紙の本
本物の「歴史書」の力
2001/05/31 14:04
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投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1848年にウィーンでおこった革命を描く、僕の愛読書中の愛読書。出版を自由にすること、憲法を制定すること、議会を開設すること、そんな要求を口にしてみたら、なぜか革命が始まってびっくりする「市民」(ちょっと偉い人々)。人間として認められること、人並みの生活を営むこと、何かがかわること、そんな夢を見て革命に死んでゆく「プロレタリアート」(普通の人々)。民族として独立するために、色々なかたちで革命にかかわるボヘミア人やクロアチア人やハンガリー人。そんな人々の、今と違うところも同じところもある日常生活、そして、革命という非日常生活が、まるで著者の良知さんが見てきたみたいに語られている。
とにかくこの本は面白い。塩野七生さんとか死馬遼太郎さんの作品と比べても、いい線いってる。でも、この本はただの歴史小説じゃない。こっそり憶測をはさまない、断定するなら証拠をみせる、といった歴史研究の作法を守っているんだから。おかげで、この本の中身が事実かどうかは、その気になれば誰でも調べられる。この、学界言葉でいう「反証可能性」があるかどうかが、歴史小説と歴史研究書の違いだ。というわけで、この本は、歴史小説の面白さと歴史研究書の反証可能性をあわせもった、本物の「歴史書」だと思う。歴史小説や歴史研究書だったら、書店に行けば山ほどある。でも、歴史書に出会うことは滅多にない。だから、出版元はこの本を大切にしてほしいし、多くの人々がこの本を手にとってほしい。
さらに、この本の魅力は面白さと反証可能性だけじゃない。よく読んでみると、そこには良知さんのメッセージがぎっしり詰まってることがわかる。それを受けとめるには、文章と文章の間からときおり溢れだす彼の想いに耳を傾けなきゃならない。あるいは、ちょっと文章が硬いけど、良知さんの別の本『向う岸からの世界史』(ちくま学芸文庫)も、参考書として役立つ。
僕はといえば、とりあえず二つのメッセージを読みとった。第一、民族の問題を考えろ。たとえば、通説では、スラブ人はウィーンの革命に反対したことになっている。でも、革命のために銃を取ったプロレタリアートのなかには、沢山のボヘミア人がいた。クロアチア人は革命に反対して銃を取ったけど、それは、革命を支持するハンガリー人から独立するためだった。民族の問題ぬきに、こういった事態は説明できない。世界各地で民族紛争大爆発の今日から見ると、良知さんの先見性がわかる。
第二、最後まで闘うのは、市民じゃなくプロレタリアートだ。塩野さんや司馬さんや、ついでに良知さんがいつも意識してたマルクスやエンゲルスは、どちらかといえば市民がお好きなようだ。たしかに、ウィーンでは、革命は何もかえなかったし、プロレタリアートの夢はかなわなかった(この本は、プロレタリアートの革命が失敗しても、「リーニエの壁はただ無表情に立っていた」という文で終わる)。それでも、革命に参加した人々がいたこと、その多くがプロレタリアートだったこと、そのことを忘れちゃいけない(ちなみに、同じメッセージを秘めてるのがミュージカル「レ・ミゼラブル」。時間と金と機会があったら、ぜひ帝国劇場に行こう)。
もちろん、この本には疑問もある。たとえば、なぜプロレタリアートは闘う気になったか、とか。あるいは、良知さんは、プロレタリアートがまた立ちあがると信じていたか、とか。でも、良知さんから直接答えを聞くことは、僕たちにはできない。この本を書きおえて二週間後に、良知さんは亡くなったのだから。そのことを知ったうえで「あとがき」を読むと、本当に泣けてくる。この「あとがき」だけでも、千円ちょっとを払うだけの価値はあると思う。
というわけで、本当は星を山ほどあげたいところだけど、最高五つなので、評価は「五つ星」。
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舞台は1848年、ウィーン。1848年革命——通称「三月革命」にはじまる激動の一年を活写した一冊です。
三月革命といえばウィーン体制崩壊の引き金をひいた革命と認識されており、歴史的にも重要な位置にあります。その革命を記述するにあたって著者が選んだのは、教科書的な方法論ではなく、民衆の側からウィーンの風俗を描くというものでした。
美食を楽しみ優雅な日々をすごす貴族、コーヒー・ハウスに集い議論をかわすウィーン市民、抑圧されながらも日々を逞しく生きる職人、そして故郷なき流民とプロレタリアート・・・・・・ウィーンを彩る人々が歴史のうねりを巻き起こし、多方面から革命に関わってゆく様は実にスリリングです。知的でありながらどこかくだけた語り口もあって、読み進めるにつれて当時のウィーンの人々が隣人のように思えてきます。
