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東條英機の妻・かつ子を弁護しようとして、私が鼻白んだ一冊。
「世間の風評のように出しゃばりで勝ち気で傲慢」
なイメージに対して、実際には
「かつ子は元来自分のことより人の事ばかり心配し、人が困っているとすぐに手を差し伸べたり、世話をしたりする」
のであって、戦後長く不当に非難されてきたと訴えている。
かつ子の生涯を取材して、戦後(昭和57年まで存命だった)の暮らしぶりまでを書いた伝記である。
戦後のかつ子に直接会って話をして取材をした者として「書かなくてはならないと使命感にかられ」たというが、読後感としては「東條に肩入れしている」と感じた。
もちろん、世間の非難の強さに対する「反作用」だから主張が強くなるのは致し方ない面もあるし、昭和62年の時点では、そういう強さで押し切らないと出版できなかったのだろう(昭和9年生まれという著者の世代的な事情も含めて)。
なので
「心ある人達は東條英機が命と引き替えに日本国と天皇を救ったことを熟知していた」
という表現になるわけだが、こんなにあからさまに、日本の多くの人々は「心ない人達」であると書かれてしまうと、鼻白んでしまう。
和田芳恵が『ひとつの文壇史』で書いていた東條勝子傲慢エピソード(陸軍大臣夫人のかつ子がいきなり新潮社に電話をかけて北原白秋の『落葉松』の詩を本人に書いてもらって届けるよう依頼してきた)についても、本書で描かれた東條かつ子像と違和感なく並立する。
東條家自体は清貧だというから自分のためではないのだろうが、「これはいいことだから」「日本のため」「陛下のため」と思えばゴリゴリ押し切ってくる姿は本書で描かれた姿そのものだ。
終戦直後に手を回して嫁と孫を避難先まで送り届けるトラックを手配する手腕と、白秋の色紙(?)を必要なところに贈るのは同根だろう。
(まあ、和田が話を盛っているか作っている可能性もあるが)
「東條英機・かつ子夫婦が並外れて潔癖で、お人好しで、世話好きであることを多くの人々は誤解していた」
というのも、本当に誤解かどうかは留保する必要があるだろう。
本書に書かれている内容からすると、自分(たち)の信じる正しさを周囲に押しつけている自覚はあまりないように見える。
婦人会などでも東條かつ子は夫の立場と連動して指導的な立場にあったようだが、当人としては「世話好き」のつもりでも、いってみれば「殿様の奥方」なので、他の女性からは圧力に見えたのかしれない。