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巻頭で、「はじめに一つのお話をしておきたい。たしか小学二年生くらいのの頃のこと、〜」と、語りだされる回想譚が、寓意として印象的。
3篇の長い論考文が採録されていて、それぞれぞれの関連は深い。
採録作は、以下の通り。
「敗戦後論」(雑誌「群像」1995年1月号、初出掲載)
「戦後口論」(雑誌「群像」1996年8月号、初出掲載)
「語り口の問題」(雑誌「中央公論」97年2月号、初出掲載)
なお、2005年にちくま文庫版が刊行されている。
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「一言でいえば、日本の三百万の死者を悼むことを先に置いて、その哀悼をつうじてアジアの二千万の死者の哀悼、死者への謝罪にいたる道は可能か、ということだ。」についての可能性を探る論考であり、かなり難解で私には分からないところが多かったが、今でも時々アジアの諸国から戦後補償の話が出てくるたびに、政府やマスコミの答弁はあやふやな感じがするのは、この著作が示すところにその原因があるのだろうか。
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久しぶりに読み返すと、今日的状況と合間って、加藤氏が指摘する「ねじれ」の意味は深い。当時新たなナショナリズム的な批判をあびていたのは、日本のリベラルの狭量さを示す格好の事例である。
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難解。
ほぼ理解できない。
言葉からして概念がすッと入ってこない単語が多々出てくる。
それでも通勤時間に完読した私は時間の使い方を間違っているかもしれない。
二十年前の著述で私の世代感覚とギャップがあるところからして厳しい。
さてそれでも、太宰治は読んでみたいと思った。
また後日談ではなく、SNSの時代に、答えのない、わからない今をとにかく書くことに意義が加わるあのかもしれないと感じた。
これまでの時代のアーカイブにより消化し切れないほどの小説や音楽があるのにリアルタイムに発信される作品を追っかける。リアルタイムの時代感は何か惹かれるものがあるんだと。
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共同性ではなく公共性を意識すべきではないかという問いかけが斬新であるとともに、いまだ日本では共同性的な思考を乗り越えられていないとわかる。