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男性にこんなストーリー達を紡がれてしまったら、
本当に参る。
色気のあるストーリ群に
身も心も脱がされて
濃厚な赤ワインの浴槽に浸る感じ。
そしてその中で
一晩中この本に添われてまどろみたい。
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片岡義男の短編集。森見登美彦さんのお勧め文庫本なので読んでみました。
6つのお話が載っています。
短編のためもありますが登場人物は限られています。男性の小説家から見た女性像を描いています。
日常生活の断片や年月を経ながら保っていく男女の関係などが淡々とした表現で語られています。
小説のプロットも出てきたりするので、はは~ん小説を書く時はこういう組立てをするのかあ・・などと興味深い場面もありましたが・・・
しかし、どうも印象が薄い小説です。特に描かれる女性像が一方的な見方で生身の人間の匂いが少ないような気がします。
作家の年代もあるのかしらんと1940年生まれが気になったりしました。
森見さんご推薦であるのに・・・。
気になったのは、この短編集の題名が物語の幸福になっていること。決して、幸福な物語という題名でないところにこの小説集のテーマが隠されているのかもしれないと思いました。
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一人の女性を凝視して生まれるストーリーを小説にする。
男性向け、と感じました。これほどの理想を持った男性と付き合う女性は、ちょっと大変そうです。
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何回目か分からないくらい読んでます。短編集で小説家の男性が主人公です。ワタシは幸福の限界が好きで、この星野雄一郎の小説を読んでみたいと毎回思います。特に驚くような出来事は何もないけれど、表現も視線も好きです。
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●美人と海岸
ある晩、作家である本田のところに友人の大沢から電話がかかってきて、派手めのいい女、という感じの女性を連れて金沢まで来てほしい、と言う。本田は高校の水泳部の後輩で銀座でホステスをしていた西野緑を連れていくことにする。
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大沢が小林由加里に泳ぎを教えようとしたが、彼女が重心を移動できずに駄目だったのと、「でも私が私だから、その私は彼の結婚相手ではないのよ」という言葉が由加里という女性の自立したのすっきりした性格を表していてよい。「この私のストーリーを短編にして」というセリフも潔くてよい。
●ベーゴマの小説を書く
作家である紅野夏彦は朝食をとりながらふと、ベーゴマ、と思う。編集者の友人に教えてもらい、問屋街でベーゴマを3つ手に入れた。沖縄から仕事で出張してきた姉・霧子との夕食でベーゴマの回し方を教えてもらう。「美貌の万能姉の、美貌と万能ぶりの、彼にとって何度めともわからない確認だった。」
部屋に帰った紅野はベーゴマをヒントに十二才の少年を主人公にしたある夏の日の短編を思いつき手帳に記していく。ポイントとなるベーゴマについて書き加え、幸せな気持ちで手帳を閉じた。
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作中にて構想される少年の短編の、とくに結びがとてもよい。
「十二才の少年は、ひとりで列車を待つ。/指定席の切符が買ってある。/彼はプラットフォームに出ていく。/列車が来る/彼は列車に乗る。/列車はすぐに発車する。/駅を置き去りにして、列車は加速していく。/知らない人にとっては、日本のどこともわからない田舎の景色のなかを、列車は走っていく。/窓から彼はその景色を見ている。/夏の光を、彼は見ている。」
構想のメモ書きなので実際に小説になるときはこのような描写になるかどうかわからないが、この簡潔なセンテンスの積み重ねは、物静かな少年の夏を見つめる眼差しを感じさせて非常によい。田舎での日々の描写も映像が浮かんでくるようで、(それほど似ているわけではないが)群馬の田舎を思い出す。
●階段の下にいる男
高野五郎はパリへの旅行の準備に銀座に出て、ふと木村屋であんぱんを買う。そのあと伊東屋に入りフランス製の手帳とリフィルを六冊購入する。編集者の仁科順子とおちあい、一年三百六十五日。まったく嘘の日記であるストーリーの執筆を依頼される。パリの街角で高校の同級生である岸本仁美と偶然に出会う。彼は彼女の姉である美恵子にずっと以前から求婚し続けていた…。
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嘘の日記のストーリーというのがおもしろそう。伊東屋で手帳を買ったり、パリの文房具屋でレターペーパーのパッドを買ったりとステーショナリーへのこだわりが、ラストシーンの手紙を書くという行為を、十四年間の積み重ねとしての、よりきちんとした行為にしている。こういうのを読むとPalmを使っていても、紙の手帳をこだわりを持って使ってみたくなる。
●グッド・デザイン
平野啓介は立科恭子の美しさをグッド・デザインと言い、それゆえにいつも一緒にいることがつらいと言う。
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女性の美しさについて誉め讃えているのだが、ちょっとこうなると…(苦笑)。
●幸���の限界
星野雄一郎は広島県の瀬戸内海に面した街の場末の映画館で偶然に観た『花を活ける日々』という日本映画に完全にからめ取られた。とくにその中の主演女優に強く惹かれた彼は、その女性をイメージした長編小説を発表する。するとその作品を映画化したいというオファーが舞い込んできた。
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瀬戸内海に面した街とはやはり尾道だろうか。そうだとすると場末の映画館とはあの駅前の映画館のことだろう。作品として非常にいい。彼女の美しさは現実にはなく、たった一本の作品の中にのみ永遠にあるというはかなさ。そしてそのフィルムを自分のものとして所有するという幸福。他の作品でもある女優のフィルムを個人で収集するというエピソードが出てきた。あれは『東京青年』だっただろうか?
●十年が過ぎた
神崎三郎と松川節男はサーフィンを通じて知り合った会社の同期だったが、入社して一年が経ったときに同時に会社を辞めた。波乗りのために生活の場を島へと移し、写真家と小説家として新しい生活をスタートした。そんな彼らの島の家に北沢佳子がやって来た。美しい彼女は「ふたりとも私を口説かないで」といい、三人の共同生活が続いた。写真家である松川は彼女の写真を撮りためていった。二十六才になったふたりは東京に戻り佳子は島に残った。佳子を見ていたことがストーリーの上で確実に役立っているという『結婚記念日』を含む短編集を発表した神崎はフランスへと旅立っていった。
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これも非常にいい。節度のあるふたりの男性とひとりの女性のストーリー。神崎がフランスへ立った夜、三人のルールがなくなり佳子は松川を受け入れる。そして十年後に神崎を受け入れるが、それも決してふしだらな感じがしないのは節度のためだろう。
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6つの短編からなる
読んでいると、学生時代のことを妙に思い出してしまう
映画好きな私にもわかるような【幸福の限界】の主人公の気持ち・・