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【症例報告】
街歩きしていると、知人と話しているにせよ視線が散らかるようになった。
建物のスキマの暗がりに惹かれ、足が止まるようになった。
マンホールの意匠が気になって、うかうか踏めなくなった。
壁面から伸びるナゾの突起物が視界に映るたび、動悸を起こすようになった。
迷子になる機会が増えたものの、深刻に捉えられずむしろ楽観視してしまう。
いつの間にかカメラのフォルダが奇観で溢れかえっている。
歩く距離が伸び、激しく肩が痛む(→「愛書狂」レビュー参照)ようになった。
道端に落ちている有象無象をよく持ち帰るようになった。秋はドングリ。
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赤瀬川原平のトマソンをはじめ、
林丈二のマンホールの蓋のマーク、放し飼いの犬の歩きまわるコース、パリ旅行中に見かけた犬のフン、旅行中の放屁、泊まったホテルの部屋の記録や、
南伸坊のドブ川に浮いているもの、筆者が住んでいた団地の向かいの住人の行動、同じデザインなのに使われ方が全て違う街中のゴミ箱の記録etc...
森羅万象を学問にして、真面目に研究発表しているようすがとてもおかしくてハマって読んでしまった。
本書の中でも色んなところでも「役に立たない」とかいわれているが、そうではないんじゃないかと思う。
南氏がドブ川に浮いているものの観察をしていなければ、胎児が浮いていることに誰も気づかずそのまま流されていたかもしれないし(学問として役立つかは別として)、林氏のホテルの部屋の記録はホテルの客室をデザインする人の参考になるかもしれないし、どこかで必ず役立つのではと思っている(本人たちは役に立たないことを面白がっているので不本意かもしれないが…)。
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「トマソン」の背景にあった数々の営みを知ることができた。考現学なる学問?があったとは。大震災や空襲がトリガーになったという話も興味深い。本書に登場するささやかな研究もひとつひとつ面白い。今やろうとして、もちろんできるだろうが、ここまでユニークなものは果たして街に残っているだろうか?とも思った。個人的にひとつのアイディアとして植木鉢の観察はしてみたいと思った。