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網野氏の本を読むと必ずと言っていいほど地元が出てくる。そんな世間的に注目を浴びてる訳でも、現在社会においてにでも何かの中心とか重要とも思えないのだが。
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歴史書というよりも、思想、文化論。
西洋の自由、平等、平和に対して、日本文化としての「無縁、公界、楽」を対置しているわけで、生物学で言えばドーキンスに対するグールドの論を読んでいるような感覚を覚えた。
読みどころは本文よりも補注である。
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アジール・無縁の原理は、人類の本質に深く関連していると筆者は考えている。アジールには3つの段階がある。まず聖的・呪術的なアジール。それから実利的なアジール。最後に、退化から終末にいたる段階。聖的なアジールは、潜在的で見出すのが難しい。いわば原無縁である。無縁の対立物として有縁、有主が登場してくるとき、そこから自らを区別する形で実利的なアジールが現れてくる。日本では古代から中世がこの時期にあたると筆者は言う。室町〜戦国期にそれは無縁・公界・楽という形でほぼ完成する。しかしながら、大名たちによる無縁地帯の取り込みは強烈で、いたるところに国家権力の浸透を見るのが織豊政権から江戸期だろう。
王権との戦いを通じて鍛えられてきた西欧の自由・平等・友愛の概念に比べれば、無縁・公界・楽の思想というのは明晰さを欠く。だが、それこそ無主・無所有の思想の日本的な現れに違いないと筆者は言う。