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オウムのことについて関心を持ったのが高校時代、森達也の『ドキュメンタリーはウソをつく』を読んでからだ。その時までは「オウム」と聞けば「小さい頃に聞いたことがある恐ろしい出来事」くらいにしか思っていなかった。森達也の本を手に取ったのもオウムについて関心があったのではなく、ドキュメンタリー(メディア全般も範囲内だった)というものに関心があったからだ。
オウムに関する知識や会見は彼の作品から吸収することになる。彼の作品を知っている人ならわかると思うが、僕はそれ以来オウム(に関わらずだが)のことについて、ある意味で中立的に、ある意味で偏りのある視点に立ってみるようになった。森達也のドキュメンタリーは、オウムの側から「(我々の)こちら」側を撮ることによって、マス・メディアでは知らされない狂気を映し出すことを試みる。このドキュメンタリーの攻撃性は、「こちら」側の目の前に鏡を置くことによって、「こちら」側に「こちら」側を考えさせるというところにある。正しい事とは何かと。
森達也の示した視点には大きな影響を受けた。「正義」という言葉に敏感になり、悪というものの規定範囲を一気に広げた。「中立である」ことが正しいことであると考えた。しかしただ「中立である」ということだけならば、中立は正義だとか悪だとかいう言葉となんら違わない。僕は村上春樹が言うように「東京の地下で何が起こったのか」ということに関して、余りに何も知らない。何も知らない人間に「正義」だとか「悪」だとか「中立」だとかを言う資格はない。僕は無知であるがゆえに、問題の構造を外から眺め、その視点を変えることだけに満足していたのだ。
「東京の地下で何が起こったのか」それは形をなした構造の中にある形を成さない混沌への問いかけだ。本書はそ構造から混沌へと続くドアへの一つの鍵となりえる。眺めているだけでは何も理解できないのだなと、本書は教えてくれる。
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地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー集。
読み進むうちに事件が群像劇として立ち上がってくるのが圧巻。
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卵にできること・・・
「さきがけ」という宗教団体は言わずもがな、新興宗教に対しての村上氏のアテンションである。同書は、村上氏が地下鉄サリン事件の被害者にインタビューをした記録であり、その後の「約束された場所」に繋がり、「1Q84」が生まれたのは否定できない。
中村
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この本を読んだ高校生の頃は、田舎に住んでいたために千代田線や日比谷線などの東京の地下鉄の土地鑑がなく、いまいちピンと来ていなかった。それから5年くらいして、自分が通勤で千代田線を毎日使うようになったある日に、ふとこの本の事を思い出してゾクっとした。本の内容は淡々と被害者の行動を追っていくだけなんだけど、それが数重なるとどうにもやるせない気持ちになっていきます。
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出たときからとっても興味があった一冊。
今回図書館で見つけたので何年かぶりに手に取りました。
読み終わったら感想書きます。よく考えると、初春樹になるのかな。
……だったのですが。
なんか、読んでると私の調子が悪くなってしまうので、途中で断念してしまいました。
なんか、感情移入しちゃうのかなぁ。
半分ぐらいまで読みました。
それでも、壮絶だった。ちょっと今、通勤電車が怖いです。
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この本を読んだのは10年前。村上氏の著書はあまり読まないが、人気作家のノンフィクションということで手に取り、一気に読んだのを覚えている。
それだけ、衝撃的な事件だった。
昨年、13人の死刑囚の刑が執行されたが、決して終わりではないと思う。
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地下鉄サリン事件の被害者側のインタビューにまとめたもの。
