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(2006.06.17読了)(2001.06.11購入)
長崎県島原市の雲仙普賢岳で大火砕流が発生し43人の報道陣や学者が死亡したのは、1991年6月3日のことです。今から15年前です。新聞で、15周年の記事を見たので、この機会に読んでしまうことにしました。
報道陣の中でも、カメラマンが最前線で、シャッターチャンスを狙って待機していたわけで、まさか自分のところまで来るとは思っていないし、火砕流というものの実体も知らなかったわけです。先日ポンペイ展を見ましたが、ポンペイの人たちも、雲仙普賢岳の火砕流みたいなものでやられてしまったのだろうと思いました。
この本は、報道と安全ということについて考えています。報道は、多くの人が知りたいことについて、取材し、知らしめることですが、取材場所は、絶対安全とは限らないし、かといって安全を期すあまり、自衛隊に取材してもらい横並びの報道でいいわけでもありません。
火砕流に巻き込まれて多くの人が命を落とすまでは、警察の警告は無視して、危険地帯に入って取材していた報道陣が、多くの人が死亡した後は、安全地帯にとどまり、警察の警告を無視して、危険地帯に入り込んで取材した者を見つけると、非難の矛先を向けるという状態でした。報道とはこれでいいのかということを、著者は訴えています。
●雲仙・普賢岳の活動(9頁)
1990年11月17日、198年の眠りから覚めた雲仙・普賢岳。一時はわずかに噴煙を上げるだけで終息するかに思われたのだが、翌年二月から活発に活動を始めた。五月下旬に顔を覗かせた溶岩ドームは日に日に成長。
●1991年6月3日の犠牲者(16頁)
犠牲者43人の内訳は、地元の消防団12名、住民6名、警察官2名、火山学者3名、報道機関にチャーターされたタクシー運転手4名、それにカメラマンなど報道関係者16名。
●遺体の状況(62頁)
「体の水分が瞬間的に蒸発したようで、顔はのっぺらぼうみたいで、人相の判断はつきません。内臓の水分が、体の穴から出たような跡もありました。」
「熱風で亡くなった方の遺体は、蒸し焼きというか、表現は悪いですが、スルメをもっと乾燥させたような感じです。体の水分が瞬間的に蒸発したような感じです。」
「ほとんどマネキン人形のような感じ。黒っぽい茶色に焼けていました。」
●取材される側に(67頁)
最初に遺体が確認された土谷(写真週刊誌「フォーカス」の契約で取材していたフリーカメラマン)の葬儀には、テレビ局や女性週刊誌などの取材申込みが集中した。「フォーカス」編集長の後藤章夫は、土谷の妻月美に尋ねた。「断りましょうか」
月美は、取材を受けると後藤に答えた。「主人も生前は取材する側で苦労しておりましたから・・・」
●5月26日の火砕流(70頁)
「ファインダーを覗いていると、被写体が自分に向かってくるんですよ。カメラマンって、そういう時にカメラを外して逃げるなんていう事は普通思いつかないですよね。被写体に魅入られちゃうみたいな状態。一種のカメラマンの本能でしょうか。」
●警告(172頁)
6月2日には、島原警察署の熊本正三署長が市災対策本部に記者を集め、報道の前線を筒野バス停まで下げるよう要請している。
記者「それは強制力のある命令ですか」
警察「いえ、あくまでお願いです」
記者「じゃあ、取材できるんだ」
筒野バス停付近で、島原署が検問を行い、上木場地区に行こうとする車に警告を発していた。
●火砕流の知識(178頁)
有名な火砕流の例としては、1902年、西インド諸島のモンプレーで起きたものがある。2万8千人が死亡し、一つの町が全滅。
「まさか、人間を焼き尽くすような熱い空気が襲ってくるとは、思っていませんでした。」
現場に出ていた人たちは、火山活動の恐ろしさ、特に火砕流についての知識はほとんど持ち合わせていなかった
●その後の報道(206頁)
その後、普賢岳周辺の取材は、自衛隊が頼りとなった。広報担当者が撮影した写真やビデオを各社に提供し、午後四時の定例記者会見でその日の状況を発表するのが恒例となった。
●警戒区域に入り取材し、島原署から呼び出しを受けた鎌田慧の意見書(213頁)
私たちの先輩は、ベトナム戦争をはじめとして、あらゆる戦争、災害、事件に身を挺して報道してきた。犠牲者も数多く出している。それでもなお、報道することに身命を賭けてきたのは、それこそ報道者の任務であり、報道の権利であり、かつまたそれが知らせるという行為によって公共の利益に合致すると信じていたからであった。いうまでもなく、報道の自由と知る権利は、国民の基本的権利である。それは決して誰からも制限されるべきものではなく、自己規制すべきものではない。
☆関連図書
「大災害!」鎌田慧著、岩波書店、1995.04.26
「イラクからの報告」江川紹子・森住卓著、小学館文庫、2003.03.01
著者 江川 紹子
1958年 東京生まれ
早稲田大学政治経済学部卒業
神奈川新聞社入社、社会部記者
1983年 フリーランスジャーナリスト
1995年 一連のオウム真理教報道で菊池寛賞受賞
(「BOOK」データベースより)amazon
雲仙普賢岳でなにが起きたのか。大自然に呑み込まれたカメラマンたちの生と死。そして大惨事のあとに…。