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ジュリエット物語又は悪徳の栄え みんなのレビュー
- マルキ・ド・サド (著), 佐藤 晴夫 (訳)
- 税込価格:10,560円(96pt)
- 出版社:未知谷
- 発売日:1992/01/01
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紙の本
生きることは不自然なことなのか
2006/10/15 02:00
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:suguzr - この投稿者のレビュー一覧を見る
この宇宙では死がデフォルトだ。生き物の量と岩の量、どちらが多いだろうか?
私達は本来、あるべきではない存在なのだ。
この宇宙では形あるものは皆崩れ、いつかは全てが塵芥となる。その中で、生物だけが形を創ることができる。但し、一つの形を創るためにそれ以上の材料、燃料、他の命を消費する。それは、宇宙全体から見れば不自然な行為だ。
生きることは不自然なことだ。
しかし人はその事実を認めない。認めてしまえば、生きている意味など無くなってしまう。人は、自らの存在の根底を揺るがすその事実を扉の向こうに封印した。
それが、「悪」と呼ばれるものだ。
善悪など相対的なものでしかないという意見もある。しかし、人は全て生きている。そこには一つ、確実な土台がある。
赤信号でも止まらない、といきがる少年のプライドは、「赤信号では止まらなくてはならない」と言う共通認識の上に成り立っている。隔絶された空間で交通を全く見たことなく育った者にはその反骨の意向は伝わる筈もない。本当の「悪」が存在するならそれとは言葉が通じる筈も無く、”悪を行使するため、悪以外のあらゆる媒介物を必要としないようになってほしい”なる台詞を書いておきながらもこの書物を世に著し社会と関わらねばならなかった{サド}もまた人間に過ぎない。
悪は人を惹き付ける。なぜならそれがこの宇宙を隙間なく満たす真実だからだ。なぜ生物として、苦痛を抱えながら真実に抗って進まねばならないのか。造物主なるものがあるとすれば、なぜそれはわたしを物言わぬ岩として生んでくれなかったのか。気を抜くとすぐに腐ってしまうこの肉を纏い、毎日必死で面倒なメンテナンスをこなしながら、やがては岩に還らねばならないという絶対矛盾を抱えて私達は生きている。
悪とは……
生に対する死。
”わしなら パンドラの匣になりたいね。わしの体内から飛び出したあらゆる災いが、各個に全人類を撃滅するようにな”
山は崩れやがて平らになる。人は死にやがて土となる。文明は疲弊し生物相は入れ替わる。そして星はやがて輝きを止める。なぜならそれが自然なことだからだ。立っているより座っている方が楽に決まっている。
差別に対する無差別。
”われわれの行為はすべてそれ自体においては無差別で、善でも悪でもない。たまたま人間が善とか悪とかいう区別を設けたとしても、それはもっぱら人間が採用した法律によるものか、(中略)自然という面からのみ観察するならば、われわれの行為はすべて完全に同等なものでしかない。”
悪の前では全ては等しく価値がない。悪の前では人ごみは自動人形の群れに過ぎず、夜の街に輝く無数の灯の一つ一つに違った人生があると言うことなど認められようはずもない。_
制限に対する無制限。
”穢らわしい神さまの畜生め! お前の真似をして、悪いことをしようと思っているのに、わしの力を制限するとは怪しからん”
人間は無限から箍を嵌められている。無限の混沌に数限りない標識を立て、自らの世界を限定し、そこから逸脱するものを法の名の下に処刑する。箍によって形作られたそれは世界とわたしとを、善と悪とを秩序の名の下に差別する。しかし同時に、人は、制限速度を超えることを好むのだ。
善悪の彼岸に立ち、そこを眺め渡せば、そこもまた悪に満ちている。善はこの宇宙において、ありえない存在なのだ。ゆえに悪はなくならない。それでも、悪に満ちたこの宇宙に抵抗しようとする、私達のちっぽけな力が善と呼ばれるものであり、その力を行使できるのは私達だけなのだ。善もまた、人が生きている限りなくなることはない。
積書生活
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