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「すなわち、意識的な個性が消えうせて、あらゆる個人の感情や観念が、同一の方向に向けられるのである。」
言葉を持って人に影響を与えようとするときには、その時期の言葉の意味を考えなければならない。本来の言葉の意味などどうでもよいのだ。言葉は生き物であり、意味が変わるべきものである。それなのに言葉の本来の意味に拘束されるのはただの懐古主義か。
相手に影響を与えるには、言葉の反復が大切である。キーメッセージは何度も相手に伝えなければならない。言葉を変えることなく。
威厳は場の雰囲気を作る。
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とても面白い。SNSなどのもつ匿名性はある種、群衆の特徴を有しており、炎上などの問題を社会心理学的に考察できる。現代にも示唆に富んだ古典的名作。(追記 さらに、指導者と群衆の関係は、身近にはライブのアーティストとオーディエンスの関係で理解できる。ライブのオーディエンスは服従の意志を示し、アーティストが充たす。オーディエンスは皆同じように身体を動かし、誰かが新たなノリ方を始めれば、感染してゆく)
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己の目的を遂げるための、最も有効な手段の一つは「群衆を利用する」ことである。上手く用いれば多大な利益をもたらすが、しかし、それは非常に難しい舵取りを迫られるもので、ほんの僅かな失敗で己を窮地に追いやる劇薬でもある――。
史実から「群集心理」を考察し、その特徴と功罪、そして民主主義・多数決重視を盲信する危うさを分析した心理学・社会学の古典。
訳が比較的読みやすかった。現代の人間から見れば「これはちょっと違うのではないか」と思える分析もあるが、「付和雷同」や「お国柄」など、現代の"集団"の理解にも大いに役立つ点、人は百年以上経ってもその本質はなかなか変えられないのかなと思ってしまう。
古くは関東大震災直後、情報不足と流言飛語により多発した私刑行為(リンチ)。戦時中の各国のプロパガンダと国民の団結力。一人の誤った証言による冤罪。
現代に至っても権威や肩書への盲信や、電子ネットワークによる賛同者募集やデマゴギーの拡散(集団感染/パンデミック)など、著者が分析した通りの現象はあちらこちらで起きている。
最近も日本を含む各国で「民意を無視している」とか「民意を誤導している」とかあるが、政治家も、マスメディアの関係者も、そして群衆を構成している一人一人である我々も、一度これを読み直して群衆の取り扱いについて今一度考えてみてもいいのではないだろうか。
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群衆というものを面白い視点で定義している。というよりこれ以上正しい定義はないのかもしれないが。単に個人の多数集合体は群衆とは呼ばない。集まったことで心理的群衆を構成する個人の観念や感情が一方向に転ずること。つまり早い話が精神的ベクトルが同じ方向を向いた状態を群衆と呼ぶ。だから人は群衆になると闘い、同じ神を崇拝する。よくこういうのを研究しようと思ったものだ。
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群衆は、意識的な個性が消えて、無意識的性質が支配的になったもの。その構成員は思考停止し、ただの機械になる、ということから始まる本です。日本で言えば、戦時中の管理体制があてはまるかなと思いながら読んでいたけれども、現代人にもあてはまるよな、ということに気づきました。思考停止は危険です。人間という生き物は変わらないということなんでしょうか。
これは非常に読みにくかったです。回りくどく、わざわざ難しいことであるような書き方だったので、途中何度か「なんでこんなに難しく書くのーー」と叫びたくなりました。
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ある一定の状況において、人間の集団を構成する各個人の個性は消え、あらゆる個人の感情や観念が同一の方向に向けられ、一つの集団精神が生まれ、心理的群衆となる。本書ではその心理的群衆の精神構造、そして意見や信念を確立させる原因が明らかにされた後、指導者による活用方法が示される。とても刺激された。なぜ人は集団に属すると扇動され易く大胆な行動に出ることがあるのか、なぜ道理が群衆の指導者となり得ないのか、といった疑問への納得できる回答が得られた。また、扇動者に惑わされないための予防策にもなるかもしれない。なると断言できないのは、本書に示された扇動が無意識への働きかけだからである。では、無意識を形成する最も重要な要因は?それは種族性のようだ。日本人の民族性について知りたくなった。
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トランプさんの当選が、あまりに不思議だったので、そのヒントになりそうな本書を読みました。
<群衆の特徴>
・群衆は衝動的で動揺しやすく興奮しやすい
・群衆は真実を渇望しない、むしろ誤謬でも魅力があるならばそれを神のように崇めようとする
・強固な意志を持った人間の言葉に傾聴する
・威厳をもつ(ほぼ経済力)
<群衆を説得する方法>
・断言と反復と感染
・印象的な心象
・人々がそれなくしては生存できない希望と幻想との分け前を与える。
・群衆を活気づけている感情の何であるかを理解して、自分もその感情を共にしているふうを装い、ついで幼稚な連想によって暗示に富んだある種の想像をかきたてて、その感情に変更を加えようと試みる。必要に応じて後戻りし、特に、新たに生まれる感情をたえず見抜く。
...ということで、繰り返されるトランプの「メキシコとの国境に美しい壁を」というメッセージに人々が魅了された理由がよくわかった。
100年以上前に書かれた本であるが、人間の本質を良くとらえている。群衆とは無教養な大勢の人々のことではなく、完全に「私」のことである、と感じる。日々マスコミやSNS・インターネットで流される情報に、衝動的に反応し、動揺しやすく、興奮しやすいことは事実。
おだやかな心で平和に無駄なく生きたいと思うけれど、そのためには、教養という盾をもっと持つべきなのだろう。
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群集という言葉、その心理について初めて分析した本。
