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帯には「木をいかに生かすか
性質をどう見抜くか
後継者をいかに育てるか」
とあります。
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1993年に発行された160ページほどの本だけど、内容は考えさせられるものが多い。技術の伝承あたりは、1300年の歴史から学び、それを時間をかけてじっくりと伝えていくと言うのだから、現代では到底及ばないことだ。人は褒めてはいけない、にはなるほどと頷いてしまった。
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本のなかで西岡さんがしゃべっている言葉は何弁…。強い信念をもって仕事をするコトには憧れます。
(6月21日木曜・夜)
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情報科教員MTのBlog(『木のいのち木のこころ』を読了!!)
https://willpwr.blog.jp/archives/50404049.html
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西岡さんは法隆寺の昭和大修理や、薬師寺金堂を復興をされた方で
体験から極められた建築や木や道具の話は素晴らしく、大工と言う
より哲学者か宗教者の教えのような深い悟りと知慧を感じます。
知識を知ることよりも、道理に気がつくことの大事さを教えてくれます。
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(20090505〜20090508読了)
・職人の仕事は機械では代われんのだということを強く感じている。一人前の職人になるためには長い修行の時間がかかり、近道や早道はなく、一歩一歩進むしか道はない。P3
・自分ができる事を精一杯やる。これが宮大工の心構え。P15
・ものを長い目でみて考えるということがなくてはならない。P20
・自分だけで勝手に生きていると思っていると、ろくなことにならない。本を読んだり、知識を詰め込み過ぎるから勧進の自然や自分の命がわからなくなる。仏の教えの中には「あらゆる世の中の現象は人間の心の中に細められている。人間の心にもまた自然の中にある」P53
・自分や家族に飯を食わせるのと同時に、自分がどんな人間か示し出すのが道具。道具を見ればその人の仕事に対する心構えが見える。P57
・下手でできん、道具も腕も悪くて出来んのと、できるけど必要がないからしないというのは違う。道具の質が落ちたら技術も個々をも落ちる。P61
・大工や職人の仕事というのは体で覚え、経験を通して学んだ学問。P68
・職人が先にいて学者がいる。学者は体験や経験を信じない。本に書かれていることや論文の方を目の前にあるものより大事にする。P74
・技は技だけで身につくものではない。技は心と一緒に身に付けるもの。P82
・子育て教育の最近は、世間と競争することばかり考え、自分の子供に押し込んでいるうちにその子の本当の姿を見るはずの母親の目が見えんようになってしまっているように見える。P97
・中国の老子は「教育は人間をだめにする」と言っている→生まれたまんまの方が宜しいと言う事。P99
・育てるという事は型に押し込むのでなく、個性を伸ばしてやる事。P104
・師弟制度は封建的で古臭く、無駄が多いと言われるが、無駄もいずれいいものが出て来る。あまり目先の事だけ考えていてもダメ。P107
・適材適所、いいところばかりではなしに欠点や弱点も生かしてその才能を発揮させてやらなければならない。P116
・農業経済とは「最小の労働をもって最大の効果を生む」が基本。しかしこれは西洋式の考えで、日本の脳インは自分一人で何人に米を食わせることができるかが基本。本に書いてある事を丸暗記してはダメ。P124
