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1993年刊。著者は下関市立大学経済学部助教授。
NIES諸国の一として80年代以降、顕著な経済発展を遂げたシンガポール。
しかし、人口僅か300万人なのに、多言語国家。華人中心のシンガポールとは民族構成の異なるマレーシア・インドネシアなどの地域大国に囲まれつつ、地政学的に有利な位置を活用できる交易・商業国家でなく、製造業の拡大で発展を実現した。
そこに何か特別な理由はあるか。本書はこれを読み解こうとする書である。
ここで見えてくるのは、「超管理」というより「過剰管理」。つまり非共産主義なのに、独裁国家以外の何物でもない自由の抑圧だ。
その中でも報道機関の活動と報道内容の禁圧が顕著。勿論、反対勢力は共産党のみならず、政権交代すらしそうもない弱小勢力・個人への逮捕・拘禁(治安維持法と訳語付けした著者の見立てが振るっている)。
一方で、高学歴者への多産奨励・支援と、低学歴者への避妊推奨という政策を真顔で実行している様に流石にドン引きする。
その上で、エリート教育を推進するため、10歳での進路の基本的固定化。エリート路線流入にあたっての語学力の偏頗的重視政策(バイリンガルではなくトリリンガルまで要求。なお結局は90年代までは英語化の推進に帰着)。
そして、この点での極めつけは、とある政府関係者の非公式ではあるが、「人的資源だけのシンガポールにおいては、大器晩成型はいらない」と言い切る様だ。
この尊厳も何もない抑圧された社会の有り方は、毎年人口の0.3%の海外脱出者の存在を生んでいる。しかもそれは、所謂エリート層(大卒グループ)が多くを占めているのが現実である。
ところが、この対応策は儒教精神の流布。これは女性、特に大卒女性(国が多産を奨励している人々)の総スカンを食い…。
何とも言い難い国家像を見せられた気分である。