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同じ昭和天皇の侍従長でも冷泉家に連なる華族出身の入江相政氏は
在職中からエッセイの名手として名を馳せ、昭和天皇の代弁者的な
存在だったが、本書でご自身の経験を語っている徳川義寛氏は尾張
徳川家の出身で、在職中は寡黙な侍従長だった。
その方の貴重な証言を、聞き手である岩井氏が時代背景などの解説
を加えてまとめている。
『入江相政日記』も昭和史に欠かせない史料だが、本書で語られて
いる内容も昭和天皇の近くで何が起きていたのかを垣間見せてくれる。
徳川氏と言えば終戦の玉音放送の録音盤を守った人だが、この前後の
緊迫した状況はご本人の口から語られているだけあって臨場感がある。
入江氏によるとこの時、徳川氏は反乱軍の将校に「斬るなら斬れ」と
言ったとのことだったがご本人の記憶によると「斬ってもなんにも
ならんぞ」と言ったらしい。どっちにしても肝が据わったお人だ。
その後、この将校が「側近や大臣はけしからん。日本精神がわかって
いるか」と言われて「日本を守っているのは君たち軍人だけではない。
皆で力を合わせていくべきだ」と言い返しているのだから。
戦後の日本国憲法誕生の際に天皇に対して「象徴」との表現が使われ
た理由や、昭和天皇の御製、戦後の地方巡行、良子皇后の日本画など
についても語られている。
尚、昭和天皇とマッカーサー元帥との第4回会談の内容をマスコミに
漏らしたとして通訳を務めた奥村勝蔵氏が職を辞することになったの
は、上司だった白洲次郎がべらべら喋ったからだそうだ。最低だな、
白洲次郎。
激動の時期に昭和天皇の近くでお仕えした人なので、その時々の
昭和天皇の思いを汲み取っていらっしゃったのだろうが、語り口は
かなりの抑制が効いている感じだ。
徳川氏は昭和天皇の崩御後も侍従職参与として、昭和天皇のご研究の
記録などの整理を担当し、1996年2月に89歳で亡くなった。入江氏
同様に長く昭和天皇の側近だっただけに、この方にはもっと語って
欲しかったので残念。