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著者は「存在と時間」を読みたくて東北大学の哲学科に進んで以来、半世紀以上ハイデガーを読み続け研究を重ね続け斯界の泰斗と目されてきたけれど、その割にまとまったハイデガー本が少ないのですね。批判的に捕らえている部分がかなりあるせいか。
これは初心者用に易しく書かれているとはいえ、思想的射程は深く広い。
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この数百年間で最も偉大な哲学者と呼ばれる
「ハイデガー」というドイツの哲学者のことを書いた本。
主に「存在と時間」と「ハイデガーがナチスに加担したこと」などについて
公正な視線で書かれてある、非常に読み応えのある本。
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比較的わかりやすい哲学書だと思ったので、☆4つ。
理解しているかと言われれば、生返事しかできないが、〔存在と時間〕について納得できたような気がする。
理解するのに時間がかかるから途中で切り上げ。
また、手にとろうかな。
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第六章 形而上学の克服
ヘラクレイトスらのプレ-ソクラテスの思索:自然哲学;生成されたものとしての自然ではなく、生成する自然(natura naturans)についての驚き
この自ら生産するピュシスとしての存在は、本質存在と事実存在へと分かれておらず、原初の単純さを保持している。/
「存在とは何であるか?」という形而上学の問いは本質存在と事実存在を分離せしめる。そして、この分離自体が形而上学の成立の条件である。
第一章 思想の形成
「いわゆる存在者レベルでの神への信仰は、結局のところ神を見失うことではなかろうか」p45
第三章 存在への問い
ウィトゲンシュタイン:「神秘的なのは、世界がいかにあるかではなくて、世界があるというそのことである」(論考)p78
「私はハイデガーが存在と不安について考えていることを、十分に考えることができる。人間には、言語の限界へ向かって突進しようとする衝動がある」p79
「この体験を記述する最善の方法と私が信ずるのは、私がこの経験をするとき私は世界の存在に驚く、ということである。その場合私は、<何かが存在するとはなんと不思議なことだろう>とか、<世界が存在するとはなんと不思議なことだろう>といった言い方をしたくなる」(倫理学講和)/
「不安の無の明るい夜の中で、存在者としての存在者の根源的な開示がはじめて生起する」(形而上学とは何か)
第八章 後期の思索―言語論と芸術論―
「詩人とは、真剣に酒神を歌うことによって、逃げ去った神々の痕跡を感じ取り、その痕跡の上にとどまり、自分と同類の死すべき者たちに転回への道筋をつけてやる者たちのことである」p207
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2010.10.6
存在とは何か?
「我思う、故にわれ在り」の在るとは何か。
存在は、現存在が存在了解するうちにある。
世界内存在。(人間は、時間軸のズレのおかげで、環境から身をはがし、より高次に構造化する)
本質存在と事実存在。
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すべてに先立ってまず<ある>のは、存在である。思考は、人間の本質へのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこの関わりをつくり出したり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである。この捧げるということの意味は、思考のうちで存在が言葉となって現れるということにほかならない。言葉こそが存在の住居である。
・・・・・・『ハイデガーの思想』202頁
本著は、ハイデガーの未完の著作『存在と時間』を中心に語られている。
ソクラテスとプラトンによって、存在が「本質存在」と「事実存在」とに分断された。それによって、哲学を哲学たらしめてきた。が、それ故に、その枠を超えて存在を問う術をなくしてしまっている。より根源的な『存在』の存在を問うべきではないか。・・・と、解釈してみようと思う。
また、前半部分の記述ではあるが。人は時間性を持って、世界を認識している。人間は、現在<いま>を認識するとき、瞬間的、断片的な状態のみを認識しているわけではない。現在に至るまでの過去と、現在から派生するであろう未来を、合成した世界「時間性を持った場」を認識し、次の行動基準としているのだという。この世界観はおもしろいと感じた。
本著には多くの哲学者が登場する。中心人物には解説が添えられているが、やはり各哲学者の知識がなければ、読み解くのは難しいのだろうと思う。