・法華経、「悟りいうもんは、人間はノンらいの亜矢から生まれたままの汚れない無垢な気持ちで物事を行えと言う事」。出来る知恵があって功利的な知恵を持って生きないで、生まれたままの無垢な気持ちで生命をまっとうしなさい。P138
・甘やかすのと思いやりは全く別のもの。むしろ甘やかすのは思いやりがないこと。このごろの親はそれを取り違えている。P155
・人間は時代に生かされているんですから、自分のできる精一杯のことをするのが勤め。
宮大工の職人の世界を通り越して、人としてどう生きるか、物事をどう捉えるかという事がいわれていると思います。
最近は効率化にばかり目が行き、時間的にじっくりとという形を取れない状況もある中、本当に大切なものを見失う事なく着実に一歩一歩進む事が大切だと考えさせられました。
教育についても効率的に早く一人前に育てる為に最短で教育する事を企業は考え、教育プログラムや大規模な研修制度などを採用していますが、必ずしもそれが長期的に見た場合に効率的か疑問が残ります。人は失敗し、それにより成長するという一面もありますのでじっくりと見守る事も必要なのではないでしょうか。
正解はないと思いますが、私達はもう少し立ち止まってじっくりと自分を見つめなおす必要があることを感じさせられました。
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帯表
木をいかに生かすか
性質をどう見抜くか
後継者をいかに育てるか
帯裏
●おもな内容●
木を長く生かす
木の二つの命
礎石の大切さ
木の触り心地
飛鳥の工人に学ぶ
古い材は宝もの
宮大工棟梁の自然観
道具と大工の魂
経験という学問
徒弟制と学校
教えるということ
芽を伸ばす
育てるということ
無駄の持つ意味
褒めることほか
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3代目宮大工の西岡さんの貴重なお話を文章に起こしたもの。重要文化財にしてされている建造物の建て替えに関わった時のお話など。
木を知ることは、人を知ることでもあるようです。先人の言葉は深いです。
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トクマガ Vol.21で紹介
おはようございます。
今日は、私が数えきれないくらい、最も読み返した本です。
今回もまた、このトクマガで紹介しようとパラパラめくっているうちに、
読んでしまいました。
読むたびに原点にリセットされる、そんな本です。
西岡常一さんの「木のいのち木のこころ」(新潮文庫)。
西岡さんは宮大工でした。
1995年に86歳で亡くなっています。
法隆寺金堂、法隆寺三重塔、薬師寺金堂、薬師寺西塔など、
奈良の1000年を超える歴史遺産を西岡さんは建て直してきました。
それが、どれほど途方もなく大変な仕事か・・・。
特に薬師寺金堂再建では、
東大の学者、建設省の役人を向こうにまわし、
建築法をめぐって大論戦を繰り広げます。
学者役人の大バッシングの中、
飛鳥工法の信頼性を主張するのは
宮大工職人西岡さんたった一人。
学者役人の主張は、「木造だけの建築なんて危険。コンクリートを使用してくれ」。
それをデータや理論でぶつけてきます。
西岡さんは明快。「1300年前の建物は1300年前の工法で建て直すこと。
飛鳥の工人から学んでつくればよろしい」。
けっきょく、一部にコンクリートが使われます。
私は大阪に住んでいたころ、奈良の薬師寺を何度か訪ねました。
お坊さんが案内してくれるのですが、問題のコンクリート部分に来ると
「これが話題になったコンクリートです。見てください」
そこには木とは調和のとれない灰色のコンクリートが。
見学者は一同、「あぁぁ」とため息。
「よく見てください。もうひびが入ってますでしょ。たった30年ですよ」
とお坊さんが笑いながら言う。見学者も「あはははは」と返す。
「一方、西岡棟梁の木組みを見てください。
わからないでしょうけど、まだ屋根が浮いているんです」
一同、ええええ?
