ヘーゲル入門としてふさわしい
2016/01/23 14:10
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投稿者:カント - この投稿者のレビュー一覧を見る
難解と呼ばれるヘーゲルの哲学を、これといった気難しい用語を使用せずに説明している。
ヘーゲルの著書は難しいらしいが、ヘーゲルが実際に行った講義は分かりやすくて面白いということが分かった。
特に、ヘーゲルの美術論が面白い。
ヘーゲルの著作を実際に読む前に読む本として非常に有用
2002/02/12 14:27
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:イカレ=ポンティ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヘーゲルを読んだこともなければ、この著者の文章もいままでに読んだことがないから、その他の作品との関係を述べることはできないが、重厚なヘーゲルとその周縁を新書にまとめるにあたって「これしかない」といったコンパクトでわかりやすい内容だった。
作品としては『精神現象学』が取り上げられ比較的詳細に論じられながら、ギリシアからデカルト、カント、ルソー、ルターらとヘーゲル、その後、ヘーゲルの影響下に登場したキルケゴール、マルクス、メルロ=ポンティらが、「近代」というキーワードを中心にしてまとめられている。
「近代」ということに関しては、西洋から日本に輸入される「近代」という視点で一つの章が設けられ、そこに、次のような文章があり印象に残る。「西洋の近代精神は、お手本としてこれを消化・吸収しようとする接近のしかたをきびしくしりぞけるような、そういう精神なのだ。お手本をもたないで生きていく、というのが、すなわち精神における近代化ということなのだ」(p.146)。
ヘーゲルの著作を実際に読む前に読む本として、ヘーゲルがどのように位置づけられ、位置づけられるべきなのかを知るためには非常に有用な本。
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ヘーゲルの解説書。後半は美術とかの話になってたが、それも含めヘーゲルを語るには必要なんだろう。哲学の部分は良く分からない。。。
ヘーゲルを読みーの、これをよみーのしないといけないな。
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一応望みうる最もわかりやすいヘーゲルの入門書。わかりやすいといっても、これくらいには難しくはなってしまう。
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2010.7.11
ヘーゲルの思想は多岐に渡るが、ベースとなるのは、「個人や社会」が「知・思考」の力によって、「発展」していくという見方である。知・思考によって個人は自由になり、その自立した個人が自己を主張することで、社会には対立・紛争・矛盾が生じる。そうした混沌の中から、いくつかの否定を経て、新たなまとまりが生まれることによって、社会は連続的に発展していくと捉えている。
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知への道は、意識の思い込む真理の失われてくる過程なのだから、知への道は疑いの道であり、もっと言えば絶望の道である。
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[ 内容 ]
社会を矛盾と対立のるつぼととらえ、そのむこうに統一と秩序を見通した哲学者。
壮大で華麗な思考の躍動を平易な日本語で説きつくす。
[ 目次 ]
第1章 ヘーゲルはむずかしいか?―弁証法入門
第2章 『精神現象学』―魂の遍歴
第3章 世界の全体像―論理・自然・精神
第4章 人類の叡知―芸術と宗教と学問と
第5章 近代とはどういう時代か―日本と西洋
第6章 ヘーゲル以後
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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理性的なものは現実的であり、
現実的なものは理性である。
・・・・・・『新しいヘーゲル』79頁
この本は、ヘーゲルを中心に、当時の宗教観や、西洋哲学に対する日本、ヘーゲル以後の哲学などについても語られており、俯瞰からの解説という印象を受けた。
ヘーゲル自身の著作を読んだことがないのもあって、
朧気な人物像しか掴めていない。
最初に、生の言葉を聞いてから、解説書として読むべきだったかもしれない。まずは、『精神現象学』がいいだろうか。。。
断片的な印象をメモしておこうと思う。
理性への信頼。その姿勢には大いに好感が持てた。
この感情は、カントやスピノザの思想に触れた際の、感覚に似ている。
私は、ブルース・リーの教えにはついて行けない質なのだ。
ルター率いる、プロテスタントに賛同するキリスト教信者であったこと。
形式に拘るカトリックへの反発は、「自由なる理性」、「自身との対話」を重んじていたからこそ。つまりは、理性への信頼によって。
青年期にフランス革命を体験したことが、その思想に大きな影響を与え、
哲学、宗教、芸術という枠組みを用いて、頑然たる体系的哲学を創り上げた。
なにより、近代哲学を語る上で欠かせない存在であること。
それは、ほぼ全ての哲学解説書に「ヘーゲル」が登場しないことがないという事実が裏付けている。
