紙の本
ピンカーの言語観への入り口
2018/07/03 16:27
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投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『こころの仕組み』で有名なスティーブン・ピンカーの主著である。言語の研究では、本書が引用されることがよくある。本書では、言語の基礎知識と言語思想の歴史を辿る。その内容が下巻への伏線となる。
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The Language Instinctの邦訳。内容は面白い部分もあるけれど、英語のユーモアたっぷりな本著は、翻訳が苦しい。英語も簡単とはいえないが、英語で読んだほうが分かりやすい。
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言語というものをその権威スティーブンピンカーが一般読者にも理解し易いように例を交えながら説いた一冊の上巻。
言語に対して知的好奇心を覚えるのなら、専門知識が無い人でも読んでみれば、その欲求を少なからず叶えてくれる良書である。
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言語は本能である。全ての人が文法的に話す偉大さ。非文法的な学会。ピジンからクレオールへ。言語を創り出す子供たち。言語は思考を規定しない。イヌイット都市伝説。有限個の材料を無限に使いこなす。ヘッドの位置。脅威のリスニング能力。規則性、新語に対する。規則性による思考・記憶の効率化。暗黙知。
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【1995年(原書1994年)】
「人の思考は母語によって枠づけられる」、というのがワシらの時代の常識であったが、近頃は、「脳内に普遍文法が生得的に存在する」という説が有力なんだとか。本書(上巻)を読んだ限りでは、まだ信じがたい。ただ本書の中で、人がクレオールを獲得していく話は興味深かった。
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<内容>
母語が思考を枠づける、とするサピア、ウォーフの言語決定論を実証的にしりぞけ、言語本能説の前提として、人は普遍的な心的言語で思考することをまず洞察する。さらに、文法のスーパールールが生得であること、その基本原理を幼児は母語に応用して言葉を獲得することを、最新の発達心理学等から確認する。チョムスキー理論をこえて、人がものを考え、言葉を習得し、話し、理解するとき、心の中で何が起きているかを解き明かす、アメリカで大きな反響をよんだベストセラー。
(BOOK」データベースより)
<感想>
発売当初から話題になった本ということもあり、洗練された議論の進め方だったり随処に至るトリビアルな知識が知的欲求を満たしてくれる。一方で、かなり噛み砕いて説明がなされているにも関わらず、テーマ上どうしても難しい部分があったり、使われている例文や表現も英語ベースのものばかりだったりするので、予備知識がない読者にとっては結構大変なんじゃないかな、と思ったりも。
いずれにせよ、初版からかなりの時間がたってはいるが、基本的な内容はそう色褪せてはおらず、普遍文法や言語能力についての概略的説明としても、疑似科学的な言語に対する通説をバッサリと斬ってくれる読み物としても、良書であると思う。ただし、普遍文法や言語の生得説があくまでも一理論であり、Michael Tomaselloのレビューに見られるような批判や違う方向からの研究もまた数多くあるということには留意しなければならない。そしてその辺の議論を追っていくのもまた、ホットなテーマを扱った本書を読む面白さではないかと思う。
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[ 内容 ]
母語が思考を枠づける、とするサピア、ウォーフの言語決定論を実証的にしりぞけ、言語本能説の前提として、人は普遍的な心的言語で思考することをまず洞察する。
さらに、文法のスーパールールが生得であること、その基本原理を幼児は母語に応用して言葉を獲得することを、最新の発達心理学等から確認する。
チョムスキー理論をこえて、人がものを考え、言葉を習得し、話し、理解するとき、心の中で何が起きているかを解き明かす、アメリカで大きな反響をよんだベストセラー。
[ 目次 ]
1 技能を獲得する本能―言語本能
2 おしゃべり―ヒトのあるところ、必ず複雑な文法あり
3 思考の言葉―心的言語
4 言語の仕組み―生得のスーパールール
5 言葉、言葉、言葉
6 サウンド・オブ・サイレンス
7 トーキングヘッズ―文を理解する心的プログラム
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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人の思考は母国語によって枠付けられるという考え方を否定し、言語とは本能であると説いている。
母国語が人の性格に影響するというのはこれまでに聞いたことがあって、英語を母国語とする人のほうがより論理的に思考しやすく、日本語を話す人は、周囲の環境などに目を向けやすいなどといった理論には納得させられていた(内容については、記憶があいまいなので、若干違うかも?)。だけど、この言語にはスーパールールがあり、どの言語に関わらず、人間は本能として言語を話す能力を持っているという説もとても説得力がある。
言語というのは、体系であり、どの人間にも中身は備わっているものの、その整理法は言語によって様々であると整理できようか?
ただ、話すという行為自体が本能的なものであったとしても、その整理方法によって思考の方向性が変わることもありうるのではないか?どちらで無ければならないの?という疑問がわいてくる。
まだ、上巻しか読んでいないので、下巻を読んだら、もっと納得できるのかな?