「屋根の重みで、少しずつ下がってきて、300年後に完成するんですよ。
なんといってもこれから1300年残る建物ですから!」とお坊さん。
見学者は、声も出さずにその木組みに見入ります。
西岡さんは残しています。
「300年後の姿を想像して造っている。だからいいもんつくりましたな。
ようできましたな。と言われても、うれしくない。むしろ不安でいっぱいだ」。
私が西岡さんを知ったのは、NHKの「プロジェクトX」という番組でした。
それを見て、西岡さんに一目ぼれしました。
この本に出会い、薬師寺、法隆寺に行き、生家を訪ね、
たった一人の弟子小川和夫さんの「いかるが工舎」という会社も見に行きました。
法隆寺の近所には、「西岡常一記念館」も建てられています。
まず私が圧倒されたのは、
奈良や京都に残る1000年を超える寺社の工法です。
その工法は、ピラミッドのそれに値するほど、神秘的です。
当時の寺社は、礎石と木組みだけで造られています。
釘は一切使用しません。
木と木を組み合わせるだけ。
地面に穴も掘らず、
礎石と呼ばれる石を置いて、
そこに柱になる木を立てる。
それだけ。
それらが、高い五重の塔や大きな本堂を1000年以上支えているのです。
阪神大震災でも倒壊しませんでした。
実際に行って礎石を見る。
地面に石が置いてある。
一つ一つ形が違う石。
その上に、柱が乗せてあるだけ。
びくともしないその存在感。圧倒されます。
私にとってこの本は、
全頁、あますところなく学びや気づきが
ぎっしりぎちぎちに詰まっています。
特に
「用材は木を買わず山を買え」
「木は生育の方位のまま使え」
「木組みは木の癖で組め」
という1300年前の飛鳥工人の口伝。
いや、すごいです。
「山を買え」は、「使う木をは育てろ」という意味なんです。
30年前の段階で、すでに薬師寺を建て直すための
1000年持つ檜(ひのき)は日本にありませんでした。
使われているのは、台湾まで行って西岡さんが探してきた木です。
日本は、木を育ててこなかったんです。
「生育の方位のまま」は、
北に生えていた木は、北の柱に使え、という意味。
それぞれ木には個性があって、個性を生かして使えという意味。
きれいな木、日をたくさん浴びた南の木ばかりではダメだということ。
「木組みは、木の癖で組め」。
これは説明不要ですね。
同じような意味で、
「木組みは、工人の心組み」
という言葉もあります。
宝のような飛鳥の人たちの知恵と
宮大工西岡さんの職人魂があふれた本。
それが「木のいのち木の心」という本です。
最近では、唐招提寺が10年にわたる平成大修理を終えたところです。
これも奈良時代の建物。
これらの修理と呼ばれる工事。
どうやって建て直すか、ご存知ですか?
ぜんぶ解体するんです。
ひとつひとつ、壊さずに木組みをはずして、
腐った部分や欠けた部分を木組みで補強したり、
新しい木を組んで直すんです。
木の遠くなるような作業です。
そうやって、解体しながら、
飛鳥の工人たちが、どんな知恵と工夫で木を組んだのか、
学んでいくのが宮大工の仕事なんです。
その知恵を建てるときに使う。
マニュアルも設計図も無い。
そうやって見直すと、古い建物の感動は倍増します。
それを残した職人たちの姿を思い浮かべて、また感動。
そういう仕事したい、そんな職人になりたい、そんな棟梁になりたい・・・。
本を読み返し、西岡さんの背中を思い浮かべながら、
「自分なり」の垢を落とし、原点にリセットしています。
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本物の仕事とは、こういう事なんですよね。
本当に生きるってことでもある。。。
樹齢が沢山経ってる木を見ると、神を見たかのような何か大きなパワーの様なものを感じるように、著者の本を読んでると、正しくて大きくて時代を超えて不動の素晴らしきものを沢山感じる。
丸暗記したくなる位好きな本です。
時間をかけた苦労の底力
知らない事でも避けないで解決するのが世の中
大工というのは現場だけじゃない。生活も大工。
時間をかけて覚えた一見無駄な事は、簡単な道具を得たとしても100%の力を出して取り組む姿勢を得られる。
一人前とは百点の仕事をこなすこと。
「木の癖組は・・・中略・・・これ正なり」
とかとか、まだまだいーっぱい素晴らしいお言葉があります。
まさにバイブル。
雑誌プレジデントで数名の起業家が推してた本だったので読みました。
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寺社を建てる宮大工の仕事について書かれている。