革命の勃発、皇帝の遁走、学生と職人と労働者の春、そして革命の終わり・・・・・・終章「リンデンの葉がおちて」の余韻には忘れがたいものがあります。名著といっていいでしょう。
お勧めです。
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1948年の革命を社会史の視点で書いています。「社会学」みたいなのがつくと、ヴェーバーだのブルデューだのの理論が出て来るものが多いのだけど、この本は、労働者のハチャメチャぶりに焦点を当てていて、とても痛快です。
初版は1985年、その翌年に私は初めてウィーンに行きました。その後も行ったのですが、この時は、バブルの日本に比べ、昔のよさが残っていました。マリアヒルフ・プラーターがよく出てきますが、ここはこの擾乱の中心だったのですね。
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1848年、ヨーロッパに革命の風が吹いた。そしてそれはオーストリア帝国のウィーンにも届いた。ただ、ウィーンの市民にとって、革命はまだ一つの流行でしかなく、それにのるものらぬも、その人のウィーン気質とされた。だから、その3月のデモも平和的だった。そして、平和のうちに終わるはずだった。暴動が起こって革命が本当になってしまうなど、おそらく誰も思っていなかったのだ。さても、宰相に続き、皇帝まで逃げ出してしまったウィーンで、浮足立った市民の乱痴気がはじまる。めいめい勝手な請願を出しあい、気に入らない者あらば、反革命的だと囃し立てた。街中でドラムやトランペット、しまいには鍋やフライパンが打ち鳴らされた。しかし、目標のない革命の音頭に行く当てはない。革命は次第に、圧政と自由の対決ではなく、中産階級と下層労働者の確執へと変調していく。もとい、そもそもウィーンの抱えていた問題はそれだったのだ。増え続ける異郷からの出稼ぎ労働者と、膨らみ続ける相互不信、不平不満。やがて10月には皇帝が凱旋し、ウィーンはすっかり元の鞘に戻るのだが、市外には多くの「歴史なき民」が打ち捨てられたままとなった。著者は、日本の社会史研究に先鞭をつけた社会思想史家。それまでの歴史学が、偉人を通してみた「上からの歴史」であったのに対し、「歴史なき民」=名もなき民衆を通してみる「下からの歴史」を拓いた。1848年の革命も、一般には失敗したとしか伝えられないが、著者は、当時の民衆の生活を通して、その後の社会変動の契機を照らし出してみせた。まるでその場に行って書き留めてきたかのような筆致は、人々の談笑や噂話が聞こえてくるよう。本書が著者の絶筆となったことが非常に惜しまれる。
「だれが指示したわけでもないだろうに、男たちの黒い群がいつとはなしに流れはじめた。ともかくも午前中の仕事を終えて工場から出てきたそのままの姿なのだろうか。汗と脂にまみれたよれよれの服を身にまとい、潰れかけた帽子をかぶり、なかには作業用の前掛けをしたままの者もいる。ほとんどの者がすすけた顔に無精髭を長く伸ばしている。ともかくも戦うのだと、だれと、何のために、そんなことはわかりはしない、何はともあれ手に手に得物をひっさげ、あるいは肩に担いで彼らは歩き出したのだ。得物といっても銃や刃を持つ者はなく、鉄棒や棍棒、ハンマー、まさかり、スコップ、つるはしなど、作業場から手当り次第に武器になりそうなものを持ち出してきたのだ。」
「革命にシャリヴァリはつきものである。ドイツ語ではカッツェンムジーク、猫の音楽とか猫ばやしという。要するに、気に入らぬ者のところへ押しかけ、笛やドラム、鍋やフライパンを叩いて「民衆的制裁」を加えることである。四月一日、テアター・アン・デア・ヴィーン(ウィーン河畔劇場)で上演されたある芝居で、このシャリヴァリが演じられ、またたく間にウィーンの街に流行する。最初は革命派が反革命派にたいしていやがらせを行う、いわば政治的シャリヴァリが主体であり、それをタイトルとする新聞さえ現れる。」
「――まず鋭い口笛が鳴る。それが合図で無数の笛の合奏が始まる。コンサートの開始である。何百もの音��が一斉に奏で始める。指揮者もいなければ聴衆もいない。だれもかれもが演奏家なのだから。ドラムだのトランペットだの笛だのガラガラ玩具だのを持ち出して、不協和音を響かせる。笛を持っていない者は人差し指と中指を口に当てて、ピーピーピーと口笛を吹きならす。女たちは鍋やフライパンを持ち出して、ガチャガチャと叩きまくる。たらいの底をしゃもじで叩いてドラム代りにする。」
「シャリヴァリはやがてウィーンの市民層から下層民、「プロレタリアート」や「ゲジンデル」へと広がる。彼らは高価な楽器など持ち合わせていないから、指笛をならし、桶やフライパンを打ちならし、はては子供までがガラガラおもちゃを持ち出す。めざす相手は小さなセンメルを高く売りつけるパン屋、はかりをごまかし腐ったような肉を売りつける肉屋、安い賃金で労働者を働かせ、勝手に解雇する工場主などである。彼らはみな地域社会の権力者である。こうしてシャリヴァリは、政治的シャリヴァリから社会的シャリヴァリへ転化し、それとともに共同体の内部規制から共同体そのものに対する外からの反乱へと転化する。」
