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ミシェル城館の人 自然理性運命 みんなのレビュー
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紙の本
ミシェルエセーの書き出しに迷う
2004/01/16 13:32
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投稿者:ガブリ - この投稿者のレビュー一覧を見る
前巻はミシェルの前半生のくぎりとしてボルドーの法官職を辞し城館に隠棲しようとしたところで終わった。
この「ミシェル 城館の人 自然 理性 運命」はいよいよわれわれのミシェルの「エセー」の出版である。
1571年、38歳で隠棲したミシェルが1580年に「エセー」を出版するまでの約10年間を語る。
この影法師(堀田氏)はミシェルの隠棲した城館を仔細に検分し16世紀の領主の生活までわれわれに見せてくれる。
中世から抜けきれていないこの時代、領主の居場所は館の調理場の大テーブルであり、調理用の暖炉の前から家政や領民の采配をしているのが当然であった。なのにミシェルはひんぴんに塔に姿をくらませ、プライヴェートなどない時代に独りの時間を確保しようとする。この領主に家族も領民もうろんな目をむけていたようだ。
かといってミシェルは人嫌いであったわけではなく、社交好きな人であった。
モラリストの祖なのだが人生の快楽にはローマ人的に寛容であった。
この暗く陰惨な時代にあってミシェルの魂がかくも人間的で自由でいられたのは彼がラテン語で、すなわちローマ人として育てられたからだと影法師はいうのである。
ミシェルの「エセー」の書き始めは少々さまよい気味だったようだ。書くべきテーマは何であるか? それをいかに書くか?
影法師はそのさまよいを細かに観察し読者に語ってくれる。
<私は万事談話風に語る。何一つ意見(あるいは論説)風には述べない。>
ミシェルの言葉として有名な<私は何を知るか?(Que sais-je?)>を影法師は中間点としている。{自分は何を知っているかと疑うことは知識のための武器となりうる。しかし、新しい言葉は見出された瞬間また疑いを超えるものでなければ新しい言葉とはいえない。}
2巻目の自然 理性 運命はミシェルの精神の軌跡を語っている。
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