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教育界では有名な大村はま氏の著書。
この本が大村はま先生を知る初めての機会であったが、本当の教育をされた偉大な方であったのだろうと感じられた。
こどもが好きで当たり前、いい人で当たり前、一生懸命も当たり前・・・・・
“ほんものの教師”を目指したい。
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以前慶應義塾高校の高橋誠先生の講演のなかで触れられたことがあった「大村はま」さんの本です。
教師は,教えることのプロでなくてはならないのに,教えず,その結果子ども(小学生の先生だった)が勉強しないということをいいわけにすると書かれています。「勉強しなさい」と言わず,子ども(学生)が学ぶようにすることをどうすればよいのかということを考えるきっかけとなります。
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若いころに読んで、もう一度読みたいと思っていたら文庫になっていた(^^)。大村さんの主張は、先生であるということについては、意欲じゃなく、「自分の研究」「専門性」を追及して、こどもが一人でやっていかれるようにすることが大事だ、というものだ。こどもと先生の関係は年齢が(それだけじゃないと思うが)うえだから優越的立場にいるだけで、本来はたいへん尊敬すべき人なのだと思って対峙する、というのを若いときに読んで、そこは鮮明に覚えていた。今になって、自分の研究を続け続けることが必要、とうい箇所に気づいて、あら、とか思ってる。サブリミナルされてたんだろうか。
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こどもにはその時教えなければいけないことが必ずあるのに、それをしないでこどもの自主性を尊重したような顔をしている教師は怠慢である。学ぶことの楽しさを知った最近、なぜ先生はもっとおもしろい授業をしてくれなかったのだろうと思ってしまう。こどもが勉強ができないのは教師の責任である。それくらいの覚悟が無くて何が「教える師」なのか。
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~09/06/26
生徒たちに最も適切な指導はなんなのか、常に新しいことを考え続けていく熱意が伝わってきます。
プロの教師としての質の高さを追求する大村はま先生の言葉は、これから先も語り継がれていくべきだと思います。
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教師になるなら読んだ方が良いね。
でも理想論な気がする。
とりあえず生涯勉強を教師はしなくてはならない!
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教室の魅力,授業の魅力を感じました。
作文の指導やあいさつの話など,とても勉強になります。
そして,大村はま先生の文章はとても美しくて,ついつい笑顔になって読んでしまいます。
お釈迦様の指の話は,よく引用されてますね。
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国語教育の大家、教育の大家としてあまりにも有名な大村はま先生の講演を収録したものです。
教師に対して非常に厳しいことが書いてあります(具体例を挙げれば「『静かにしなさい』は教師の禁句である」)が、まさにその通りだと思います。逆に、それくらい強い気持ちでないと教員は務まらないと思います。
また、印象的だったのは仏様の指もそうですが、そのあとの節です。
「もし本当にすばらしい教師であったなら、子どもは私のことなど思わないかもしれない、と私は思います。(中略)そして、豊かな力を、先生の指が触れたことをも気づかずに、自分の能力と思い、自分のみがき上げた実力であると思って、自信に満ちて、勇ましく次の時代を背負って行ってくれたら、私はほんとうの教師の仕事の成果はそこにあると思うのです。」
教師とはどうあるべきか、教育とはどうあるべきかを考えさせてくれる良書であると思います。
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先生ってそんな存在だったっけ。
自分が小学校時代あたりにはあまり感じられていなかったものを知ることができた。
保育でもそうだけど、子どもを伸ばす、そんな接し方ができたらい。
そういうのができる人って、子ども相手だけじゃなく人間としても芯のある人になっているんだろうな。
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国語を通じて教師とは何か、教えるとはどういうことなのかを
説いている貴重な一冊。教師を目指す人は本当に教師に
なれるのかを自問するいいきっかけを与えてくれます。
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なんと身の引き締まる本であることか。教職への思いを新たにしました。わたしも将来であった子どもたちに、こういう本を読んでおぼえるような感動を日々与えることのできる教師になりたいと強く思いました。