ソクラテス、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ヘーゲル、ショーペンハウエル、ニーチェ、ヤスパース、フッサール、サルトル、ウィトゲンシュタイン・・・などだ。
少なくともニーチェ以前の哲学者への知識があったほうが、そしてその知識が深ければ深いほど、ハイデガーの着眼点に驚かされるのではないかと思う。
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『ナトルプ報告』の紹介を含めて、ハイデガーの「存在の歴史」に対する見方を、たいへんわかりやすく解説している。
同じ著者による『ハイデガー』(岩波書店「20世紀思想家文庫」、および「岩波現代文庫」)に比べると記述があっさりしていて、手に取りやすい。
あえて難点をあげると、『芸術作品の起源』についての解説はちょっと残念。ハイデガー自身に語らせるのもいいが、著者自身のもう少し踏み込んだ解説が聞きたかった。
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読み終わってから時間が経ってしまったので記憶がぼけてしまったり、理解が間違ってるかもしれないのでご了承を。哲学に疎い自分でも読めるように分かりやすく解説されてる本だった。同時代の人たち、詩人や哲学者との関係について紹介し、またナチスとの関連についても解説されている。当時は第一次大戦に敗北した極限的な状況だった。
ハイデガーの有名な著書「存在と時間」。この本は発表された当時、人々に大きい影響を与えたらしい。戦争中であったのでそういうことに敏感な人が多かったのだろう。
僕がハイデガーを勉強しようと思ったきっかけは、存在とはいったいなんなんだろうって疑問から。自分のことに自信がもてなくて、自分は一体なんなんだろうって悩んだりしてて、そういうことを教えてくれるものはないかなと思って。
でも、ハイデガーは、人間のあり方はどうあるべきか?ということを考えていたのではなく、むしろ「存在」とはなにかを探っていたのだという。表現が難しいのだが、「~デアル」と「~ガアル」の違いだとこの本では述べている。 難しく言うと、事実存在と本質存在の違いだという。哲学史上、いろいろな考えの哲学者がいたが、プラトン的な考え方とアリストテレス的な考え方がある。プラトンとしては、なにか純粋的な概念があり、それをもとにしてモノが存在する、と考えていた。アリストテレスは、なにかモノが先にあり、それがしめす性質があるという考え方だ。ハイデガーによるとモノは被制作物であるという。なにか純粋的な概念な概念があり、その概念をもとにだして創りだしたのがモノだと。英語のcreatureはcreateから来ているように。そして、一見相反するようだが、アリストテレスも実はこの考え方だといっている。しかし、こういった事実存在と本質存在という区別化は本当の自然(ピュシス)を忘却してしまうことであるらしい。ピュシスは英語のnatureに相当する単語らしい。natureといえば、自然であるが、nature of …という用例だと~の本質という意味にもなるように、本質という意味が近いのかもしれない。ハイデガーはこの形而上学の存在の区別の克服を目指していたが解決できなかったらしい。ちょっと自分の理解が怪しい範囲になってきたのでここまでで…
あと、後期の芸術論についても述べてあった。思索とはつまり創造すること、createすることで、芸術の本質とはそういうことだということが書いてあった。芸術作品の中に世界をcreateすることが本質だと。詩作も思索であるとかだじゃれっぽいことを言ってたり(違 ここらへんも誤解してるかも
こうまとめてみると、ハイデガーの思想をとてもわかりやすく解説してあるいい本だったけど、自分の中でちゃんと噛み砕けてないなあと痛感。またの機会に借りなおしてよもうかな。
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[ 内容 ]
主著『存在と時間』の精緻な解読を通じて、ハイデガーの存在論や哲学史観の全貌を描く。
と同時にその作業を通じて、なぜナチスに加担したのか、その理由をさぐり、思想の核心に迫る。
[ 目次 ]
序章 一つの肖像
第1章 思想の形成
第2章 『存在と時間』
第3章 存在への問い
第4章 ハイデガーの哲学史観
第5章 『存在と時間』の挫折
第6章 形而上学の克服
第7章 ハイデガーとナチズム
第8章 後期の思索?言語論と芸術論
終章 描き残したこと
ハイデガー略年譜
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[ 参考となる書評 ]
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本書はハイデガーの生い立ちや哲学史観の紹介、主著「存在と時間」の解読、ナチズムへの傾倒と戦後の様子を分析することを通じて、彼の思想変遷を明らかにしようとする試みである。
