紙の本
永井均の思考実験はおもしろい
2001/02/15 23:28
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
永井均氏は本書で、ニーチェの永遠回帰概念の不整合性を示すために、次のような思考実験を展開している。
まず、同じものが永遠に回帰すると考えるかわりに、時間を空間化して考えてみる。つまり、「この世界と同じ世界が空間的に無限に存在する」と考えてみる。そうすると、この世界には無数の「私」が存在することになる。
もし、ある一つの「私」(これを〈私〉と呼ぶ)を除いて他の「私」が〈私〉の全性質を同じくするにすぎないのだとしたら、それらは〈私〉ではないのだから、「同じ」世界が無限に存在していることにはならない。
もし、すべての「私」が〈私〉だとしたら、「今度は、空間的には異なる場所だが性質的にはまったく同じ複数個の世界、ということの実質が失われてしまいます」。つまり、複数の〈私〉はただ一つの〈私〉(この〈私〉)に収斂して、実質的には一つの世界しか存在しえないことになる。
つぎに、時間化して「同じことが永遠に回帰する」と考えてみる。つまり、「この世界と同じ世界が時間的に無数に存在する」と考える。そうすると、「何から何までこの今とそっくりの世界状態がかつて無限に存在」したことになるし、これからも無限に存在しうるということになる。
もし、「それらの時点が今と同じということが、単に世界の全状態がこの今と同じである状態ということにすぎないなら、それらはこの今ではありませんから、この今にいるこの僕には何の関係もありません」。というのも、〈私〉を〈私〉たらしめるのはいかなる物質的・心理的性質でもありえないから。そうすると、やはりこの今だけが特別の今であることになって、同じ世界が時間的に無数に存在することにはならない。
もし、すべての世界にこの今があるのだとしたら、つまり時間的に無数に存在するすべての世界に〈私〉がいるのだとしたら、「今度は、性質的にはまったく同じ状態の時間的な回帰ということの実質が失われます」。つまり、複数の今はただ一つの今(この今)に収斂して、実質的には一つの世界しか存在しえないことになる。
永井氏は以上の思考実験を経て、ニーチェの永遠回帰の概念は、「この時間の中で何かが繰り返すってことではなくて、この時間そのものが回帰するメタ時間みたいなものを考えるってことに、どうしてもならざるをえないんじゃないか」と述べている。
《そうすると、これはもう時間空間の中での話ではありませんから、同じものが回帰するってときの「同じ」の意味に関しても、性質的な同一性と個数的な同一性が、もう区別できないことになります。》
ここに出てきた「メタ時間」とは、いったいどこに存在しているのだろう。「時間空間の中での話ではない」としたら、それはどこで語られるものなのだろう。そもそも「最も重要な意味において隣人をもたない」ものである〈私〉のあり方が語られるとき、おのずと示される〈私〉の隣人たちの世界は、どのような「時空構造」をもっているのか。そして、デカルトのいう神が見ているのはどのような「世界」なのか。「私」をめぐるすべての「問題」はここに帰着する。
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ニーチェ哲学の試みを永井均が分かりやすく示した快作。
ロジカルに綴られる道徳、倫理への批判は見ていて爽快。
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Why be moral?
この疑問がどのフィールドまで手を広げているか。ここから話は始まる。
わたしは肯定というものがすごく好きで、なんでも肯定してしまう癖があったりする。
大きく言えばもちろん否定も含まれている。
でもそれが極大化してニヒリスティックにはなりたくない。
やはり読んで思ったのはマテリアリズムから逸れてはならない、ということ。
モラルを利用したルサンチマンの反復による勝者はもっとも嫌いとするところ。
存在しないルサンチマンに屈する態度がモラルであるとしたら、それはもう内的な意味では機能していない。
社会的な意味では、まぁ狡猾だと思うけど機能してしまっている(それが必然である場合にのみ認められる:同意見)。
欲のために行為したとしてそれが善ならば偽善という指摘をせずに無条件で善でいいんでないの、と思ったりもしてる。
総体があって利益を受けるものがなければ成り立たない、という善悪観念はわかるけれども、少しか絶対的な部分も信じていたりする。
あ、本の感想になってない。
このシリーズは結構簡単な言葉でわかりやすく書いてるから高校の倫理と哲学の基礎(歴史)とかさらっとでもわかってれば読めると思います。
おすすめ。
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[ 内容 ]
『「子ども」のための哲学』の著者がはじめてニーチェの核心に迫る哲学入門。
[ 目次 ]
序章 『星の銀貨』の主題による三つの変奏
第1章 ルサンチマンの哲学―そしてまたニーチェの読み方について
第2章 幸福・道徳・復讐(新新宗教;見えないヨーロッパ―その原点の点描;よく生きることヤテ、そらナンボのもんや?;怨恨なき復讐―われわれの時代のルサンチマン)
