投稿元:
レビューを見る
「劇的とは」と言う全く抽象的で何が書いているか開いてみなければ分からないといった様な本だったが、目次を開いてみると演劇の話なんだと思って買って読んでみた。ヨーロッパ古典劇の章が一番興味があって面白かった。はじめにの所で「一種の戯曲論入門みたいになった」と書いてあったが、劇的といった抽象的なことを考えるのにそういった具体的な所から入っていくのは必然かとも思った。ついでに演劇論・戯曲論入門といった類の本も読んでみたいと思う。ちなみに、平家物語に関して触れていた章では、「鵯越という地名は神戸市兵庫区に現在存在する」とあったが現在神戸市兵庫区は北区と兵庫区に分割されたので、鵯越は北区にある。この本が書かれた時期にも既にそうだったので作者の勉強不足だろう。こう考えると本を書くのは慎重じゃなければならないなと変に考えてしまった。
投稿元:
レビューを見る
役者としてかねてより劇的空間に関し思考を巡らす日々であったが、この本はその逡巡に一つ、二つの筋道を示すものであった。西欧古典や日本伝統を引き合いに、ドラマの本質とは、戯曲の成り立ちとはいかなるものであるかを問い、最後に一過性のカタルシスにそれらを留めてしまわぬようにと警告を発する。これからの随想に一役も二役も買う意味ある読書に喜びを覚えた。
投稿元:
レビューを見る
NHK『人間大学』の中で著者が論じた内容を纏めた本。
著者の考える戯曲とその他の文学作品との違い、また戯曲独特の性質などを、馬術(!?)・ヨーロッパ古典劇・日本古典劇・ことば・平家物語、という5つのテーマから考察していく。
いきなり始まるのが「馬の話」。目次を見て「?」だったものが、馬術競技と競馬との違いに喩えられた戯曲と小説との違いの説明を読んで「!」に変わる。スッと腑に落ちる感覚がわかる。
さらにそのすぐ後に述べられる「ある殺人」という段も、直接言葉にはできない「劇的」なる感覚を非常にわかりやすく伝える好例である。
しかしながら、現代演劇は日々その諸相を変えていく。本書に書かれた「劇的」なるものから離れようとする動きや、テーマ性から乖離していくトリッキーな演劇も現在進行形であまた見られる。著者自身もまた自身の論ずる「劇的」の中で新たな表現方法を模索していることが語られている。
現代の「劇的」なるものとは何か。そもそも「劇的」な劇が現代に存在するのか。本書を手がかりにして、そんなことを考えてみるのもまた面白いのではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
劇的なもの…それは案外日常にも
紛れ込んでいるのかもしれませんね。
著者の考えには一種の哲学があります。
追い求めすぎると、それは離れていく。
夕鶴は誰しもが知る物語だけれども
つうが幸せを望んで誠心誠意相手に尽くしても
相手にはそれが伝わらない。
そして気が付いた時には…
それと我が国には耳の痛い事柄が
数多く出てきます。
そう、後に延ばしをした結果がこのありさま。
先にさっさといろいろしていればきっと
こじらせなかったのでしょうね、あそこは。
興味深い本でしたね。
日本と海外の劇の違いも出てきますし。