近代以降の哲学の多くが、ヘーゲルへの反発、もしくはヘーゲルを踏み台としているようだ。
中でも、真正面から反発したというキルケゴールに興味が湧いた。
哲学は広大だ。
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いきなり、第一章がヘーゲルはむずかしいか?で始まっており、ヘーゲルをむずかしくした哲学風土は、日本の明治維新のお手本となった西洋への強い崇拝の念にあったとする。仰ぎみるには、おいそれとは近づけないような威厳をもって高みにあるのが望ましい。実際、日本の哲学アカデミズムでは、わかりにくいからこそ権威あるものだと思われる傾きが強かった。と筆者は語る。
この少ない紙数で、筆者はあの膨大なヘーゲルを内から外から案内してくれている。
まず、ヘーゲルの外観を展望するにはよかったのではと思っている。
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長谷川宏著「新しいヘーゲル」講談社現代新書(1997)
*「理性とはおのれば全存在をつらぬいている、という意識の確信である!」
*普通は、種が芽を出す。というところをヘーゲルはあえて、「種が否定されて芽となる」と「種の否定が芽である」とか、持って回った言い方をする。否定の動きをぜひとも強調したいのだ。その対立や変化が運動の原動力となると考えるのが弁証法の基本だからだ。
*何もない無や空虚におわる懐疑主義には、そこから先への前進は望み得ず、なにか新しいものが外からやってくるのを待ち構えて、それを相も変わらず空虚な深淵へと放り投げるほかはない。が、本当の経験のうちにとらえる結果は、否定的なものとはいっても、その否定が限定的なものであり、その否定からただちに新しい形が発生する。つまり、否定のうちにつぎの段階への移行がおこなわれるのであって、こうして、さまざまな意識の形態を1つ1つ丁寧にたどっていく知の旅がおのずと進行するのである。
*ヘーゲルは、近代的な個の自由と自立を確立する上で、知の動きこそがもっとも基本的な要因をなすと考え、個の自由と自立をめざす「意識」の旅を自立した知への旅として描いてみせた。旅の終点をなす、「絶対知」が、高度な抽象性と対形成を備えた学問に直結するかに見えて、その実、近代社会に広く行き渡る知と思考を鈍化したものであるとすれば、「絶対知」への旅は、学問にたずさわる学者や知識人だけにとどまらず、近代社会に生きる一般市民が個として自由と自立を獲得していくために必要なものであるとした。
*「確信」という心のありさま、心の動きをそんなにも重視する。そして、確信の輪を広げ、その内容を深めていくことをもって、意識の旅の根本的な推進力とする。確信とは、個人が己にかえって、なにごとかを自分で自分に確かめるところに成り立つものであるし、一度得られた確信についても、これを維持するのか革変するのかを最終的に自分個人で判断することによって決めるしかない、精神の営みである。
*自己意識が理性になるとともに、これまでの他なる存在との否定的な関係が肯定的な関係へと転化する。これまでの自己意識は自分の自立と自由だけに関心をもち、自分の価値を否定するかに見える世界や地震の肉体を犠牲にして、自分だけを救い、維持しようとしていたが、自分の存在に自身をもつ理性は、世界に対してゆったりとして構え、世界の存在を容認することができる。というのも、理性的意識は、自分が物として存在することを確信し、現実の一切が自分と別のものではないということを確信しているのだから。世界がゆるぎなくあることが、意識自身の真実と現在をなすのであって、世界の中での経験がそのまま自己の経験であるのを意識は確信している。
*自他のうちにある非理性や反理性との戦いの中で、はじめて強靭な理性の光が輝く。挫折や敗北を通してこそ、知と思考に厚みと広がりが備わるのである。
*デカルトは、「われ思う、ゆえにわれあり」という自我宣伝を哲学の第一原理として上で世界全体の精神(思考するもの)が物体(延び広がるもの)によって構成されていると考えた。一方で、ベーコ���は観察と経験に基づく帰納法を心理認識の原則として掲げ、学問の全体を記憶に基づく歴史、想像力に基づく芸術、理性に基づく哲学の3つに大きく分類した。このように世界の全体に向き合おうとする姿勢は、デカルトにもベーコンにも確実に認められるし、後続の哲学者たちにも受け継がれている。そして、その姿勢を徹底的につらぬき、比類を絶した壮大な体系を築き上げたのがヘーゲルである。「現実的なものは理性的である!」
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この本を読むのは2回目。楽しく読めた。ルソー、ルター、カントの時代からどのようにヘーゲルに行き着いたか、それを受けてキルケゴール、ニーチェ、サルトル、マルクスはどう反応したかが2回目に読んでようやく理解できた(気がする)。もすこし、ヘーゲルとは付き合わねば。
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ヘーゲルについて、何も見えてこなかった。。
やはり、原典にあたっていくしかないのだなということに、
気づかせてくれた一冊。
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社会を矛盾と対立のるつぼととらえ、そのむこうに統一と秩序を見通した哲学者。壮大で華麗な思想の躍動を平易な日本語で説きつくす。』
上記の触れ込みを見て思わず購入してしまったが…やっぱり分からない(笑)!!
