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目利きの天才 青山二郎 「眼の哲学 利休伝ノート 」 エッセイ
放心状態の時の目玉、自我を持たぬ目玉、思考に征服されずに見るなど 全くピンと来ない表現ばかりだが、心に留めておく。
利休の凄さを、茶道という思想より、茶器という物に目付けしたあたり、さすが 天才 青山二郎と思う。
色の強さを重視した 梅原龍三郎 論も面白い。
眼の哲学「見たままのものが即ち内容である」
*放心状態の時の目玉の働き→自我を持たぬ目玉→黙って坐ればピタリと当てる眼
*眼は模倣を強要され 思考に征服される〜頭の助けを借り過ぎている我々の眼→物の在り方というべき形態を見落とす
利休論
*茶道や茶器は 利休の頭の中に深く隠れたもの、何かの手がかりに過ぎない
*利休の偉さは 物を観念の手がかりにしなかったこと〜物から茶が生まれ、茶に茶器という物が利用された〜物を師として仰ぎ、茶道具を友として愛した〜茶道具から利休の茶道が生まれた
梅原龍三郎論
*目がくらくらしてくる〜度肝を抜かれる
*こういう強い感銘の驚きは 他の人の絵にはない〜梅原さんの絵だけあるのは どういうことか解らない
*梅原さんの色=鍛冶屋が鉄を鍛えてきたように 自然から叩き上げた色〜花の香り、女の血
*色自体が構想と化して 絵画の構想を食う→最初は観念であった色が 精神を表現し〜色達の意志が画面に充満する
*北京作品は 自然に対して 信を置いた、梅原さんが心を空しくした
*一人一人の性格や趣味まで分かりそうな掴み方
「支那の文化は筆の文化である」
書そのものが言葉〜人は画を見るように書かれた言葉を眺める