- 現在お取り扱いが
できません - ほしい本に追加する
- 予約購入について
-
- 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
- ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
- ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
- 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。
1 件中 1 件~ 1 件を表示 |
紙の本
大阪再生のために
2009/05/17 20:00
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:CAM - この投稿者のレビュー一覧を見る
大阪の沈滞が言われ始めて久しいものがあるが、最近はその“沈み方”が加速されてきたように感じる。 地域活力の基礎的要素である人口について言えば、大阪市が横浜市に抜かれて「人口第三の都市」になってしまったのは昭和53(1978)年であるから、既に30年以上にもなるが、最近では遂に大阪府が神奈川県に抜かれてしまった。 そうした中で、橋下知事ががんばっているようだが、いまや大阪人は、いたずらに自虐の中に逃げ込んでいるように思える。
しかしながら、地域の活力を取り戻して地域ブランドの価値をあげるためには、まず大阪人が、わが国歴史の上における客観的な自らの位置を確認し、その上で、自虐趣味を捨てて、誇りと自信を取り戻すことが何より重要であろう。
例えば、大阪人は、以下のような歴史上の事実を認識しているだろうか。
1) 応神天皇陵(羽曳野市)、仁徳天皇陵、履中天皇陵(堺市)という日本三大陵はすべて大阪府内にある。
2) 大阪には、皇居が四度置かれた。5世紀初め、仁徳天皇の皇居であった難波高津宮、大化改新後白雉3年(653)に完成した孝徳天皇の難波長柄豊碕宮、天武天皇15年(686)に失火で全焼後再建されたという天武天皇の難波宮、神亀3年(726)から造営を始めたという聖武天皇の難波宮の四度である。
3) 18世紀から19世紀にかけての大坂は世界的に見ても当時第一級の学術都市であって、福沢諭吉が『福翁自伝』で述べているように、当時「大坂に学びに来るものはいても、大坂から出かける時は教えに行くときだ」と称されたほどである。
4)大正14(1925)年4月1日には大阪市の第二次市域拡張が行われ、この日東成郡と西成郡の44カ町村が大阪市に編入されたことによって、人口211万4,804人・面積181.68平方キロとなり、199万5,567人の東京市を抑えて全国一の人口となった(東京市は昭和7年10月の大合併で551万人余となり、全国一となった)。この拡張された大阪市を大大阪と呼んだ。(289頁)
大阪市内で幼少期を過ごした評者(CAM)でさえもが、以上の事実についての明確な知識を有していなかった。それもそのはずで、高校の代表的日本史教科書を見ても、その事実についてはほとんど述べられていない。
本書は、その出版の性格(県史シリーズの1巻)からしても、教科書的で平板な叙述ではあるが、一読するだけで、大阪がいかに歴史遺産に豊富な地域であるかを分からせてくれる。 今年から「なにわなんでも大阪検定」も発足するようであるが、その準備のための格好のテキストであろう。
1 件中 1 件~ 1 件を表示 |