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中観思想とともに仏教思想の最高の理論的達成とされる「唯識」は、日本仏教の出発点であり、またヨーガの実践と深い関わりをもつが、その唯識思想の本質を浮き彫りにする。 -20101202
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奈良からコータンに戻る途中、いまガンダーラに来ています。
興福寺の北円堂で、弥勒(マイトレーヤ)と無著(アサンガ)、世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟にお会いし、ぜひ行ってみるといいといわれました。
ここで、もう少し唯識を学ぶ予定です。
ガンダーラ行きのバスの中で、
バスガイドのおねえさんとみんなで歌を唄いました。
そこに行けば夢もかなうというよ
生きることの苦しみさえ消えるというよ
誰もみないきたがる遥かな世界
その国の名はガンダーラ・・・♪
◆学んだこと
○唯識っていつできたの?
発生の年代は特定されていない。
2~400年 弥勒? 『解深密経(げじんみつきょう)』
3~500年 無著(アサンガ)、世親(ヴァスバンドゥ)兄弟
○兄の無著(アサンガ)ってどんな人?
パラマールタ(真諦(しんだい)、499―569)が書いた伝記より。
兄の無著(アサンガ)は説一切有部で出家したが、空を理解できず自殺未遂。その後、阿羅漢の教えから理解したが、心から満足できず、神通力で天に昇り、弥勒菩薩から大乗の空を教えてもらい、空の教理を悟ることができた。
その後もしばし天に昇り、大乗の教理をたずね、地上に戻って人びとに教えられたところを伝えたが、人々はその教えを信じなかった。
それで、弥勒菩薩にお願いして、地上で「十七地経」の講義をしてもらった。夜に弥勒菩薩が説法、昼間に無著(アサンガ)が解説のパターンで4か月かかって完了。人々は大乗の教えを信じるようになった。
無著(アサンガ)はさらに、弥勒菩薩から「日光三昧」を教えられて修得し、従来理解することできなかった教義をことごとく理解し、忘れなくなった。
(以上、P24-26 要約)
苦労人ですな~。
だから、「無住処涅槃」なんてすごいことを考えたんだ。
『摂大乗論』(しょうだいじょうろん、Mahayana-samgraha)。
「空の教理」の悟りは出発点にすぎないんだね。
「日光三昧」ってなに?
日光のお菓子みたいな名前だけど、なんかすごそう?
華厳の「海印三昧」とどちらが強いの?
同じような気がするんですけど? 同じですか?
○弟の世親(ヴァスバンドゥ)ってどんな人?
初め部派仏教の説一切有部を学び、有部一の学者として高名をはせた。ところが、兄の無着から大乗仏教を勧められ、下らない教義を聞いていたと自らの耳をそいで、瑜伽行唯識学派に入ったといわれている。その後、唯識思想を学び体系化することに努めた。 (Wikipedia 世親)
説一切有部の教義を体系化した『倶舎論』、唯識の基本的論書『唯識二十論』、『唯識三十頌』などを著した。 (同上)
学僧ですな~。
兄が著した『摂大乗論』に弟が記した注釈を一部見た(岡野守也「唯識のすすめ―仏教の深層心理学入門」)。新しい価値を付け加えるというよりも、後世に誤解なく伝えるために、丁寧に言葉を補足しているようなおもむき。まるで、大先生の原稿をわかりやすく整える優秀な編集者のよう。
○中��へ伝来したのは?
玄奘三蔵が国禁を犯してインドに留学して教えを受けた(629-645年)。帰朝後、『唯識三十頌』に対する護法の註釈を中心に据えて、他の学者たちの見解の紹介と批判をまじえて『成唯識論(じょうゆいしきろん)』翻訳した。
この書を中心にして、玄奘の弟子の慈恩大師基(もしくは窺基=きき)によって法相宗(ほっそうしゅう)が立てられ、中国において極めて詳細な唯識の研究が始まった。 (以上、Wikipedia 唯識)
西遊記の三蔵法師のモデル。
玄奘三蔵が留学する前の西暦500年ぐらいに、唯識はすでにインドから中国に入っていて、インドと同じように無相唯識と有相唯識の論争があったようだ。玄奘三蔵は有相唯識派から学んでいたため、帰国後、中国では有相唯識派が正統な唯識説とされたという。
○日本へはどう伝来したの?
653年 道昭が入唐留学して玄奘に師事し、帰国後法興寺でこれを広めた。
658年 入唐した智通・智達等も法相宗を広めた。これらは同系統に属し、平城右京に元興寺が創建されると法相宗も移り、元興寺伝、南伝といわれた。
703年 智鳳、智雄らが入唐した。
717年 入唐した義淵の弟子玄昉(げんぼう)も、ともに濮陽の智周に師事して法相を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し、興福寺法相宗の基をきずき、興福寺伝または北伝といわれる。 (以上、Wikipedia 法相宗)
○成立時の華厳との関係は?
華厳経がコータンで編纂されたのは西暦400年前後とされているので、どちらが早いかは不明。ただ、華厳成立以前から流布し、華厳の経典となった『十地経』にある「三界は心のみのものである」という一句は、弟の世親(ヴァスバンドゥ)が唯識の典拠として取り上げている。
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4巻目は唯識。実はこれもよくわからない(笑)。
すべては空であるとして輪廻も否定した中観と比べると、私のような
頭でっかちの理屈人間には後退のようにも思える唯識だが、それは
瑜伽行の実践のバックボーンとしての性格が強く表れているという
ことなのだろう。実際に人間の体や心と対峙して作り上げた唯識を
本当に理解するには、頭でわかろうとするだけでなく、実際に行を
修めなければならない、ということかもしれない。
次の5巻からは中国篇。段々となじみのある仏教に近づいていくの
だろうか。
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読み終えると、何となく唯識がわかった気になるのが、この本のすごいところです(笑)
実際に良書で、佛大のテキストに指定されています。
唯識3年、倶舍8年と言われるように、アビダルマに比べて、とっつき易いのは確かだと思いますが、理屈では理解できないのが、唯識をむずかしくする理由だと思います。
しかしアーラヤ識を、何らかの脳機能の変性と考えず、輪廻思想への迎合と考えるのは私だけだろうか?