第3章 永遠回帰の哲学―あるいはまたニーチェへの問い方について
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[ 関連図書 ]
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永井均本。
序章のお話が秀逸すぎ。
なんか、ここだけできれいにまとめきってる感があります。
でも、やっぱり永井です。
「愛って侮蔑とおなじだよ?」
的な事をロジック上にさらりと言ってくれます。
この人の本は、わかりやすくて面白いなぁ。
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今まで読んできたニーチェ論では圧倒的な破壊力を持っていたといわざるを得ない。永井は哲学者としてのニーチェを徹底的に批判する。彼はあまりにも才能がなかったと言ってしまう。永井が評価するのはニーチェの道徳学である。言ってしまえばそれはルサンチマンである。ルサンチマンという構図を見抜いたこと、そしてそれが強者と弱者の定義を高貴なもの⇔粗雑なもの、という構図から、善なるもの⇔悪なるもの、として切り替えてしまったことである、と述べている点を評価している反面でしかし、いわゆる道徳的であることは、つまり今われわれが道徳であると考えるその枠組みは、われわれが元から持っていたであろうものであり、それを零から生み出したとするのはニーチェの過ちであり、むしろ、それを崇高なるものとして定義してしまったことこそが、真なるキリスト教徒のルサンチマンであると永井は言うのである。そうして彼らは弱者から強者へとなる。つまり、弱者は強者へ慈悲を注ぐことにより、彼らは強者へといたるのである。そして彼らは強者にいたりながらも、弱者の皮をかぶっているのである。つまり、圧倒的な勢力を背後に持ち、圧力をかけながらもそれに従わないものを哀れむという教会の横暴がそこには含まれているのだろう。強者に哀れまれてしまえば弱者にはなすすべがないであろう。この構図を見破ったのがニーチェであり、しかし、それゆえにニーチェはキリスト教的な束縛から逃れられず、彼もルサンチマンに毒されている。それゆえに彼はキリスト教へと反発できるのである。反発は全てがルサンチマンによって支配されている。となればそこから逃れられはしないのではないか?永劫回帰という概念はあんとも怪しげなものであるし、永井なんかは「この今」が永劫に回帰する、つまりそれは不可能であり、それゆえにこの今への価値にニーチェは重きを置いていると述べているが、個人的にはむしろ、誰もがルサンチマンから逃れられないこの怨嗟こそが永劫回帰とすら言えると思われる。それはもはやニーチェが定義した概念ではなくなってしまっているが、しかしそれは絶えずめぐり続けるだろう。ルサンチマンこそが人間の原動力たりうるのだろうから。世の中には二種類の人間しかいないのではないか?一つ目は無自覚な人間。もう一つは自覚的であるがゆえにルサンチマンの毒牙から逃れられなくなってしまった人間。無論、そこから逃れたつもりでいる人間はあろうが、しかし彼はその毒牙を自覚してしまった時点で実はもう逃れられはしないのではないか?ニーチェはそうして自らがその毒牙から逃れられないことを自覚しながらも、しかし全てを肯定したいと考えていたようだ。無論、それは不可能であったのだが。永井はそのあたりを見てニーチェをすごくいいやつと形容している。それは同意権である。あれだけ憎みながらも、それでも肯定しようとしているニーチェ。あまりにも純粋すぎたとしか言いようがない。狂える人間なんてやつはどいつもこいつも馬鹿みたいに純粋なのだと思う。
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ニーチェに関連する著書の論文集。面白いけど前提になる知識がないと難しいな。読んだことないけどニーチェの思想を生き方として捉える本が多いじゃん、そんな中で彼の哲学的な業績を論じるこの本は良いね。ニヒリズムって虚無を受け入れず何か意味があると信じようとすることだとか、神を信じようとしてる段階で神が死にかけているだとか、カントは道徳の資本家だとか。著者の他の本読みたい。
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主にニーチェに関する本
作者に言わせればどうやらほとんどのニーチェに関する研究の哲学者は読みが甘いらしい。
今、当たり前にこの価値が存在するところから見るにキリスト教は道徳上の奴隷一機を成しえたことになる。
弱者が行えること。精神的なものにおける価値の転倒
イエスの何がすごいといえば、その行為を理解する概念枠自体その行為そのものによって変えてしまうこと
永劫回帰、超人、ルサンチマン、神は死んだ
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単に読んだだけで読めたかどうか疑わしい。
ただコロナ禍の今読むと日本に蔓延する「生命至上主義」を背景に鼻息荒いやつの後ろ盾がどこにあるのかなんとなくわかった気がする。
道徳、道徳という日本語として理解される、なんとなくな雰囲気の正体が垣間見えた気がする。
あと3回くらいは読みたい。