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心にドシンと来る言葉がたくさんあります。
優しく、厳しく…読み返すのは少し心が曇った
時が多いのですが、いつの間にか前向きになって
います。
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初めの詩にどきんとしてそのままどきどきしながら読み終えた
いつの間にか持ってた持ってることにすら気づかなかった小さな棘やホコリが読み終わるときれいに流されて大掃除をした後みたいなすがすがしさだけ残った
ことばの持つ力におののきました
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子供のころ、なんとも思わなかった「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という詩。
それからしばらく経って、戦争中に、一国民として戦争を支持してしまった自分に対する詩だということを知ったとき、衝撃を受けた記憶がある。
偉い誰かのせいにしてしまいそうになると、この詩を思い出す。
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私が強くなれる言葉。
茨木のり子さんの詩は、どの詩も、
まっすぐに前を向こう、という気持ちになります。
「ぱさぱさに乾いていく心を ひとのせいにするな
…
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
も大好きだし、
「わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
…
だから決めた できれば長生きすることに」
も素敵だし、
「落ちこぼれ 華々しい意志であれ」
も潔くて好き。
同じくらい大好きな、
「寄りかからず
…
寄りかかるのは 椅子の背だけ」
が入っていないのが、残念。
何度も、何度も、
繰り返し読みます。
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詩集としてはもっといいものが他にあったけれど、装丁かあまりに可愛らしかったためこちらを購入。
中もかわいい(*´ω`*)
大学までは自分の感受性くらい という詩が好きだった。
でも今はこれを読むのが辛い。
だって仕方ないじゃないとひっそり呟いてしまう。
なんて弱くつまらない人間になったんだろう私は。
そう思って泣いていた。
娘たち
さくら
一人は賑やか
落ちこぼれ
大男のための子守唄
汲む
つまらない人間になりはしましたが、もしかしたらまた強くてつまらなくない人になれるかもしれないと読んでて思った。
この人は怒れる強いひと。
でもすごく優しい。
私は出来損ないのなりそこないだけど、
ここに出てくる落ちこぼれのように素敵な落ちこぼれになりたいなと思った。
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気に入った詩は
・自分の感受性くらい
・娘たち
・汲む
・わたしが一番きれいだったとき
『自分の感受性くらい』
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかあを失ったのはどちらなのか…(続く)
ときどき手に取って読みたくなる本。
人としての生きざまを見つめなおしたくなる。
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とても好きな詩集。何かの機会に女性の友人に贈り物としてつかったこともあります。
手に取る度に、気になったりしっくり来る詩が変わるところに、自分自身のその時の状況や成長を感じたりしています。
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詩なんて読んでもピンとくることはなかったのですが
・・・。とある書評から気になり手に取りました。茨木のり子さんは有名な方だと思うのですが、知りませんでした。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
今の自分の戒めのような詩。
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著者初の詞華集。
今年春に世田谷文学館で行われた著者の展覧会に行ったのをきっかけに再読。
淡い色使いの可愛らしい表紙に油断をしてページを捲ると、一作目は「自分の感受性くらい」。いきなりガツンと殴られる。余計なものをそぎ落とした力強くも逞しい詩から、軽快な言葉遊び、そして女性らしい素直だったりそうでない感情など。
詩というと少し深読みが必要だったり言葉の意味を図りかねる場合もあるが、著者の詩は飾り気がなくて、実直で、堂々としている。茨木さんの詩を前にすると「叱咤激励」という言葉が頭に浮かぶ。
でも個人的には茨木さんの恋の詩が好き。ちょっと意地っ張りな雰囲気が可愛らしい。
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・茨木のり子の代表的な詩を集めたアンソロジー。きれいな装丁と挿絵もあいまって、心洗われる一冊。
・冬眠に入った静かな動物たちを引きあいに出して、「師も走る / などと言って / 人間だけが息つくひまなく / 動きまわり / 忙しさとひきかえに / 大切なものを / ぽとぽとと 落してゆきます」と綴った「十二月のうた」など、ひとつひとつの詩に思わずハッとさせられる。
・傑作の誉れ高い「自分の感受性くらい」だが、こうして他の詩と並べてみると、本篇の中ではちょっと浮いているような気が。叙情詩とはいえ、具体的な情景がありありと目に浮かぶ茨木の詩の中にあって、この詩はどこか抽象的で説教臭いところがあって…。この詩に茨木の特性が最大限に発揮されているかと言われると、「うーん」という感じ。ただ、「自分の感受性くらい」を一番最初に、そして「汲む」を一番最後に持ってきて、両者を一対として編んでいるところなんかは絶妙な編纂だと思う。
・個人的には「落ちこぼれ」が一番好き。落ちこぼれが生まれないようなシステムが構築されている社会において、自らの意志と責任のもとで自由かつ主体的に生きようとすると、必然的に既成の枠からはみでて落ちこぼれることになる。しかし、いつの時代においても、閉塞した社会に風穴を開けてきたのはこうしたトリックスター的存在ではなかったか。「落ちこぼれ / 結果ではなく / 落ちこぼれ / 華々しい意志であれ」という一句は、型に嵌まることを拒絶する者にとっての、静かな、しかし力強い応援歌だ。
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どれもよかったが、特にはじめと終わりのがよかった。『自分の感受性くらい』と『汲む』。仕事という文字が私の目には特に入ってきたな
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汲む が収録されている。
頼りない生牡蠣のような感受性、触れたらすぐに崩れ落ちてしまうような、世界にピンと意識を張って、張っているからこそ頼りない。そんな大切な感受性。そのままでいいのだと。大人になるということは、その感受性を武装して固めて押しとどめることではないのだと。そういった柔らかくうつくしいところから何か善きものが生まれてくるのだと。そう言えるのは詩人だからなのだろうか。それとも万人に共通することなのだろうか。そういう世界であってほしいとわたしは強く思っている。それにしても最後の言葉が胸を離れない。
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きりりと、そして感受性の豊かな詩の数々。素敵な女性…。
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
は、はい…(^_^;)
背筋がピンと伸びます。
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女性として生きていくということについて考えさせられた。
男性社会で女性であることに誇りをもって戦って生きていくにはこれほど強く厳しくそれでいて慈悲深くなければならないのだと思った。
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小さな詩集ですが、大事に少しずつ読みました。
茨木のり子さんの言葉は、まっすぐ心に響いてきて、読むと背中がすっくと伸びる気がします。
大切にしたい言葉がたくさん詰まっていて、ずっとそばに置いておきたいと思う。
だから小さくてちょうどいいんだ。
大きいと、いつしか邪魔になる。
「友人」という詩の中の一節。
遠く住み 会ったこともないのに
ちかちか瞬きあう心の通い路なども在ったりする
ブログを始めなかったらぴんと来なかったかもしれない。
経験したことしかわからないのではだめだ。
経験していなくても想像できるようにならなければ。
もっと心を柔らかくしなければ。