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・質問―竜安寺の石庭の場面で、「坊さん」が「あるのはただ石のみ‥」と言ったのにたいして、あなたは「そして、石の影とね」と応じていらっしゃいます。この「影」は、あなたにしか見えなかったのではないかと私は想像しますが…。日本人にとっては、そして愚見によれば、白砂の海の波紋によってむしろこうした影をかぎりなく吸収していくところにこそ石庭の意義はあると思われるのですが、いかがでしょう?
回答―影はすべて太陽からくるがゆえに、乾坤(コスモス)と結ばれています。したがって文意は、「空と、そしてその雲と」と言った場合と同義なのです。つまり、移りゆく要素を「影」の一語によって加えようとしたものです。
・重要なことは、したがって、知識を際限なく積みかさねていくことではありません。さまざまの一致点をつかむ、あるいは豊穣なる相違点をつかみとることです。
・シャルトル大聖堂の彫像をわれわれはイメージとして見るが、かつてそれは祈りだった。ところで『那智滝図』は自然とわれわれとの関係を知らせてくれはするが、祈りのためにそれは描かれたものではないし、この『出山釈迦図』を見ても仏教的コミュニオンは祈りとは別物であるということを教えてくれる。
いったい、このような内的体験を、西欧の人間にどう伝えたらいいのか?マジック、とでもいうべきか―ピカソの芸術のように。ともかく、内的感動といったような西欧的語彙を持ってきたところで何もつかんだことにはならない。
・仙厓は西洋風のユーモアを表しているわけではない。優しさと微笑そのものを描いているのだ。
・日本は、けっして絵画的奥行きの国ではない。パッサージュ(移ろい)、持続性、側流といったものの国といったらよかろう。事物は、そこでは、前へと過ぎてゆくのではなく、このように‥牧谿もそうだが‥(と、左から右へと両手をややジグザグ型に動かしながら)過ぎてゆく‥
ただ左から右へと水平に過ぎてゆくのではない。一方の側から他の側へパスしていくのだ。その意味は、まったくもって重要というほかはない。
(中世作庭における霞型、琳派の絵における水流、露地の敷石の千鳥掛け、城郭建築の石垣など、こういったものの構成を言っているんだなということが、だんだんとわかってきた。そうとすれば、まさに日本的フォルムの本質そのものということになる)
これにたいする技術的説明はこうなるだろう。すなわち、日本には、けっして《フォーカス=焦点》なるものは存在しない、とね。焦点というのは、ごぞんじのとおり、遠近法のすべての線の収斂していく点のことだが。あなたがたは焦点を持っていないだけではなく、それを持つことを欲しないのだ。牧谿の絵にしても、そもそも焦点面を破壊するように考案されている。焦点面はあってはならないのだ。「過ぎゆく事物の空間」と呼ばれたものは、いっさいの焦点的要素の破壊を意味している。かりにいま、君の手元に、ヨーロッパ的遠近法を背景とした一個の立方体があると仮定してみたまえ。牧谿の絵のなかにそれを投げ入れようったって、はいっていきようがないんだから‥
最適の例としては���さっき言ったような河の流れを思い浮かべればよかろう。ヨーロッパ精神とは遠近法の精神だが、日本精神とは河流だと思えばいい。この河が高みに達したときこそ、かぎりなく偉大なスティルが生まれるときにほかならない。
・もし君がここのところをよく熟慮したなら、《回りをめぐることを許さざるもの》としてイケバナを見ることができるようになるだろう。その意味で、ソフィー(蒼風勅使河原)が「インターナショナル・スタイルの花はみんなまんまるだ」と言っているのは、的を射ている。ほかにそんなことを言った人はいなかった。だが、重要なことは、インターナショナル・スタイルが丸いということではない。日本的スタイルが丸くないということなのだ。静かに花を摘もうと思えば誰だって、丸く花束をこしらえるのが当たり前だ。ところが、貴国のイケバナだけは、これは芸術だ。
・人類救済をはかろうとするわれわれの立場において、現下の問題はもはやまったくイデオロギーの問題ではなくなってしまったという点で万人の意見は一致している。では、何が緊要の問題かといえば、それは《方法(メトド)》の問題である。
われわれは二つの巨大国際機関をもっている。一つは国連、もう一つはユネスコである。ところで、国連の方法をもってしては、諸君は、たった一つの県の紛争をも制御、調停することができなかったし、ユネスコの方法をもってしては一地方の劇場をも動かすことができなかった。
・中国文明の一時期、たとえば西暦一千年前後と、いっぽう、日本の一千年前後とを例にとって、比較してみたまえ。いかにも表意文字という点では共通だが、絵画においても音楽においても共通なものは何もありはしないよ。日本の音階は中国の音階と違っているし。加うるに、文学についても、その時期は、日本にとっては偉大な女流作家、女流詩人の排出っした時代の一つであった。しかるに、中国には、重要な女流作家なんていやしないよ。日本には、見たまえ、たとえば、清少納言がいる!
