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江戸時代、夫と別れたい妻は縁切り寺に駆け込んだということは高校の日本史でも習う事実である。著者、網野善彦氏はこの縁切り寺のような世俗から断絶したアジール(=聖域)は日本に昔から存在したことを証明していく。そのような場は、タイトルである「無縁」「公界」「楽」などと呼ばれていた。そこでは例えば、世俗の身分から切り離されていた、犯罪者の駆込場となっていた、税金の徴収を免れていたなどの特徴を有していたことが示される。わたしたちは「自由」や「平等」といった西欧的価値観を深く深く内面化している。わたしはそれらヨーロッパ(もっといえばヨーロッパ近代)の価値観がどれほど普遍性を持っているのか、西欧と接触する以前、日本に自由、平等の精神と呼びうるものが存在したのかいなかに興味を持っていた。そのことについて考えるきっかけとなった。網野善彦さんの他の著作にもあたってみたい。
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世間一般からの逃避所であり駆込寺でもあった"無縁"、肉親と縁を切り芸能と職人の道を担う"公界"、そして自治都市開かれる市を指す"楽"。こうした場に西洋でいうところの「アジール=逃避所」としての役割を見い出しその歴史と形成を明らかにしていくことによって日本固有の「自由」とは何だったのかを問い直していく網野史学の原点ともいえる本。ここで描かれる自由とは決して楽なものではなく、浮世との断絶を前提とし餓死と隣り合わせの世界。そんな零れ落ちてしまった人たちへの著者の暖かいまなざしに、何よりも心動かされる。
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初めての網野本
知らなかった分野なので割にためになる
結論への飛び付き方は留保
とりあえず他にもいろんな作品よんでから
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【読んだきっかけ】網野善彦氏の研究に興味があった。古本屋にあったので買ってみた。
【内容】縁切寺、中世の市、遍歴する職人や芸能民など、歴史の表舞台に登場しない場や人々のうちに、所有や支配とは別の関係原理、〈無縁〉の原理の展開と衰微を跡づける、日本の歴史学を一変させた書物。(カバー説明引用一部改)
【感想】網野氏の本はこれまで中世の遊女や非人について書かれたものなどを読んでいた。これまでの日本の歴史と呼ばれるものとは違う部分にフォーカスしており大変興味深かったが、この『無縁・公界くがい・楽』も期待を裏切らない内容だった。著者は大名や家臣の縁に繋がる場や人々ではなく、そこから逃避する者や逃げ込む場所、「有縁」の支配の外にある社会について語る。そこは遍歴する海民、山民、商工業者、科人、勧進聖、非人、芸能民らが存在する「無縁」の場で、そこには独自の関係原理と自由があった。中世の自治都市にもその性格があった。
読み間違いもあるかもしれないがこんな話である。私はこれを読んで、おサムライやお百姓中心の歴史・ドラマがいかに風景の一面だけを切り取ったものであるかを感じた。今で言えば政界や経済界だけを描くようなもの。これでは現代社会を正確に描いたとは言えない。
本書は発表当時異端の書とされ、また批判も多かった。著者はこの批判にも正面から対応し、その分の増補がまた長い。私もようやく一度読んだ程度で理解も浅いが、いろいろと創造力をかきたてられる良書だと思う。
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近代から古代まで遡り、駆込寺や楽市など多様な領域に、人間の本源的自由に淵源する無縁の原理の展開をよみとる。日本歴史学の流れを捉え換えた画期的名著。解説=笠松宏至
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文化には、所有や支配とは別の関係原理が作用している。世俗とは切り離された無縁の場が、そこに集う人がどのように文化へ影響を与えているのかが分析されています。
>縁切寺とは逆に、社会から縁を切られた人々のたまり場として機能していた
・江戸時代には無縁寺と呼ばれる、世俗の縁とは切れる場としてお寺が存在した
・無縁の場はアジールと呼ばれる=「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる特殊なエリアのこと
日常と切り離された場所から自由な表現が生まれ、文化が形成されてきた。
祭も、非日常、晴の場として日常と切り離して行われる。
世俗の縁と切れて、自分を表現する場は、どの時代にも必要であり、そこからアートが生まれている
「職人」「芸者」と言われる人たちは無縁の人々であったと網野さんは分析している。
実際に職人は、課税免除、年貢、公事も免除されていた。
自由と平和の場から創造的な活動が生み出されていたという仮説は、現代の都市づくり、組織づくりにも活かせそうなヒントが多いです。
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ネットで見かけて。
面白かったし、読みやすかった。
中世に寄進関係や主従関係で結ばれていない
「無縁」のエリア、人々がいたらしいことは
納得できた。
その無縁所は
ただ神聖な場所ということではなく、
芸能に関係し、婚姻の無効に、借金の棒引きに有効なのはまだしも、
犯罪をも帳消しにできるエリアだということが、
今一つピンと来ない。
納得できないというか。
現代人の感覚なのか。
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従来の、天皇と幕府の二重権力と農本主義に貫かれている日本史観を覆したというだけで、網野史観はスリリングだし、それだけで面白い。
