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第111回直木賞。
第一次大戦中の徳島県、板東俘虜収容所が舞台。ここの所長・松江豊寿は当時では珍しく、ドイツ人俘虜に友愛をもって接した。
ドイツ人の文化・文明を尊重し、また、技術を吸収した。印刷、木工、写真、縫製などの技術のほか、パン、ハム、ビール、お菓子などの製造方法や、音楽、スポーツなどだ。収容所内で小売店を開くことを許したほか、近所の住民に技術指導したりした。
なぜ松江がこれほどに、武士の情けをもって俘虜に接したか、彼が会津生まれだという背景に基づいて描かれている。
ちなみに、バウムクーヘンでおなじみユーハイムも、俘虜収容所が発端の会社だそうだ。
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坂東俘虜収容所モノの二冊目。「バルトの楽園」ほどはひどくなかったが、これで直木賞なのか〜。史実を大事にする作者の姿勢はある意味好感がもてるが、フィクションでディテールをもう少しふくらませてもよかったのではないか。買って損する本ではないが、薦めるか、と言われるとちょっと微妙。
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小説というより、記録って感じだったなー
表題のは良かったけど、あとの2作はイマイチ頭に入ってこなかった。
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こんなに心暖かくなる歴史小説は読んだことがない。かくなる軍人が存在し、西独においても敬慕の念を抱いて語られたことが誇らしい。
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第1次世界大戦後、日本は中国のドイツ占領地を侵略し、多くのドイツ軍人を俘虜にした。俘虜たちは日本各地に収容された。その中で徳島県の板東収容所は俘虜への寛大な対応をしたことで、現在でも日独友好のシンボルとなり、跡地は「日本ドイツ村」として残されている。
その収容所所長、松江豊寿が主人公。なぜ、彼は俘虜へ人道的に接したのか。著者は松江の所長時代の前後を丹念に調査し、松江が会津人だったことがその理由だと考える。
幕末、会津人は幕軍の代表として維新政府と戦い、朝敵のレッテルを貼られたまま、敗者となった。明治時代になっても生き残った会津人は社会から虐げられる。農民は痩せた土地を押し付けられ、軍人は軍の中で差別を受けた。松江は会津人であるというだけの理不尽な扱いに耐えつつ、軍人としてのキャリアを積み重ねていく。
そこで、出会ったドイツ人の俘虜たち。自分は会津、一方はドイツ。共に祖国のために尽くしたが敗者となってしまったが、それは時の運。戦争に勝つか負けるかは個人の責任ではない。松江は収容所の俘虜を敗者ではなく、1人の不運な人間として扱うことに決めた。
松江は収容所所長を引退後、若松市長になるなど、会津地方のために尽くす。しかし、彼は自分の経歴を語るとき、軍歴を記さなかった。自分は日本軍人ではなく、会津人だったという思いなのだろう。
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鳴門市ドイツ館に今度行こうと思うので読んだ。
松江所長たちと俘虜ドイツ人たちとの交流。
日本人でこんな方がいらっしゃったのだなぁと。
淡々と記録という感じで、もっといろんな会話やエピソードが細かく書かれてたら良かったのに。小説としてはどうだろう??
