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心理学では有名な「交流分析(エリック・バーン)」について書かれた本です。心理学に興味のない方が読まれても、新しい発見と大きな気づきが生まれ、「自己理解」が深まることと思います。
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交流分析というのは、心理療法の一つのジャンルで行動療法に含まれもするが、内容としては精神分析の一派である。ちなみに、心理療法には大まかにわけると、精神分析と行動療法という、前者は心理状態を内側から力動的に把握する、後者は心理状態が外部に表出した行動を改善する、といったアプローチであるのだけれども、交流分析は、精神分析をわかりやすくした上で、行動面からアプローチをとるという両者の中間的な性質を持ちうる。具体的には、C(child)、P(parent)、A(adult)の三つを用いる。C=欲動=エゴ、イドであり、P=超自我=規律、A=自我=理性といった具合である。だが、交流分析は更にPとCを分化する。PはCP(critical parent)=批判的P、NP(nurturing parent)=保護的P、FP(free child)=自由なC、AP(adapted child)=適応したCといった具合である。精神分析的に言えば、CP=超自我であり、FP=イドとなるわけだから、精神分析よりも、こちらのほうがいわゆる母性であるNPやよい子であるAPを含んでいるだけより現代的と言えるのかもしれない。そして、それぞれの人々はそれぞれのPACを用いて交流している、というところから交流分析という名前がついているようだ。これを交流している際に、互いに思ったとおりの交流が出来ている場合、それがずれている場合、また表面的な交流と同時に裏面的(真意)的な交流がなされている場合などパターンわけすることでそれぞれの交流の分析を進めていくこととなる。ちなみにゲーム分析や脚本分析はそれほどいい意味で使われてはいない。というのも、交流分析が治療法であるからであり、その治療をする際に、クライエントの症状を分析するゲーム分析や脚本分析が+となるわけもないからである。ゲーム分析というのは一種のゲームのようにして、プレイヤーによって交流が歪められている場合であり、脚本分析というのはプレイヤーが予めつくった脚本をなぞるようにして交流が行われてしまうことを言っている。そして、この悪循環からの交流をやめるためには、今現在行われている交流をしっかりと理解すべきであるし、理解した上で必要なストローク=接触的な愛情を与えるべきである、としている。また、最後に特性論を用いた類型論的性格がのっている。いわゆる、自己肯定他者肯定、自己否定他者肯定、自己肯定他者否定、自己否定他者否定の四つである。これは実際にエゴグラムという、上述のPACをグラフ化することでその傾きから性格を見るというものである。自分は自己肯定他者肯定となった。NPが一番高く、次がAというのがその特徴らしい。自分はNPが異様に高く、Aもけっこう高い、次いで他の三つが横並びといった状況である。表面的に見たら、随分といい感じだし、一般的に見てもみんなが自分のことをそう評価してくれる。「明るくて協調性があり優しい、真面目で努力家、責任感が強く一生懸命、後は不器用で猪突猛進のきらいあり」みたいな感じだろうか。しかし、内面は必ずしもそうではないのである。といったあたりが、交流分析が行動療法に含まれるゆえんなのだろう。あと、実利性が強いところもあまり好きにはなれないかな。
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交流分析について、さらっと全体の解説があって、雰囲気がわかった気がする。
で、実践に向けて、という話だと、個人的にはパターンわけはあまり好きではないので、参考にしつつもこの通りにはやらないんだろうなぁ。
いろんなタイプやケースがあるんですよ!っていう参考にはなるかも。
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2週間くらいで読了。
見た目は難しそうな本ですが、意外と読み進めやすかったです。
自分自身を振り返るのに良かったと思います。
第一章は構造分析。自我状態の三つについて概略を説明しています。
P(Parent)、A(Adult)、C(Child)の三つに分類されます。
また、更にPはCP(Critical Parent)とNP(Nurturing Parent)に、CはFC(Free Child)とAC(Adapted Child)に分類されます。
具体的な例が書いてあるのでイメージはしやすいです。
エゴグラム・チェックリストで50個の質問に答えると自分のエゴグラムがわかります。
私はCP、A、ACが高いタイプでした。
高いものを下げるのではなく、低い項目を上げるように工夫するとバランスが取りやすいそうです。
第二章は交流パターンの分析。
相補的交流と交叉的交流、裏面的交流のパターンが紹介されます。
第三章はゲーム分析。
ゲームとは(いわゆる遊びではなく)表面的なやりとりとは異なり裏面的な自我状態が働き破壊的な結末を持って集結するというもの。
「はい、でも」や「仲間割れ」、「あなたのせいでこんなになった」など、さまざまなパターンが説明されています。
私は「苦労性」のパターンがありそうです。
ゲームには公式があり、Con(仕掛人)→Gimmick(弱点を持つ相手)→Response(反応)→Switch(役割の交替)→X(Cross-up:混乱)→P.O.(Payoff:結末)の形の交流になるそうです。
ゲームになると厄介なので、どう対処するかは、交叉的交流を用いる、フィードバック的交流をする、Aの姿勢をとる、値引きを止めるなどがあります。
第四章はストロークについて。
ストロークの種類は、陽性の無条件のストローク(無条件の愛)、陽性の条件付きのストローク、陰性の無条件のストローク、陰性の条件付きストロークがあります。
どのようなストロークを普段人や自分に与えているのかを考えるのは有益そうでした。
第五章は時間の構造化。
時間の構造化によるストローク交換の密度は、自閉、儀式、活動・仕事、雑談、ゲーム、親交の順となります。
自分のストローク生活の内容を振り返ると活動が大きな割合を占めていそうです。
第六章は基本的構え。
私はOKではない・他人はOKである、私はOKである・他人はOKでない、私も他人もOKでない、私も他人もOKであるの4パターンになります。
第七章は脚本分析。
脚本のタイプは破壊的な脚本、平凡な脚本、成功者の脚本です。
成功者の脚本にならないのは禁止令が原因。
幼児期の親からの影響が非常に大きいことがわかりました。
全体を通して、自分のエゴグラムなどから振り返りができましたし、もう少しNPやFCを意識した交流ができるといいのかなと思いました。
この本のシリーズの中では一番初歩の本なので、とっつきやすかったです。
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わかりづらい交流分析、に題名を変えるべき。
概念の説明が不十分で用語が何を指すのかわからない、体系的な理解を深めるため各章ごとの内容を繋ぐ記述が皆無であるため異なる内容の章がぶつ切りに書かれているとしか理解できない、説明が丁寧でなく具体例も出されないので短く論旨不明確な記載からストレスを感じつつ意味を推論する必要がある、と徹底して不親切。
むしろ親切さを意図的に排除して作られているのか?と疑う。
交流分析という臨床技法の興味深さがあるので読み進められたけど、著者は2度と本を描かない方がいい。