世界で多大な関心を集める村上春樹が、マスコミゆがんだ報道ではなく、事件に対して誠実に真っ向から取り組んでいる、理由はなににせよ。
60人ぐらいのインタビューからなるものだが、話にとてもひきこまれる。電車の中で読んでいると、本当にぞわっとして、本を閉じてしまう。
村上春樹の書き方が上手なのか、本人たちの話があまりにも悲惨だからなのか。
丸の内線でサリンの被害にあった、あるおじさん。
三両目にのって、被害にあった。彼はいつも三両目に乗るときめているそう、なぜならそこから上智大学のグラウンドが綺麗に見えるから。そこで目がどんどんくらくなり、倒れ、被害に合う
丸の内線に乗るたびに、この光景をみていたのかと考えると、
むしょうにやりきれない。
アンダーグランド2を読まなくてはならない
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壮絶な悲しい本です。
村上春樹さんの取材にも頭が下がります。
オウムの事を風化させないためにも
是非読んで欲しいです。
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地下鉄サリン事件の被害者または遺族の方々に、村上春樹さんがじっくりと話を聞き、長い時間をかけてまとめあげたとても悲しく、重い本です。それでも、読んでみて本当によかったと思います。
中でも一番印象に残ったのは、祖父を亡くした女性の方の体験したことの話でした。事件が起こる当日、亡くなったはずの祖父が目の前に出てきて、何かを必死に伝えようとしてくれたそうです。そのおかげで彼女は助かりました。私も祖父を亡くしているけれど、強く想っているからこそ、何か感じるものがあるのだと思います。
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地下鉄サリン事件後に
著者が被害者にインタビューした内容をまとめたもの。
すごいボリュームです。
容量的にも、内容的にも読むのは大変な本でした。
でも、インタビューされる側もする側も
もっともっと大変だったと思います。
それでも、この本がまとめられたのは
この本に託された意味の大きさを表しているのだと思います。
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随分前になりますが
この本が刊行された時期に一度読了しました。
最近になって
地下鉄サリン事件で指名手配されている犯人が
相次いで逮捕されたことを受け、12歳になる長男が
「地下鉄サリン事件」ってどんなの?
と聞いてきたことから、再読。
その朝、地下で、何があったのか。
それぞれの人の感じたこと思ったこと、行動が
その人の人柄と共に淡々と綴られ、胸に迫ります。
その普通の日常が突然に破られる理不尽さに
底知れぬ恐怖を感じつつ、
この本の力に改めて気づかされました。
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この分厚い書籍、実は都合3回借りて読んでいる。
ノンフィクションで複数回読むものは少ないのだけれど・・・。
身近でいて遠いこの事件の「終わり」はないのかも知れないと思わせる。
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『私たちが何かを頭から生理的に毛嫌いし、激しい嫌悪感を抱くとき、それは実は自らのイメージの負の投影である場合が少なくない』-『目じるしのない悪夢』
1995年3月20日。その日のことをきっと思い出すだろうと思いながら読み始める。そしてきっとそれ以上のことは書けないのだろうなとも覚悟する。忘れていた筈のことが、実はまだ封印された記憶として残っていることが明らかになる。それは客観性のある記憶ではない可能性もあるが、本書の記述を読んで、その日の朝の自分の4次元的位置を再認識し、腑に落ちることも多々ある。
それは自分にとって久し振りの日本の春だった。翌日の春分の日の祭日を控え(それは自分たちの結婚記念日でもあるので)休みをとっても良さそうなものだったのだが、いつも通り取手発の千代田線の先頭車両に乗り込んだ。その「問題の列車」から約30分程後続の列車である。常磐線快速で上野そして山手線で新橋を出るという通路もあるけれど、取手始発の千代田線(常磐緩行線)は無理せずとも座席に座れるので、入社以来の定期券はは取手-霞が関(北千住経由)だった。
