息子で自分にとっては”弟”であることを直感した陽子の胸は騒いだ。困惑と喜びのまじった複雑な陽子の心境も知らず、彼、達也はぐんぐん陽子に接近してくる。その一方で、徹と北原、札幌で知り合った順子との交流も深まり、四人は支笏湖に遊んだ。その後にきた順子からの頼りは、陽子を衝撃で打ちのめした──。愛憎交錯するなかで、悩み、成長してゆく陽子の姿を通して、”罪のゆるし”とは何かを世に問う、感動の巨編、ついに完結!
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初めて時間を忘れて読んだ作品。4冊もあるのに全然苦痛にならないばかりか、いつまでも読んでいたいようなそんな気持ちにさせられる。私は陽子を一途に想う徹に本気で惚れました。
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「氷点」の続編。
作者がキリスト教徒なので、背景に宗教色を感じられます。
その分、深い。
「原罪」や「赦す」ことについて考えさせられる一冊。
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この本4冊を読んで私は子供が産まれたら「綾子」って付けたいって思えるほど、三浦綾子さんの作家としての手腕と人間性にお手上げでした。人間の原罪とは何か、最後の最後に少し分かった気がした。人間の真の生き方に迫る作品。
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自殺を謀った陽子は生還したのちは人と接するのが怖くなってしまう。自分は人を恨まないと言っていた陽子も自分を捨てた母親を同じような境遇の子が可哀想だと許せることも出来ない。
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ゆるしとは何か、をつきつめたらきっとこうなったんだろうなあ。達也くんの子供っぽさには私もちょっとむっときました。
少し読みづらいかな…?
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人は誰しも罪を背負って生きている。それはその通りだと思わされる。何を持って他人を赦すのか。何をもって自分を赦すのか。生きるという事は罪である。続氷点の下巻ではすべての事実が明らかにされ、その真実を偽ってきた嘘をどう赦すかが問われている。非常に深い観点で、考えさせられる。個人的には何事も繊細になりすぎては駄目だなと思う。高木さんや辰子さんのキャラがいい。考えうることは考えきる必要があるが、結局はものごとはシンプルだと思う。その考えに戻ってくると、単純に考えた方が楽で、結局それが周りにも自分にもいい解決法なのではないだろうか。繊細に考えすぎ、そして思いつめてしまうと、自分を責めなくてはいけないし、はたまた他人を傷つけてしまうかもしれない。それでは不幸が不幸を呼ぶだけだ。しかし、赦すというのはなんとも難しく、しかし、必要なことなのだろうか。
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「生きているだけで罪になる。」
「持って生まれた罪がある。」
夏江のわがまま、啓造の復讐、トオルの愛情、北原の存在、陽子の出生。
どれか一つ欠けてもだめだった。
全てが運命だったんだと思う。
心が弱くて、いつも何かのせいにしてきた私は「この人がいなかったら」って思ったりした。
その後そんな風に思ってしまった自分にぞっとするのだけど。
依存体質な私は、「この人がいなかったら」と、何度も思ってきた。
いつも、誰かに助けられてる。
ある人が存在しているだけで誰かを傷つけてしまう。
ある人が存在しているだけで誰かを幸せにする。
今までも誰かに心傷つけられたことがある。(それ以上に誰かを傷つけてきたのだろうけど)
でも、今の私は傷なんて忘れて大きな声で、あっけらかんと笑う事ができる。
誰かのおかげで。
人間の世界は残酷で、だけどもとっても優しい。
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「氷点」のテーマは人間の原罪、「続氷点」は罪の赦しであると言われているが、続氷点になって、キリストの宗教色が色濃く出てくる。
罪の赦し・・神。クリスチャンでない私には、納得のいかない部分があるが、最後まで”生きる”って事を考えさせられる作品。
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すさまじい話でした。…ここまで読み終えるのに長かった…!
不義の子として生まれた己の罪。親の罪。
登場人物が一人ひとり虚しさや、葛藤を抱えながら生きていく。
その中にはあまり一般的にいい人でない者もいる。
そんな登場人物達が織り成す、ストーリー。
故人である三浦綾子さん独特のキリスト教視点も織り交ぜて、非常に濃い内容でした。
またいつか、再読したい。
親父にも勧めよう。
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人は人を許すことができるのか。
『氷点』に続いて更なる難題とぶつかる登場人物達。
あちらこちらで聖書の言葉が登場し、そこはさすが
クリスチャン三浦綾子さん。
でも、何も知識ない私でも、原罪とキリスト教は切っても
切れない関係にあると薄々感じた。
個人的には、最後、北原君との結婚を決めた陽子を疎ましくも
思ったけど、徹と関係を持つことは、近親相姦の匂いがして
嫌だったし、そこまでいくともうザ・ドラマになってしまうので
いいところで収まってジエンドでよかったかも。
姦通罪を犯した女を、石で打って殺すという聖書の場面で、
イエスが「あなたがたの中で、罪のない者が、まずこの女に石を
投げるがよい」と言って結局誰もすることができなかったという
話が出てきた。
これはとても興味を持った。
三浦さんの『道ありき』も何故か我が家にあるのでそれを
同時並行に読んでいたところ。
そんじょそこらの自叙伝とはレベルが違い面白い。
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続編は、許すということがテーマだそうです。
人が人を裁くということは、神の座に着こうとする、傲慢なことだという、宗教的な色が濃くなってきます。やっぱり着地点はそこなんだな…っていうのはこの作者さんの作品では当然の結果なので、別に良いんですけど。
「塩狩峠」でも思ったのですが、宗教に目覚める瞬間が唐突に思えてなりません。
たとえば、啓造が命を落としかけた事故をきっかけに改宗したならまだわかるんです。
でも、景色を見たとか、街頭で見知らぬ宣教師が演説してたのを聞いたとかでたちまち信じることが出来るものなんでしょうか。
それともヘレン・ケラーが言葉を理解したときのように、それまで積み重ねがあり、コップの水があふれるように小さなきっかけで開眼したのでしょうか(開眼とは、ヘレン・ケラーの引き合いにはまずい言葉ですが)。
こればかりは真剣な信仰を持たない私にはわからないです。
それと、やっぱり宗教にでも頼らないことには、人が人を許すってことは難しいんでしょうか…そう思うと、信仰を持たない自分としてはあまり気が晴れるラストとは言えませんでしたが、だからこそ考えなければいけないテーマだとも思いました。
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「汝の敵を愛せよ」を実行するために、自分の娘を殺した犯人の娘を養女にして育てる…。考えただけで気分が悪くなるような状況だと思う。
そして、何も知らずに犯人の娘を我が子のように愛し育てさせられてきたことに気づいた妻の、その後の陽子に対する恨みと仕打ちの何て陰湿で暗いこと。
一番近くにいて、表面上は仲のよい家族を演じているのに、それぞれ秘密と不信感と疑いと恨みを隠し持っているのが恐ろしい。
最後の展開は全く予想外で、面白かったです。
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2006年のドラマを見てからいつかは読もうと思っていた作品。
人間の罪深い一面をありありと見せつけられる。
この時代の言葉遣いはきれいだ。今ではありえない若者の潔癖さも、なんだか見習うべきかもしれないのかと。
見本林はいいところだった。