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この人の名前を見ただけで、何かこう胸がしめつけられるような気持ちになります。なぜだかは思い出せないのですが、子どもの頃に新美作品に触れて「心のきれいな人は早く死ぬんだ」と勝手に思いこんでいました。でも、思いこんだ気持ちが強すぎて、実は今もちょっとそう思っています。
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以下のページで感想書いてます。http://blog.livedoor.jp/subekaraku/archives/50216446.html
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日本人なら必ず小学校4年生で読む「ごん狐」。その作者、新美の童話集です。昔、読んだ時と今、読んだ時とでは随分と印象が違います。大人でも十分楽しめます。
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「ごんぎつね」「手袋を買いに」くらいしか知らなかったけど、他にもそれに負けないくらいの名作ぞろい。
温かくもちょっぴり切ない感じがなんとも心地良い
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あったかい毛布に
包まれたような気分になる物語たち
ごんぎつね
改めて今読んで やっぱ最後の1行は切ない
いたずらだけどほんと優しいごん
子供できたらごんぎつねみたいに育ってほしい
うた時計 手袋をかいに 全編通して
あたたかい優しい気持ちになれます
お父さんお母さんに会いたくなる
あの包容力 安心感
愛がいっぱいつまった最高の短編集
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切なさ漂う新美南吉の童話集。母の深い愛を感じさせる作品多数。時代の移ろいを鋭く描いた作品に、はっとさせられた。
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ほんわかと、しかし、厳しい。切なく、暖かい物語がつまっていた。
後、ちょうど日本の戦前の時代で戦争に行ってしまったなどの結末も多かった。
●ごん狐
漁師兵十が仕掛けた罠のウナギをごん狐ごんが食べたから、兵十のおばあさんが死んだと思い込んだごん。それから兵十に自分が狩った食べ物を置いていくようになるが、、、、兵十にみつかり、、、
●最後の胡弓弾き
最後の最後まで家々へ訪ね、胡弓を弾いて商売をしていたが、近代化に伴い、そのような文化がなくなってきた。
最後には胡弓は入らないと思って古道具屋に売るが、やはり、思い出の品、取り返したところ、金を払わねばならなくなった。。。
●うた時計
久しぶりに帰ってきたどら息子。
が、次の日にはもう帰路へ付く。そこへ近所の子供がやってきて、いろいろと話をし始める。夫婦の大切なうた時計の思い出の大切な話。
その話を聞いているうちに、うた時計を盗んで売ろうと思っていたが、近所の子供へかえしたとさ。
などなど
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『ごん狐』を始め『おじいさんのランプ』『最後の胡弓弾き』など14の作品を収録した新美南吉童話集。
昨年2013年に生誕100年の節目を迎えた著者の作品を折角なので読み直してみました。落ち着きと温かみのある作風は時代を経ても全く色褪せず、その情景が鮮やかに目に浮かびます。一つ一つの作品は短いものの、優しさと切なさの余韻を残す美しい作品ばかり。
とある書評で「心が洗濯されるよう」という感想を目にしたがまさにその通りだと思いました。
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小学生の頃、新美南吉童話で知っていたのは教科書に載っていた「ごん狐」と「手袋を買いに」の2つでした。
特に「ごん狐」は大好きで、寂しがりやで根は悪くは無いものの、ついつい村人にいたずらをしてしまう子狐が、可愛らしくてたまらなかったものでした。
大人になってからは、新美南吉の「光」の描写の上手さに驚きました。
こぎつねの可愛らしさがこれまたたまらない「手袋を買いに」ですが、雪の光、月の光、街の灯りなどの日本語描写が本当に綺麗です。
今回、この『新美南吉童話集』で初めて読んだ短篇は幾つもありましたが、どれを読んでも心が洗われる思いでした。
その初めて読んだ中でもとりわけ好きだなと思ったものは、「赤い蝋燭」と「おじいさんのランプ」でしょうか…。
また「竜宮城のような」という形容詞は、2度出て来て印象的でした。1度目は「最後の胡弓弾き」、2度目は「おじいさんのランプ」です。
最後に蛇足でありますが、
チェコの童話作家でもあり挿絵画家でもあるヨゼフ・ラダも大好きでして、
ヨゼフ・ラダも新美南吉も、どちらも明るくほのぼのとしたユーモアを根底には持ちつつ、牧歌的な風景を描くのが得意な童話作家かな…と、個人的には思っております。
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特に印象に残ったのは赤い蝋燭、屁、牛をつないだ椿の木。
赤い蝋燭はいかにも童話的な、動物を主人公としてた、優しくも楽しげで温かい世界が描かれ、読んでいて温かい気持ちになる。
屁という作品は児童向け童話にしては難しいのではないか。着眼点は非常に面白い。ある事件をきっかけに、主人公の周りの世界が変わって見えてしまう。世界とは不安定なもの、というのを実にユニークな視点から描いている。この短編の末尾もまた、短刀のように心にちくりと刺してくる。
牛をつないだ、は後半での母のセリフに主人公がはっとなり改心する場面が好き。
世界も人も変わっていく。その残酷さ、無情さ、しかしそれはそれで仕方ない。その中でも人のよき心というのは変わらないはず。そこにつながりを求めたい…というような作者の想いが、全体の物語の内に、流れているメッセージのような気がした。
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「手袋を買いに」が好きだったけど親になって読むとまた違う種類の感動に涙する。純粋な子ぎつねの坊やも可愛いけれど、坊やが子ぎつねとわかりながら手袋を渡してあげた店屋の主人にも。「最後の胡弓弾き」という話は知らなかったのだが少年から大人へ、大人から老人へと生きる時間の深み、時代の移り変わり、無情さ…しみじみと読んだ。
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良くも悪くも、透き通る強さをもった童話ーー物語たち。それだけに、新美南吉がもしもう少し長く生きたなら、もっといろいろなものを見たならどんなものを書いたろうかと思ってしまう。かれの書くうつくしさが、戦争の美化から切り離されることもあったろうか。其処此処に通う清い情緒の血が、もっと濃く通うこともあったろうか。
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「ごん狐」や「手袋を買いに」で有名な作家ですね。こちらに収録された14篇を読んで感じたのは、童話と言えど、単純な勧善懲悪ではなく、大人になる過程で感じること、体得することを、主人公の視線を通して容赦なく描いてくるな、というところで。(その事について、良い悪いを判断するのはあくまで読み手の心なんですが。なのである意味とても道徳の教科書みたい…)
作品を書いてる時代の関係で、いわゆる時局的な表現もあり、これまた別の意味で考えさせられるものでした。
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・ごん狐
・手袋を買いに
・赤い蝋燭
・最後の胡弓弾き
・久助君の話
・屁
・うた時計
・ごんごろ鐘
・おじいさんのランプ
・牛をつないだ椿の木
・百姓の足、坊さんの足
・和太郎さんと牛
・花のき村と盗人たち
・狐
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とてもに美しい物語の数々。日本の原風景なんていう安っぽい言葉で表すのは気が引けますが、かつての人びとの暮らしや擬人化した動物たちの生活が豊かに描かれています。そしてその中に、本当に繊細な心の動きが表現されていて、これもまたチープな言い回しですが、なにか忘れていた気持ちがよみがえる気がします。
例えていうならば、よく晴れた日に干した布団のようなふかふかの、そういう物語であり、またそれを読む側もそういう心持ちにさせられます。
新奇な技巧上の試みがあったり、社会に対する鋭い批判の眼差しがあったりするわけでは決してありません。文学の価値が、そういったものだけで決まるわけではない、ということがよくわかります。
気持ちよく本を閉じることができる、そういう名作が詰まっています。