「どのような単元構成にするかは、子どもにつけたい能力ありき」という考え方は、大村先生の弟子である世羅先生から学びましたが、改めてその考え方の根本にある子どもへの愛情を目の当たりにし、背筋がしゃんとしました。
教師という職業はおそろしいです。社会の構造においてもっともおそろしい部分が学校にはある。だれもが当たり前のように学力競争になびき、優劣がパラダイムとなってしまっている。わたしたちはこれからそういう世界に乗り込んでいくのだということを忘れず、現在も、そして教育に関わり続ける限りにおいて、学ぶことをやめてはいけないのだと気持ちを新たにしました。
そして、変わりゆく時代のなか、目の前の子どもたちに対して、数十年前に教壇に立たれていた大村先生の教えはあくまで参考に、わたしはわたしなりにまた次の世代へ希望を繋いでいかなければならない、創造していかなければならないと考えます。偉そうなことを言いますが、この本を読んで、わたしはそういう姿勢を持たなければならないと感じました。
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友達から借りた。教職課程の授業で紹介された。
金八先生のような熱さは良いが、今の時代に通じるのかどうか、大学生の私にはなんとも言えない。
たとえば、教師はさっさと自宅に帰って授業研究をしていた、なんて話は、現代の先生たちには難しいのではないか。「昔は良かった」などという思い出話で終わらせるわけにはいかない。
が、一読の価値はあり。
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態度や見かけにこだわらない、徹底して実質をもとめるところがよい。結果に責任をとること、けしてあきらめないことこそが、教職としての子どもへの愛だと示してくれる。
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実は教師を目指しておりまして・・・・・・。勉強の途で出会った本。教師を志す人、今教師である人がこれを読んだら背筋が伸びる一冊ではないでしょうか。著者は国語科が専門で、内容も国語に関することが多いですが、教科に関わりなく教師にとっては必読ではないでしょうか。特に、教師の教師という職業に対する「甘え」に対する叱責というか、警告についてはよくよく自己を省みなくてはいけないなと思いました。述べられているように、教師には「逃げ道」や「言い訳」がたくさんあるような気がします。「子どものできが悪いから」「本人が努力していないから」「家庭のしつけができていないから」・・・・・・などなど。自分が「子どもが好きだ」という気持ちも、それは甘えではないでしょうか、という指摘にははっとさせられました。教師、先生、という職業はともすれば「特別な」という意識を持ちがちですが、結果をださなければならない「仕事」であることには違いがない。子どもが成長できなければ、それは教師の責任。言い逃れはできないはず。最大限の努力は当たり前、道徳を備えているかどうかなんて、本来ならお話にもならない。「先生」という甘い響きに陶然としている場合ではない、という著者の強い主張が、柔らかい言葉で書かれているけれども、烈しく伝わる本でした。こういう尊敬できる、まさに「先生」と呼ぶにふさわしい方々が確かにいた、そしているはず、なんですが・・・・・・。世の中にはこの本の中で指摘されている「やってはいけない」ことを当然のようにしてしまっている教師のほうが大多数な気がしてしまうのですが・・・。
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職場で同僚と話していて話題になり買い求めた本。おそらく大学時代にも何度か参考文献等に出てきた方なのだろうが、恥ずかしながら私は記憶になく、新鮮な気持ちで購入。著者の講演での語りが4編収録されており、論理的な筋道だった話が一冊にまとめられているわけではないが、著者の一貫した教育実践から抽出された言葉の数々に、深くうなずかざるを得ない良書である。
生徒主体の授業がもてはやされる今日、本当に生徒が主体的に人生を切り開くために教師が何をしなければならないのか、教育・教室・授業に対する根本的なとらえ方を指南してくれる。特に、今日生徒の主体性を促進するという名の下に、教えるべきことを教えず、伝えるべきことを伝えないことへの警句には私自身どきりとした。また、人間性がよければ教師はそれでよいという教育界に流れる文化に触れ、職業人として生徒の力が確実につくような技術を教師は磨かなくてはならないと戒める。
教職に就きながら、教育書からはあまりヒントを得られないと、他の分野の本を読むことが多い私であるが、著者の厳しくも暖かいまなざしに、2010年の新春にあたり、大いに勇気づけられた。感謝されること、生徒に喜ばれることを楽しみながらも、それを第一の動機とせず、社会の一員として、生徒を育てる責務にまっすぐに生きることこそを喜びとできる教師‥。厳しい道であるが、ここを求める教師になれるよう、歩み続けたいと叱咤される傑作である。