その上、それぞれの時代のアウトローな存在たちに光を当てているのだから、学術書でありながらエンターテイメントの要素をはらんでいて、活劇を読むようにわくわくして読み進めた。
それが学術であれ、エンタメであれ、人の魂を揺さぶるものには、いつも無縁の原理が働いているという。
「無縁」というのは、現代的な意味での無縁とはちょっとちがう。
現代では「無縁仏」とか「無縁社会」とか、個人が社会の中で孤立している状態を指すのだが、網野史観による「無縁」の概念とは、「有縁」「有主」の対立物として浮かび上がる。
定住に対して移動。
国家に対して宗教。
…といった具合に。
しかもそれらは対立ばかりしているわけではなく、常に背中合わせで、密着しながら拮抗している。
具体的な無縁の原理というのは、
場としての市場、境界、社寺、山林、自治都市、関渡津泊、橋、河原、中洲などなど。
人々しての、供御人、職人、手工業人、海民、遊女、聖、山伏、巫女、勝負師、芸能民などなど。
それらは異界と異界の境界に発生し、異界と異界を行き来する人々によってもたらされる。
大阪に現れた最大の自治都市「堺」はまぎれもなく「境」だったのだ。
異界と異界の境とは、この世とあの世の境でもあった。
市には必ず死者が現れる。河原も中洲も浜も山野も、それらは神々と関わる聖域であり、交易芸能の広場であり、平和領域であり、葬送の地であり、刑場でもあった。
「無縁」の原理は階級社会に対しての自由・平和・平等の理想への本源的な希求が貫かれている。これはなにも日本に限ったことではない。
寺院に飛び込むと娑婆世界での縁が断ち切られる。
祭では日常社会の階級が解消される。
でも、このような無縁の原理は、国家(有縁の原理)の台頭によって衰弱してしまう。江戸時代の身分政策や寺請制度、明治以降の近代化によって人々はより権力の管理下に置かれ、無縁の原理は有縁の原理に取り込まれる。
60年代の学生運動などはこうした無縁の原理の希求がその根底に流れているのだろうし、この本が1978年に初出でベストセラーになったというのも興味深い。左翼やリベラルたちの支持を得たのは想像に容易い。
そしてインターネットの登場。
誰もが発信できる双方向のコミュニケーション空間は、それこそ有縁の原理がすみずみまで立ち入ることが困難な、無縁の世界の登場だったのだが、これもまたいつか有縁に取り込まれることになるのだろうか…。
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文学・芸能・美術・宗教等々、人々の魂を揺るがす文化は、みな、この「無縁」の場に生まれ、「無縁」に人々によって担われていると言ってもよかろう。
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アジールの概説が載っている。
図書館借り本本。2016.10.15読了。
縁切、公界の意味が実証的に説明されていて示唆多し。
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暴力のシステムが、ある程度の力を持つとき、それは少数者の保護を約束する。
道々の輩、異形異類と言われる特殊な技能を持つ人々が、かつては職農民同士で国のようなものを作り、他の組織あるいは国と交流していたと説く。
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日本史の泰斗である著者の初期の著。著者が高校教師として生徒たちから訊かれたという質問から始まる謙虚さで、子供の頃の「エンガチョ」という遊戯から、無縁・公界・楽に関わる歴史の残滓を探していく。「無縁」は、領主などの私的隷属を拒否し、無縁の人々という意味。縁切寺(鎌倉の東慶寺、浅草の満徳寺)は夫婦の無縁を実現する「アジール(逃れ場所)」のイメージが強いが、元々は主人からの自由の場でもあったとして冒頭から惹きつけられる。逆に東慶寺の内部には女たちの階層があったとは、ちょっと興冷めではある!無縁の方々が、いかに広範で、日本史上、特に女性史においては無視できない存在であり、社会の活力であったようだが、それが次第に自由を奪われ、差別の対象になっていった歴史。
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乱暴なことかもしれないが、「有縁」の代表たる武士と「無縁」の代表たる朝廷。戦国時代までは住み分けが出来ていたが、徳川幕府による朝廷や寺社への法度、さらに明治の近代化により、社会全体の「有縁化」が進んだ。現代の差別問題は、一部、この有縁化がもたらしているのでは。
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2016年2月「眼横鼻直」
https://www.komazawa-u.ac.jp/facilities/library/plan-special-feature/gannoubichoku/2016/0201-3471.html
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80年代頃の著作ということもあり、多少唯物史観的な観点はありつつも、一次史料を丹念に読み込み、中世世界の容貌を描き出している点で非常に素晴らしい。
特に面白いところは、無縁的な世界を為政者が取り込み自身の統治メカニズムに利用しようとしてきた経緯
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網野氏の本を読むと必ずと言っていいほど地元が出てくる。そんな世間的に注目を浴びてる訳でも、現在社会においてにでも何かの中心とか重要とも思えないのだが。