類似性なんて、したがって、ありっこない!
私はいつだって言ってきたではないかね。日中間のアナロジーは、ヨーロッパ大陸とイギリスのアナロジーと同様にいつわりである。日本は、愛と音楽と死の概念において中国とはぜんぜん別物であるとね。
・ヨーロッパの画家なら、まえもって《枠(カドル)》(額縁)を作り、これを満たすというのが普通だった。しかるに、日本人画家の場合には(右手で四角を描いて)、枠で切ってしまうのだ。われわれのほうは、対象を(そのなかに)表そうとするだろう。レオナルドなら、そうしようとするだろう。そして実際に彼はそうした。そして、ほら、タブローの仕上がり‥と、こういうわけだ。
あなたがたのほうはね、(枠で)切って、手は横切っていく。枠に対する自由がヨーロッパに入ってきたのは、まったく日本版画をとおしてであって、それ以前にはたったの一例もない。
・大聖堂の彫刻家たちは彫刻を作っているとは思っていなかった。大聖堂を作っていると思っていただけなのだから。十六世紀に《オブジェ》が生まれて、それで一変してしまったわけだが。だが、それまでは、日本と同様だった。つまり、絵画と日本との関係は、言葉の��源的意味においてつねに「エッセンシャルな」形而上学的関係だったということだ。
それと、もうひとつ、このことを考えてみたまえ。まあ、一見、皮相的とみえて実はぜんぜんそうでない問題だがね。西欧はつねに《シンメトリー》にとりつかれてきたという、このことだよ。人体がシンメトリックであることから考えれば、まったく当たり前の事柄とも思えるが、じつはこれが当たり前ではないのだ。その証拠は、あなたがたの世界のほうは絶対にシンメトリックではないということだよ。つらつら考えれば、《シンメトリー芸術》と《非シンメトリー芸術》とが向き合っていることは、ありとあらゆる差異のなかで最も深淵なもののひとつといえるのではなかろうか。
・いいかね、《日本の自由》ということは本質的重要性を持っていると、私は思うのだよ。あのようにこの上なく深く無意識的な感情と言うものは。いっぽう、西欧には、シンメトリーといい、枠(カドル)といい、いや、窓といい、これはほとんど誇大要求といえるほどのものだが、このような要求は日本は絶対に持ったためしがないのだ。
日本は《はかなさ》と戯れる。そしてこの観点からすれば、俳句こそは絶対の位置を占めるものだ。エッセンス(本質)と瞬間にたいする、このかぎりなく鋭い感覚!これにひきかえ、西欧では、せいぜい百年程まえから(印象派絵画時代から、の含み)瞬間と調和してきたにすぎないんだからね。その以前は、肖像画にしても、ポーズをとった肖像画しか描かれなかった。一瞬間を表したデッサンなんて、ありはしなかったのだ。
日本的デッサンの出現をもって瞬間のデッサンの出現となった。ヨーロッパでそれが生まれたのは、とんでもない後世になってからのことで、しかも、おそらくそれは貴国の版画から生まれたといってよかろう。ヴァン・ゴッホにしたって、その画面を横切る枝は、浮世絵から取っているんだから。そして彼のまえに、いったい誰がいただろう?