優れた政治家は群衆精神を的確に知っていた。ナポレオンはフランス群集心理を看破していたが、ロシアはしていなかった。
群衆は保守的本能を持っている。
群衆を説得するのに必要なのは感情。群衆を活気づけている感情を理解して、自分もその感情を共にしているふうを装い、幼稚な連想によって暗示に富んだある種の想像を掻き立て、その感情に変更を加えようと試みる。
断言と反復が重要。
威厳の最も重要な原因の1つは成功。そして失敗と共に消え去る。
批判は有害で役に立つことはない。
イギリスは自由、フランスは平等を重視。
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ギュスターブ・ル・ボンはフランスの医師・社会学者・心理学者。普仏戦争(1970)への従軍経験もある19世紀後半の人である。
本書は、王権⇛貴族民主政に続く大衆の台頭の時代に、大衆が全体としてどう振る舞うかに踏み込んだ著書。
群集心理という言葉は現在では一般的に使われる言葉になっており、本書が後の人間科学に与えた影響は大きい。
ただ、20世紀後半以降の人間科学、特に実験的な社会心理学・進化心理学・行動経済学では、群として個としての人間の振る舞いにもっと精緻に踏み込むものも多い。
(ミルグラム実験、道徳の共通基盤、ヒューリスティックとバイアスなどなど)
これらの具体的な知見に触れた後だと、本書の説明は平易だが理念的で冗長に見える部分もある。
(なんにせよ100年前の著作なのだ)
だが、群衆の意見の直接要因として「幻想」を挙げ「文明の基礎には幻想が必要。大衆は真実よりも幻想を好む。」という、目が覚めるような指摘もある。これはユヴァル・ノア・ハラリのサピエンス全史でも登場する切り口。
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東京の街行く人たちの一定の流れを見他のが契機に、集団心理に興味を持った。読むと、予想していたものとは少し異なったが、非常に興味深く、個人レベルの行動と集団レベルでの行動がいかに異なるのかについて知った。
再読する
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1895年にパリで発行された、心理学の古典である。群集とあるが、実際のところ著者が想定しているのは、集会などで一箇所に同時に集まっているような集団ではなく、むしろ民衆というべき大きなものであるような気がする。黎明期に書かれた本だけに、心理学の変遷に関心がなければ、本書はあまり有用ではないだろう。
そもそも社会心理学という分野がまだ確立していない時代のモノであるが故に、社会や集団という定義がどのようなものであるかは不明である。
著者によれば、群衆は個人よりも知能や理性におとるということである。まるで、退化するかのように、集団になった途端に動物のようになってしまうということである。人間が生物であるが故に、そうした資質がもともと埋め込まれており、集団となったときにそれが表出するということなのであろうか。付和雷同などの行動は、社会心理学で同調として取り扱われており、その根本は小魚の群れなどに観察されるやはり生物の集団的な同調同調行動である。
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【由来】
・須藤さんと神保さん会合の後で話した政治談義で、国民性ということがキーワードになった。それでamazonで調べたら出てきた。
【期待したもの】
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【要約】
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【ノート】
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難しい・・
読んだものの、理解度は半分以下。
100年以上前に書かれたものなのに、未だにこの本が読まれるのは、群衆心理というものが不変なものだからなのか(徳性の低下・上昇、暗示を受けやすくなる、などはわかりやすい)。それともこの本が決定版だからなのか、研究している人がいないのか。
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各個人のアイデンティティや責任感の埋没が発端となって群衆に生まれる一つの全体的な精神が群衆心理
無意識によって形成される群衆心理は非常に原始的な性質をもつものだと論じています。 群衆心理は非常に感情的で簡単に物事を信じやすく、単純な思考で物事を白黒で考え、自分の命をも犠牲にするほどの徳性が備わっている
群衆にいると、個人でいるときとは全くの別行動をとる
群衆たちが別行動を取ってしまう原因として次の3つを挙げています:
大勢にいるというだけの一種の不可抗力的力による無意識化(無意識状態になること)
精神的感染
被暗示性
大勢の集団にいるというだけで、周りの圧力、熱気というもので自分の意志が弱くなり無意識的な性質がより顕著になります
無意識化は精神的な感染に掛かりやすくなります。 無意識になると直感的に正しいと思えることを受け入れる傾向になり、疑うことが出来なくなっていくからです。
このような状況でライブの手拍子、デモの掛け声、政治家の選挙演説といった暗示を掛けられると、参加者は暗示に呼応した行動を無意識的にとりやすくなったり、何かしらの感情やイメージ(錯覚)にとらわれるようになります。
こうした暗示が生み出す行動や感情、イメージ等によって、結果的に参加者たちに群衆心理が感染していくのです。
このような原因によって群衆にいる人たちの心理がより原始的になります。 その結果思考は単純化したり、真実ではなく感情的に正しいと思える極端な行動を取ったりしていくのです
指導者は、群衆の精神を的確に捉えた心理洞察家
とは言え、指導者自身も暗示と感染を被った“被指導者”反対意見は迷信・誤謬だと言い、偏狭的になっている
• ただ、指導者は強い意志を備えている
群衆はそれに耳を傾けて、本能的に指導者に向かっていく
指導者たち は、主として、次の三つの手段にたよる。すなわち、断言(思考力のない人に、考えを押し付ける)と反覆(繰り返し植え付ける)と感染
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1895年に著されたもので、精緻に「寄り集まった人々はかに個人とは異なる振る舞いをするか」ということを論じている。
群衆によって歴史的な大転換を遂げる際に何が起こっているのかなど、現代人にとっても本書から学ぶことは多い。