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再読、★2.5だがおまけで。
表題作ってテレビ番組か何かで同じことやってたこともあるのか、何と言うんでしょうか、超えていく感覚が正直無いです。他の2作も何か濃さが足りないんですよね、、直木賞?という感覚はあります。
しかし表題作の題材は熱いものがあります、結局人間の持つ実直さの熱量は古今東西誰をも動かすということかと。主人公も、捕虜も、お墓を無償で守り続ける人も、皆、その心は同じです。
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松江豊寿のことをさらに知れて良かった。
第九が今も日本で年末に演奏されていることの始まりの出来事。
本を入手するのが困難でした。
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表題作。立場の違いを超えて、思いやったり気遣ったり出来るのは、上に立つ者にあってほしい美徳。
それが大将に無かった2作目は、だから忠臣の哀しさ悔しさが描かれていて、切ない。
一つの史実の陰にいくつの名もなき死があったろう。語り継がれることもない大偉業の虚しさが、3作目だろうか。
あまり読み易いものではなかったのは、自分の知識不足によるものかもしれない。かすかに無念。
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幕末の会津藩士物語3篇でしょうか。
板東俘虜収容所は、地域と一体となって繁栄して、とても楽しそうに思えました。稀なところだということがとても残念ですね。
明治維新の特に会津藩の話は、読んでいてとても辛いです。
時代の流れがものすごく大きくて、それが戦いの渦に流されていってしまったような、悲しい歴史を感じます。
二つ目の話の、”おやす”がとても良かったです。肝の座った、武家の女性の強さを感じました。
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中国関係の本を読み散らかす最中、こちらの本の存在を知った。
青島のドイツ人が云々、日本人との友情がどうのこうの・・という逸話に惹かれて購入後、長らく積読状態であった。読んでみれば青島に居たドイツ人が徳島の捕虜収容所で人間らしく扱われたというお話+二篇の幕末の侍のお話。
他者の感想を見ると会津の人々の三部作と・・。確かに。。ただ後の二作は登場人物の名前がややこしく入り乱れているのであまり記憶に残らず、少々読み進めるのが面倒であった。しかし最初の表題作に関しては、先日の柴五郎氏の自伝からも感じた高潔な会津武士の潔癖さを感じることができた。その主人公である松江豊寿氏が、収容されているドイツ人達を、現代の感覚からしても真っ当な人間として扱ったことが、会津出身者が煮湯を飲まされてきたこと、韓国併合で権力側についたことなどに著者は理由を見出している。
実際のところは当人以外誰にもわからないと思うが、柴五郎氏の自伝を読んでいたので、会津藩で育ったところが大きいようにも思えた。ただ勝手な現代の感覚で判断すると、まさにUniversalな感覚で人々を扱ったというように見える。
ちなみに調べてみると鳴門あたりにその収容所の記念館?博物館?のようなものがあるらしい。機会があったら行ってみたい。
P.10
日本海戦に際し、島村速雄海軍少将は逃走をはかった海防艦アドミラル・ウシャーコフに対してまず万国船舶信号によっって降伏を勧告、同艦が戦闘旗を降ろさないのを見て撃沈させたが、その後すぐ乗組員を救助すべく、磐手、八雲の両艦をその沈没海域に急行させた。
これらの人口に膾炙した逸話は、一等国の仲間入りを悲願としていた当時の日本にあって、軍隊もまた精一杯国際法を遵守していたことを物語る。
青島のドイツ人俘虜たちが、のちのバターン死の行進や泰緬鉄道建設のために強制労働のような悲劇と無縁であったのは、このような時代の雰囲気がまだつづいていたからだ、というのが定説でさる。
P.64
「私には、五人の異常者より百人の酔っぱらいの方がましに思える」
とも松江は述懐した。これはむろん俘虜を規則で縛りつけてノイローゼにするよりも、たまには夜遅くまでのビール・パーティを許した方が収容所を運営しやすい、という意味である。
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「真のサムライ」と称された会津人の松江豊寿にまつわる心温まる歴史小説。
松江氏は、教科書レベルでは歴史の表舞台に登場しない人物かもしれないが、このような清廉で筋が通った歴史上の人物の生きざまを学ぶことは大切だと思う。
GWに徳島鳴門市ドイツ館を訪れるつもり。
ちなみに、このような歴史の中で、ベートーヴェンの第九が日本で歌われるようになったのも、この徳島から。
以下抜粋~
・真崎中佐は、俘虜たちを精神的、肉体的に抑圧すべき対象とみなしていた。一方松江中佐は警備兵たちにいかなる暴行も許さず、俘虜たちに対して人道的に接するよう求めつづけた。
この頃、松江はよく語った。
「かれも祖国のために戦ったのだから」
これはむろん、だから戦いがおわってドイツに帰還できる日まで大切に扱ってやるべきだ、という思いーいってみれば、松江個人の「武士の情」に発したことばであった。
松江はまた、「ドイツ人俘虜たちの中には学者や技術者が少なくないから、その指導を受けたい場合は所管の商工会議所を経て申し出よ」と意見具申していた。
・いわゆる「会津降人」に対する薩長藩閥政府の非情さは、戊辰戦争終結後の明治2年春まで会津側戦死者の遺体収容を許さなかった行為にもよくあらわれていた。そのような話を聞いて育ったからこそ、かれは青島からの「ドイツ降人」に対してあえて武士の情を示しつづけたのではなかったか。
・依然として会津差別のつづいていた明治時代にあって、旧藩以来の武勇の伝統を持つ会津人がつける職は、軍人か巡査しかないといわれていた。しかも陸軍幼年学校や士官学校なら授業料は不要だから、貧しい会津の子弟はこぞって軍人をめざしたのである。