弁証法に魅了されてヘーゲルに接近してみたのですが、ドイツ哲学の集大成を成し遂げた彼の功績は複雑過ぎて咀嚼できない。。というよりも僕の頭がついていかない(笑)
哲学関係は程々に読んでいる僕ですらこの本の理解度は十分に達していないので初めて哲学に触れる人には「絶対」入門書とは言えません←きっぱり!
まぁでも、所々『へぇ~』と思える箇所はありました。
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カントより後代の哲学者でありながら、思索を突き詰めることで理性批判に達したカントに対して、理性にもっと大きな希望と期待を寄せた哲学者ヘーゲル。
ギリシャ芸術とプロテスタントに傾倒し、知と個に対する揺らぎ無き信念を持ち続けたその思想は、確かに当時代的で楽観的なインテリの雰囲気も感じられる。その後の近現代思想家達の批判の対象となったことも止むを得ないのかもしれない。
それでも「理性と知こそが現実である」という意見には、現代の人間も殆ど失いつつある、知性への自信を取り戻させてくれるような魅力を感じずにはいられない。時代が繰り返すのであれば、もしかしてもう一度、そんな理性と知の時代が来るのかもしれない、という期待を感じずにはいられない。
そんな風に思いました。
この本自体についても非常にわかりやすく無駄なく綺麗にまとめられていて読みやすくて好感が持てました。
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時々、文字が右から左に流れていくような所があって、ちゃんと理解できたかどうかはわからない。わからないけれど、とりあえずヘーゲルは“古い”と思いました。
この本を読んで理解できることは、ヘーゲルにどういった“思考の癖”があったのか?ということ。
時代や他の思想家などを筆者が断定的に切り捨てる箇所がところどころあって、私のように捻くれていると「本当にそうなのかなあ」と思えて来てモヤモヤしてしまう。
そのモヤモヤ感から「この人ホントにヘーゲルのことわかって書いてるのかな?」という気にもさせられてしまうんですが、ヘーゲル原著をバリバリ読んでいろいろ考えてる人で無い限り、読む価値はあると思います。
ここからは、私が読んで思ったことを自由に書きます。
“ヘーゲル以後”の哲学、とか言われることがたまーにあるのですが、何故かがこの本を読んでわかった気がします。おそらく、彼の哲学がそれまでの世界観を否定して、新たな価値を提案したからでしょう。彼の哲学は近代という時代の転換点そのものだったように思えてきます。
また、ヘーゲルの思想と言うのは、プロレタリア革命のように、一度経験して超越しなければならない思想なのかもしれないと思うようになりました。彼の思想というのはとても理性的で、時代や文化的な相違から今の私達がそのまま受け入れるということは不可能であるし、そうすべき思想でもありません。
ですが、一度ヘーゲルの思想を完全に受け入れた上で、それを否定し、超越しようとする姿勢は求められているような気がします(本書とはあまり関係がありません)。
どうでもいいですが、ヘーゲルがこれほどまでに古代ギリシャに傾倒していたとは知りませんでした。私は彼とは見解を若干異にしていますが、古代ギリシャの芸術と宗教の合致性を指摘している人がこの時代に存在するとは思わなかった!それだけでもヘーゲル先生は仰ぎ見るに十分かもしれない。