よろしい。いちばん単純な例として、『巴旦杏の木』と題されたヴァン・ゴッホの絵を見てみよう。正方形の絵で、青空がある。下には、山々が茫漠と呈されて、それと見わかぬ風景となっている。それから、まさに、丹精こめて、一本の枝が、一輪の花をつけて画面を斜めに横切っているのだ。いいかね、西欧の‥ここではたまたまヨーロッパだが‥画家が、十六世紀、十七世紀、十八世紀、あるいは中世のそれであろうと、一枚の絵を真一文字に枝で横切らせて描いたなんてことは、空前絶後なんだよ!
・もしも《自殺権》というものができたら、それこそは社会変革にならずにいないだろう。
・電波をキャッチしようとする巨大ステーションにとって、問題は、いかにある波動をつかむかということではないんだよ。どうしたら他の波動から切りはなすかの問題なのだ。なぜなら、実際にはパラボラは、いっぺんに千もの電波をもたらしているんだからね。だから、科学者には、連続的波動の宇宙のなかに自分たちが置かれているという事実が、ちゃんとつかめている。
・竹本 いつもお聞きしたいと思ってきた別の問いが私の胸によみがえってきます。あなたは、インドの諺としてこのような言葉を引用なさっていらっしゃいますね―「人は誰しも己の神をとおして‥
マルロー …真の神にいたる。」
・かつて、避雷針がすでに発明されて、しかし電気そのものがまだ発見されていなかったころには、人は避雷針に何なりと好き勝手な意味を結びつけて解釈していたものだったが、結局、電気というものが考えられるようになって、いっさいけりがついてしまった。
・竹本 それにしても、あなたが奈良の仏閣の管長たちに輪廻転生についてつぎつぎと尋ねあるくお姿は、大いに心を動かす光景でしたよ。
マルロー ああ!なぜなら、輪廻転生について仏教と言う宗教的側面にそって疑問を投げるや、たちどころに人は広漠たる領域が開かれていくのを見ることになるのだからね。それほど、この問題には、まことにもって信じがたいほどの力を秘めた仏教的相対主義が含まれているのだ。
考えてもみたまえ。仏教信仰の栄えた偉大な時代にあって、自分は死んだらきっと一枚の木の葉として生まれかわると考えた芸術家があったとしたら、本物の葉っぱとこの芸術家との関係は、たとえばセザンヌと比較して、いったいどのようなものでありえたであろうか?完全に‥完全に違ったものであったに違いない。そして、この点においてこそ、私はこう信じているのだよ。芸術家にとって輪廻転生の感情は―感情と私はいうのであって凡百のイデオロギーのたぐいを言っているのではないよ―キリスト教にとっての大慈大悲(コンパッション)と同様に重要な何ものかであった、と。
自分は一回かぎりの生、したがって一回かぎりのフォルムとしか持たないと考えることと、ありとしある宇宙のフォルムはいつの日か自分自身のフォルムとなりうると考えることでは、天地ほどの開きのある二つの宇宙観をもったということになるだろう。
・日本の舞台芸術ではほかのどんなものにも見られるところだが、それは、武人がかかとをこんなふうに地面につけて、足先をぴんと立て(と、右足の踵で、とんと床を叩いて)、こんなふうにする動きのことだ。このような動きは世界のどこにも存在しない。
・ある日、君は私にこういったね。日本とは、一つの宗教のもとに人が生まれ、別の宗教のもとに死する国である、と。どうして、これは、どえらい重要性をもった事柄というべきだよ。つまり、その意味はこうだ。日本という国は、精神性が一宗教の独占物となることのない国である、と。