そのため哲学門外漢であり、主著の「存在と時間」に関心を抱くのみである私にとっては、本書中盤の哲学史観に関する記述が少々骨の折れるものであった。
不勉強が祟ったか・・・要再読である。
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とかく難解と言われるハイデガーの著作。もともと日本語で訳すことができるのかどうかさえも疑わしいハイデガーだが、木田先生特有の言葉で綴るハイデガーのエッセンスは、おそらく他の追随を許さないほどの見事な解釈とわかりやすさである。木田先生は日本を代表する知性だとあらためて思う。
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ハイデガーの入門書。主著である『存在と時間』を中心にその人生や周辺人物の記述も交えて解説。非常に難解なハイデガーのテクストも木田元氏にかかればここまでわかりやすくなるのか、と思えてしまうほど咀嚼されている。
実際に記述が信頼できるかは私が判断できるところではないが、これを手引きにハイデガーの著作を読んでいけば自ずとわかってくるだろう
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ハイデガーは20世紀最大の哲学者として、またきわめて難解な思想家として名高い。一方ナチスへの協力者として、その言動は厳しく糾弾されてきた。ここでは主著『存在と時間』の精緻な解読を通じて、ハイデガーの存在論や哲学史観の全貌を描く。と同時にその作業を通じて、なぜナチスに加担したのか、その理由をさぐり、思想の核心に迫る。
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大船図書館で読む。この図書館は狭いですね。非常に読みやすい本です。この人が、売れっ子である理由がわかります。図書館ではなく、購入してじっくり読む必要がある。
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ウィトゲンシュタイン「神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということである」『論理哲学論考』p78
【3つの命題】p82
①現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある(エス・ギブト)
②存在は了解のうちにある(エス・ギブト)
③現存在が存在するかぎりでのみ、存在は<ある>(エス・ギブト)
<世界開材性>とか<世界内存在>というのは、人間がそうした<世界>という構造を構成し、それに適応しながら生きる生き方、存在の仕方を指すと考えてよい。このような高次の機能によって、現存在が現に与えられている環境から身を引き離すその事態を、ハイデガーは<超越>と呼んでいる。現存在は、<生物学的環境>から<世界>へと超越するのである。p86
ハイデガー「あらゆる存在者のうちひとり人間だけが、存在の声によって呼びかけられ、<存在者が存在する>という驚異のなかの驚異を経験する」p89
<存在=現前性=被制作性>というアリストテレス以来の伝統的存在概念は、ハイデガーの考えでは、非本来的な時間性を場としておこなわれる存在了解に由来する。p139
ハイデガー「ピュシスとはギリシア人にとって存在者そのものと存在者の全体を名指す最初の本質的な名称である。ギリシア人にとって存在者とは、おのずから無為にして萌えあがり現れきたり、そしておのれへと還帰し消え去ってゆくものであり、萌えあがり現れてきたっておのれへと還帰してゆきながら場を占めているものなのである」『ニーチェ』p156
ハイデガー「<力への意志>という名称は、存在者がその<本質><仕組み>から見て何であるかを告げており、<等しきものの永劫回帰>という名称は、そうした本質をもつ存在者が全体としていかにあらねばならないかを告げているのである」p182
【存在が言葉になる】
すべてに先立ってまず<ある>のは、存在である。思考は、人間の本質へにのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこの関わりをつくり出したり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである。この捧げるということの意味は、思考のうちで存在が言葉となって現れるということにほかならない。言葉こそ存在の住居である。言葉というこの宿りに住みつくのが人間なのである。思索する者たちと詩作する者たちは、この宿りの番人である。彼らがおこなう見張りとは、彼らが語ることによって存在の明るみを言葉にもたらし言葉のうちに保存するというふうにして、その明るみを仕上げることにほかならない。『<ヒューマニズム>についての書簡』p201