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これには深く考えさせられた。男女の別によって、子供が交通死した際の逸失利益が違うこととか、知らなかったことが多くあって衝撃でした。そういえば、数年前、美容院でブリーチに失敗し、頭皮に火傷を負い、痕が残った男性が、その際にもらえる慰謝料が女性より低いのは差別だとかいって訴えている事件があった。あれも逸失利益と根本は同じ問題なんだよな〜。とふと考えた。
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ご令嬢をなくされた著者にとって、
交通事故死でも、交通死でもなく、きっと「自動車殺人」という書名にしたかったに違いない。
現在の自動車に関連する死亡事案に対する思いが伝わってくる。
法律、経済に関する事項は、ひしひしと伝わってくる。
1997年の著作で、その4年以上前の事案であるため、15年を超えている。
現状はどうだろうか。
交通死亡事案に対する解決策が示されているだろうか。
法律、経済に関しては、少しづつ改善されているかもしれない。
技術、道路政策に関しては、それよりももっと遅いのではないだろうか。
著者が、経済学者であるため、経済から法律への広がりがあるが、
技術、道路政策への広がりがないため、読者が気がつかない可能性がある。
運転者の責任を問うのであれば、自動車に記録を義務付けることが大切である。
ドライビングレコーダという運転記録は、今では、安価に製造できるし、
カーナビがあれば、その機能を果たすことは容易だ。
タクシーなどは、昔からタコメータという運転記録があったし、
今では画像付のドライビングレコーダが普及している。
それにもかかわらず、一般車両は、タコメータに相当する運転記録が義務付けもない。
運転者の責任を追及していくと、道路設置者の責任が浮かび上がってくるかもしれない。
機械安全では、隔離の原則が重要である。
歩行者が自動車から隔離されるのは、道路設置者の義務であるはずだ。
歩行者道路と、自動車を隔離していないことが死亡の原因である可能性もある。
さらに一歩踏み込んだ議論があるとよい。
2008年の安全工学シンポジウムでは、死亡事案の遺族の方から、
運転記録の義務付けが話され、会場で否定する人は見当たらなかった。
それにもかかわらず、実現への道のりが見えてこないのはなぜだろう。
道路設置者の責任が余り問われないのはなぜだろう。
まだまだ、検討すべき事項があるのだろうか。
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ーー私たちはいつの間にか毎年交通事故で一万人以上の生命が失われるという現実を当たり前と感じるようになっている。しかし機械的な事故処理、「生命の値段」の決めかたに異を唱えるのは非常識なのだろうか。交通事故で最愛の娘を失った著者が、事故当夜から刑事裁判、賠償交渉、民事訴訟に至る「人間としての死」を取り戻すための闘いを綴る。ーー
神戸大学経済学部の教授が、1993年の成人式を間近に控えた娘を赤信号で突進してきた車にはねられ数日後に脳挫傷で殺され、その交通裁判を通した「量刑」という裁判常識との闘いの記録です。
1990年代の交通事故死者数は1万人を超えていたが、最近では3千人台と減っている。とはいえ、1日8人強の日本人が交通事故で死んでいる計算となる。
身近で事故が起こるまでは、他人事でいられるが、当事者ともなればすべてが変わる。作者も、加害者の人権は手厚いが、被害者の人権は「死人に口なし」のごとく軽視されている現実に直面する。
車の運転が当たり前の時代、いつ加害者側に立たされるかもしれないという点では、我々も潜在的に現行の仕組みを客観的だと思い込んでいる節がある。しかし、いざ被害者の立場からみれば疑問だらけ・・
1.裁判で被害者(家族)は完全に疎外されている。公判の日時さえ、自分で調べなければわからない。
2.公開の法廷では述べられなかったことが、公式の裁判記録には記載されている。判決を左右する可能性すらありえる事実を法廷で争わないという異常さ。
3.血の通わない判決文。被害者への配慮、量刑に至った理由や加害者への訓告などが抜け落ちた主文という形式だけのもの。
4.執行猶予に至った理由(期間も含め)の説明が十分でない。
こうした背景には、裁判官、検察官、弁護人三者のもたれあいという極力風波を立てない惰性的関係性にあるのではないか。(P37)
また、自動車保険という制度は、加害者の姿を見せなくし、示談金(慰謝料)でさえ加害者の懐が痛むわけでもないという要素(保険料以外)があり、その示談金でさえ年齢や男女差での相場が決められている「命の値段表」の存在は被害者に勝手に命の値段をつけられている印象が強い。
保険会社、弁護士、裁判所が共同で加害者を庇護しているのが今のシステムであり、結果的に交通事故の犯罪性を隠蔽、もしくは過小評価し、あたかもそれが自然災害のように処理してしまっている。(P209)
結局、前途のある加害者には3年の執行猶予が付き、未来のなくなった娘は(おそらく相場の)1300万円の慰謝料でこの裁判は終結する。
「英語では、法曹界のことをバー(bar)というが、語源は法廷と傍聴席を仕切る横木のこと。それが、交通事故に関しては、法曹界と被害者との間には越えがたい意識の柵(バー)が敢然と存在している」(P213)
被害者が娘と言うこともあり、ここでみられる多くの論考は被害者家族から見た常識的な見解となっており、さらにできるだけ客観的データに基づくよう苦心の跡もみられる良書です。
転ばぬ先の杖、いざというときのためにも事前に読んで知識をつけておきましょう。