大枠はつかめたと思うのだけれど、真ん中あたりの、具体的な例については、さっぱり訳がわからなかった。というか、たぶん日本語で読むことに、無理があるのだろう。英語の文法の細かい内容に興味も持てず。ただ流してしまった感じだ。ほかの人のレビューを読むと、英語で読むほうがわかりやすいと。なるほどと思う。ただ、英語で読むほど言語学に興味があるわけでも無いので、とりあえず、下巻も読み流して、雑学の一部にできればと思う。
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言語は後天的に身につけるものである、とは言い切れないというのが本書の主張するところ。いままで何の疑いもなく、言語は後天的なものだと思っていたのですが、本書を読んで、人間の本能レベルのところで言語を生み出す仕組みがあるという考え方にも一理あると感じました。心理学、言語学からコンピュータ科学にもちょっと触れていたりします。しかし、1990年代半ばの本のため、若干内容が古いかもしれません。言語学に絡んだ話としては、原著が英語であることから当然なのですが、英語文法を題材にしたものが多いです。ちょっとこれが読むのがつらかった。この本は読んでよかったと思える本です。この本を読んだ上で、「語りえぬものには沈黙しなければならない」という某哲学者のフレーズを、もう一度咀嚼したくなりました。※上下巻とも同じレビューです。
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これは面白い。思考は言語に規定されるという一般意味論は科学的根拠がないのだと一刀し、言語能力(特に文法)というのは人間が直立歩行するのと同じように、本能的に形成されたものだという主張をダーウィンの進化論やチョムスキーの生成文法と関連付けて展開する。英文法の構造の解説は流石に飛ばし飛ばしになりつつも、クレオール言語の形成や心的言語の解説箇所は本当に刺激的だし、「文法は、耳と口と脳を結びつける仲介者」なんて比喩もセンスが効いている。ちなみに、『虐殺器官』の中核をなす言語論の内容は、本書からほぼそのままの引用。
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言語を客観的に分析することは難しと思うが,本書では「読みづらい文」や「同じくらい複雑な割に,読みやすい文」が挙げてある。これらの文章は確かに読みづらかったり,複雑な割に案外読めちゃったりして,読者としても言語の背景に普遍的なルールの存在を体感し自然に受け入れやすいように工夫して書いてあって感心した。
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著者はハーバード大学心理学研究室教授。そもそも言語が思考全体を規定するのではなく、言語が認識や認知の枠組み、アーキテクチャーを規定すると考えていたので、著者の、思考を生むのは言語ではないという批判は的外れではないか、という気がしながら読み進めた。また、言語獲得能力生得説も今更の感があって、目新しくはなかったかも、と思ったら、1995年刊行と少し前に刊行された書でしたね。
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「言語が思考を制約する」と考えるのは、ある意味、20世紀の社会科学の大きなトレンドではないだろうか。ソシュールの言語学に始まる構造主義や記号論、文化相対主義を主導する文化人類学や解釈学など。こうした傾向は、実証主義的な傾向の強い英米系でも一定のポジションを得ており、哲学の分野では「言語が考えられる事の限界を示す」とするウィトゲンシュタインや言語哲学の一派や「言葉が現実を構築する」とする社会的構築主義など。社会現象面でも、PC(ポリティカリー・コレクト)もそうしたトレンドのなかにあって、言語決定論は、文化相対主義と連動しつつ、政治的には、民主主義や多元主義と連動するものともなっているのだ。
一方、この議論も、ちょっと行過ぎているのではないか、と思うところもあって、自然科学の全てを含めて全部相対化されてしまったり(自然科学も、たしかにクーンのパラダイム論でいうような人間の認識のパラダイムによる相対性はあるのだが)、自然的なものと思われる性差も結局社会的に構築されるジェンダーなのだ、というところまでいくと、?な気がする。
やっぱり、程度の差というものは、あるんじゃないの?
という気分でいるところに、ちょっとした気分転換を図ってくれるさわやかな本であった。
言語は、人間の社会的構築ではなく、脳の本能によって生み出されるものである。また、言語の前に、言語化されない思考があり、言語によって思考が構築されるわけではない。ということを、言語学や心理学、進化論、脳生理学などなど、さまざまな角度から論証していく。
事例が、英語によっているところが多くて、ちょっとニュアンスが分からないところも多いが、内容はおおむね、そうだろーなー、と思えるものであった。
特に、移民の集まりが片言の文法化されない言葉でコミュニケーションをとっている状態から、第2世代の誕生とともに、クレオールとして、一挙に文法化され、言語的に洗練されたものになるというあたりは、とてもスリリングだったな。
でも、ピンカーが批判の対象としているほど、社会的構築主義の論者は、単純な言語決定論を主張しているのかなー、というのはやや疑問である。一部の極端な論者を例外とすれば、脳の構造が、一種の文法を持っており、この文法に基づいて(一見)多様な言語が生じてくる、という主張は、それほど違和感を持たないのではないだろうか?
つまり、言語化されていない思考までも含めて、一種の言語、文法的なルールに基づいているというのが、「言語によって思考が決定されている」という意味じゃなかろうか。
また、言語化されるまえの思考が言語を通じて表現されると同時に、社会化された言語が思考に影響するという側面もあるんじゃないかな、と思う。
つまりは、「言語決定論」も「脳決定論」も同じ穴のムジナじゃなかろうか、という気がするな。
なにかによって一元的に「決定」されるというのはないんじゃないかな、と思うんだけど。。。。
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この著書で一気に高名となりました。
この当時ピンカー氏はまだジャーナリストとして見られてましたが。
紹介するにしても専門筋じゃないよ的な感じで。
肩書きなんて飾りですよ。
自称「脳科学者(そもそもコレ自体わからんちん)」
でも通る世の中です。実験一切やっとらんけど・・・
よその研究成果を我が事の如く開陳するのはチョット・・
そリャあね、一般ピープルは専門雑誌読みませんて。
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20年前には「できそうにない」と思われていたことが、「できるかも」になってきている。もちろん、「やっぱり、だめだ」も多いのだけど。