「デモによって、楽しげな祭りとして革命の始まる三月から、国王の逃げ出す五月、街の郊外にたむろする流れ者が暴動を起こし、革命のなかに大きな亀裂の走る八月、そして最後に皇帝の軍隊の攻撃によって革命が終息する一〇月まで。季節の移り変わりのなかで、豊かな人々は次第に革命から手を引き始め、結局のところ、ウィーンの街へ立ち入りを認めてもらえず、街の外にへばりついて暮らした人々が何とウィーンの革命のために生命を棄てる、奇妙な経緯が至極自然に語られる。
この人々は、ベーメン、すなわち今日のチェコの辺りから僅かな稼ぎを求めて辿り着いたスラヴの人々であった。ついでにいえば、ウィーンの革命を圧殺した皇帝の軍隊の主力も、これまたスラヴ系に属するクロアチアの人々であった。この人々もまた、当時のオーストリア帝国において虐げられた人々であり、よりよい生活を求めて、皇帝の側に立ち、革命を守ろうとするチェコの出身者たちを殺したのである。
ブルジョワ革命というにはブルジョワならざる人々が活躍しすぎ、すっきりと民族解放闘争というにはいろいろな民族が登場しすぎるこの革命は、その当時に人々にとってすら説明の厄介なもので、簡単に納得するためには多くの出来事や人々を無視したり、邪魔者扱いせざるをえなかった。
だから、著者、良知氏が、出来事の正当な描写と登場人物たちの正当な評価を試みた時、そして同時に、従来の歴史学による説明や図式化に異議を唱え、さらにはそうした作業を通じて、従来の歴史学による十九世紀や、ヨーロッパ近代の捉え方を再検討しようとした時、良知氏は、これまでの歴史学の利用していた図式や概念を用いることができず、これまで無視されていた卑俗で些細なデータを使い、なまで下賎な言葉遣いをしなければならなかった。」(『解説――終りに言葉ありき』相良匡俊)
「あとで刊行された『青きドナウの乱痴気』には良知さんが革命の理想の姿と考えていたかもしれない描写がある。闇の支配者「ナッシュマルクトの王様」に日頃から搾り取られていた呼び売り女達が反逆を企てた。王様一家がショバ割をしてきれいに並べ立てたトマトや、リンゴ、スモモなどを、何百人もの呼び売り女がいっせいにひっくり返し、手に手に得物をもって罵声をあげて王様一家をやっつけてしまう事件があった。この描写の最後で、良知さんは「これも一八四八年革命、本来の三月革命に続くもう一つの三月革命、議員もブルジョワもいなくて、本物の革命よりもよほど革命らしい革命だった」と書いている。
良知さんは普段は物静かな人で良知ゼミの学生たちは「良知ゼミの十五分間の沈黙」といって恐れていたくらいである。私はごく親しい人を交えて何回か良知さんと一緒に飲んだことがあったが、そのようなときは驚くほど雄弁でよくしゃべった。そして最後には必ず「阿部さん今度はバカンバカンになるまで飲みましょうよ」と言うのであった。「バカンバカンになるまで」と言うのは良知さん流の言い方であるが、浮き世のタガをはずしてしまおうということであったろう。良知さんがそのような場面で語ったことことを書くにはまだ時期が早い気がするが、良知さんはおそらく、徒手空拳でも自らナッシュマルクトの「革命」に加わりたいという願望を心の奥底に秘めていたのであろう。」(同著『向こう岸からの世界史』阿部謹也『解説』)
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★3.5だが、いろんな意味のおまけで。
随分久方ぶりの再読、買ったと思ってたけど図書館で借りたんだなぁ、その昔は。
さておき、改めて社会史の傑作を読み率直に思ったことは
、
・社会史の前提になる教科書的知識が無いと面白みが相当に減少する
・その地域の土地勘というか、位置関係を知っていないとこれまた面白みが減少する
というありきたりのことでしょうか。でもこれ凄く重要。その意味で、受験的知識の詰め込みをモノにすることは重要だし、海外旅行をしてその地域を直に感じることもこれまた重要だと改めて感じる次第。
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1848年革命のウィーンを描いた本。時系列順に異なる立場の人々がいかに革命に参加していったのか、そして最終的に革命がどうなったのか述べており、非常にリアルな当時の人々の様相が伝わってくる。ウィーンの状況に話が集中するため、だいたいの周辺状況など予備知識がないと取っ掛かりづらいこと、そして最初の地図をできればコピーして都度眺められるようにしておかないと話の位置関係がよく分からなくなってくることに注意。一点集中で知識を深める本。