ひとつひとつ木の癖を読み取り、悪い癖があってもそれを活かしながら使うことが重要。それは人の使い方にも通じることで、統率下にある大工を思いやり、個性を活かしてあげる。それが出来なければ棟梁は務まらない、と。
西岡氏の仕事にかける思いや、人に対するあたたかさが1ページ1ページから伝わってきた。
この大量生産・大量消費の時代がいつまでも続く訳はなく、そういう時に指針とすべきなのはこういう昔ながらの伝統、脈々と受け継がれてきたものなのではないかと感じた。
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著者の本物っぷりに圧倒。
心構えとかすごいです。
前から思っていたけど、大工とプログラマって似てます。
棟梁はプロマネですね。
システム開発と共通点が多くあった。
開発者も徒弟制度で育てるとかどうでしょ。
ITは建築と違って伝統がないから、
いい伝統が作られるといいな。
心構えは見習いたい。
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職人、伝統、木、宮大工。私の好きな分野なのでいつか読もうと思っていたところ、何かの評でオススメされていたので読んでみた。やはり、1300年の歴史を持つ法隆寺とともに歩んできた職人の言葉は深くて重い。私の気に入った一節は要約すると次のようなもの。「今のような大量生産の画一的で壊れにくいものを使えば、作法も心構えもいらなくなる。反対に昔のお茶碗のように人が丁寧に作ったものは丁寧に扱うし、二つと同じものがないから気に入ったら大事にする、他人のものならなお大事にするだろう。そうやって、物に対しても人に対しても思いやりが生まれる。均一の世界、壊れない世界、どないしてもいい世界からは文化は生まれません」。こんな感じで、文化や人を育てること、仕事に対する覚悟などが語られます。頑固一徹な職人らしいこだわりもあり、今の世の中では通用しないんじゃないの?と思う向きもあるかも知れませんが、その思想を自分の核にすえて、少しでも理想の形に近づけるよう日々暮らしていきたい、私が目指したいのはこの方向だな、と感じた一冊でした。
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伝説の宮大工、西岡常一のことば。
ものを「創る」こととはどういうものか、教えてもらったような気がした。
以下印象に残った個所を抜粋。
「癖と言うのは悪いものではない、使い方なんです」
木の癖をしっかりと生かした建物は、長くしっかりとした建物になる。人間の性格も一緒だと、西岡はいう。
「これは飛鳥人が本当に深く自分の風土を理解した上での創造でっせ」
湿気の強い日本の風土に合わせて、軒を長くして雨を防ぎ、建物を乗せる土台を高く設定しながら、旧来の掘立式ではなく、大陸から伝わった建築様式を使用する。ある技術を環境に合わせて、最適化し、新たなものを創造する。そして何千年後にも残り、芸術性も高いものを生み出す。
これこそが職人の仕事であるなと感じた。マーケティングも同様。マーケットイン、プロダクトアウト、の二項対立ではなく、両者の融合、止揚した点に存在するのだろう。創造性=新しいもの、ではない。
「学校みたいに『そんなん聞いてません』というて逃げられませんわな。知らんことでも解決せなならんのです。解決せな家が建たんですからな」
与えられることを欲してはだめ。ではそのためにはどうすればいいのか。
家を建てればいい。すなわち、何か目的を持って取り組むことが重要だと言うことだ。ただ給料をもらうため、怒られないため、に作業をしていると、この大事な点がなくなってしまう。自分が目指すものに対する通り道として全てを捉えること、そうすれば能動的な姿勢にならざるをえない。
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日本最後の宮大工が書いた本。人材論として読んでも、理論一辺倒で人の感覚から離れてしまいがちな現代へのアンチテーゼとしても読めたを
読了後、体験の重要さを再認識した。やはり文字だけ、言葉だけに頼るのは限界があると再認識しました。
ただこの考え方を教育法としてそのまますべてのやり方に適用できるとは思えませんでした。
大本営参謀の情報戦記で堀英三が『陸軍の陸大の参謀教育は高度な教育で仕上げたエリートだけが担うだけでなく、戦時に必要なアメリカ式のマニュアル式即成参謀も必要ではなかったか?』と日本陸軍の中間層の厚みの点について書いていたことを思い出した。
この本にあるように少数が少数へ伝えて行く教育も大事だが、少数から多数への教育もまた大事だと思います。ようはバランスと思います。
次はこの方の弟子の本を読んで見ます。