千代田線は綾瀬から先の区間は相互乗り入れの列車が増え、運行間隔が短くなる。その為、いつも綾瀬駅を出たところで信号区の運行調整で一端停止する。その時の車内アナウンスも決まりきったもので、要するに前に列車がつかえているので止まります、というものである。だから列車が一時停止するのには慣れていた。しかし、その日、自分の乗った列車は松戸駅を出たところで早くも一時停車をした。時間は8時15分頃である。しかもアナウンスは「霞ヶ関駅で事故発生のため停車しています」というものだった。「問題の列車」が霞が関駅に到着した直後であることが本書を読んで判明する。しかし、その後も一時停車は繰り返したものの「事故」というアナウンス以外何の説明も聞かないまま、自分の乗った列車は地下へと進んで行った。
本書でも日比谷線における北千住駅の過密さが何人もの人によって語られているが、千代田線でも乗り換え客はひっきりなしにプラットフォームに満ちてくる。すると当然、運行間隔が開けば後続列車の乗車率は単純に上がる。その時も案の定千代田線は北千住駅で寿司詰め常態となったが(とは言っても積み残しも常態的だが)、その時、今から思えば駅構内のアナウンスのせいかどうか、いつもと異なる雰囲気が北千住駅にはあったような気がする。車内アナウンスも霞が関駅の事故を繰り返すばかりなのが、少し不思議だった。
「霞ヶ関駅には停まりません」と車内アナウンスがあった時もまだ、何が起こっているのか全く知らなかったし、じゃあ日比谷で降りて歩けばいいな、と単純思っただけだった。村上春樹も書いているがその日は良い天気で、日比谷公園を抜けて田村町の交差点まで歩くのは季節の良いときの通勤逸脱ルートでもあった。しかし日比谷公園前の出口から地上に上がった時、回りの喧騒は既にただ事ではなかった。サイレンが聞こえ、ヘリが上空を飛ぶ。そして会社についてみると普段は消されているテレビが点いており、皆がそれを見つめていた。
その時の不思議な気持ちは何とも言い表しようが��い。喧騒に気付きながらも気持ち良く公園を抜けてきた気分をばっさりと切られたような、自分の非情さが透けて見えてきたような、何か目を逸らしたくなるような感情がその時に沸いた。
『それは何があっても解き放たれてはならない。またその姿を目にしてもならない。(中略)地下の心地よい暗闇はときとして私たちの心を慰め、優しく癒してくれる。そこまではいい。私たちにはそれも必要なのだ。しかし決してその先に進んではならない。いちばん奥にある鍵のついたドアをこじ開けてはならない』-『目じるしのない悪夢』
しかし我々は、時としてこじ開けたつもりもなく、その暗闇を覗き込んでしまっている時があるのである。そして、その姿が鏡に映るのを見い出して、自分の顔の余りの凶暴さに驚愕するのだ。
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世界を震撼させた地下鉄サリン事件。
著者の村上春樹氏が被害にあわれた62名の方に(事件の1年後)丁寧にインタビューを重ねた記録書である。
「オウム関係者のプロフィールが魅惑的な物語として伝播されたのに対して、被害者=一般市民の扱いがあまりにもとってつけたようで…」と村上氏は大きな疑問を持つ。
被害にあわれた方の人となりを知りたい。何を経験して、何を見たのか?被害者を単なるワン・オブ・ゼムで終わらせたくない!それが著者を突き動かす。
「文責はすべて村上にある」という正直な姿勢に打たれる。
サリンにおかされた人が身体的にどういう症状を起こすのか、インタビューから克明に伝わってくる。
これは今後次世代にも受け継がれなければならない貴重な資料になるのではないか。
殆どの方が症状があるにもかかわらずなんとか踏ん張って会社に行こうする姿が読んでいて痛々しい。
遅れる救急車、機能しない警察トップ…「圧倒的な暴力」に対してあまりにも無防備な日本という国。そしてオウムを生み出した風土、日本に対して一石を投じる本書。この本から「学ぶ」のではなく「体験」し、気付かせていく気迫が伝わってくる。
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地下鉄サリン事件のインタビュー
読むほどに日本人の勤勉さが伝わり、事件の大きさ、被害に遭われた方の無念理不尽さが伝わり悔しい