紙の本
若い読者のための短篇小説案内
2002/03/06 20:39
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投稿者:ポンタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上春樹さんらしい、文章読本といったところ。でも、いつもこの人の本を読むたびに思うのだが、やっぱりこの本も毒にも薬にもならなかった。多少はみるべきところはあったけど。
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他人の作品の分析を通して村上春樹自身の創作姿勢がうかがわれて興味深い。庄野潤三に対する違和感には全面的に同意。
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おそらく読まないままに終わってしまうと思っていた作品だったが、ちゃんと読んだ。きちんと読んだ。
紹介されたテキストへの興味とともに、僕自身の根っこがこの辺にあるということと、村上春樹という作家の小説に対する姿勢の秘話を学んだ。
「小説家の言う事は多かれ少なかれすべてウソ」という発言には驚いたが。彼もウソをついているんだな。
「作家の経営方針」(cf.p95)という言葉がある.自分がどういう作風でやっていくか、ということの見極めがプロとしてやって行くのに必要であるということを述べている。なるほどなあと思う。
作家の「狂気あるいは精神のマグマ」についての記述を読んだとき、それは僕にもある訳だし、小説家としてやっていく素地はあるように思った。
「貴種流離譚」(cf.p180)にはうなずいてしまった。そもそも自分はもっと別な両親から生まれ育ったのではないのだろうか?と思うことを言う。
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第25回:江國香織『流しのしたの骨』…だけじゃなくなりました。より。
http://ameblo.jp/pippu-t-takenoki/entry-10003285808.html
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さっさと村上春樹の小説を読めばいいものを、旅行記とか、こういう本を先に手にしてしまう。。
なんだ、この往生際の悪さは(笑)。
で、この本。
村上がアメリカの大学で日本文学を取り上げた授業を元に構成されている(だったはず)。
取り上げてる作家をよく知らなかったこともあるけれども、ところどころ村上が何を言わんとするのか、読み取れなくて、従って面白さもあまり感じられなかった。
村上に対してより、自分に対してマイナスランクつけ。って感じがする。
ここで取り上げてる作家の作品を読んでからもう一度読んでみたいなぁ。
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村上春樹氏が、日本文学を文学的に分析・解析・解釈するのは、とても珍しいこと。
大学の講堂で日本文学の授業を受けている生徒のような気持ちになった。
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村上春樹が他者の短編小説を批評解説するという斬新な本です。コレを読むと村上春樹の小説に対する底のない奥行を垣間見れる。
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どれも読んだことのない本で、それを書いた作家の名前も全く知らなかった。作品のみの紹介だけでなく、作家自身のことも絡めた紹介の仕方であり、「読みたいなあ」思わせる小説案内だった。
私の通ってる学校には、紹介されていた作品が一つとしてなかったのが残念。
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中で紹介されてるのが読んだことの無い作家・作品だからか、はたまた興味がない分野の作品だったからか、読みたいという気持ちが湧かなかった。残念。
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村上春樹という作家が読み解く「第3の新人」と呼ばれる世代の作品解説。いつもながらの丁寧で親切な解説ぶりで大変興味深かったし、こんな親切な一面を持ちながら一方で「ナンダカヨクワカラナイ」的な印象を毎回残す村上春樹の短編小説をこの例に従って読み解いてみたいと思った。紹介された作品はあくまでも読み解きのサンプルで、これらに対しての読書意欲を持たせることが第一目的ではないと思う。(もちろんそうなればなおうれしいとあるけど)。
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村上春樹の小説の独特な感じの正体がわかった。まえがきか何かに書いてあったけど、それを読めただけでも価値があった。
なんかすっきりしたな。
勿論、短編小説の案内もすんなりここが面白いですよって薦めるのでなくて、キチンと考察しつつまとめている。
あんまり文学的に考えながら小説を読むことってないから、現代文の授業を思い出させる内容だった。
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村上春樹が戦後日本文学の中のいくつかの短編を書評した
アメリカのどこかの大学で講義した内容が基になっている
今まで幾つか文学を読んできたが素晴らしさというのがイマイチ分からなかった。文学の読み方、楽しみ方、解析の仕方を村上春樹が解説してくれる。仮説を立てながら読み、作者の意図するところを解く。そんな読書をしようなんて思ったことも無かった。
自己(セルフ)は外界と自我(エゴ)に挟み込まれて、その両方からの力を常に等圧的に受けている。それが等圧であることによって、ぼくらはある意味では正気を保っている。
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ムラカミさんが海外の大学で授業を持ったときに、日本の小説を紹介したときのをまとめたものです(全部じゃないらしい)。
その辺の本屋さん行くと買えないものがいっぱい紹介してあるので、図書館を利用したほうがよさそうです。ほぼ戦後すぐの短編小説です。
最初のあたりは話を要約してくれるんだけど、後半は読まないと何言ってるのかわからなくなり、ただのネタバレになるかもしれない…。
録音したのを文にしたらしいので、エッセイみたいな文体です。
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一流の作家は、批評をやらせても一流なんだな、というのが読後の第一の感想です。
本書(1997年刊)は、村上春樹が吉行淳之介や安岡章太郎ら主に「第三の新人」と呼ばれる作家群の短編小説を6編取り上げ、ガイドする趣向(「評論」ではないと、本人は断っています)。
私は、春樹本は恐らく半分くらいしか読んでいませんが、自分のような半端な春樹ファンには「え? 春樹って日本の小説も読むの?」と驚かれる方もいるかもしれません。
読むんですね。
ただし、自然主義的な小説や私小説は苦手のようで、本書では「太宰治も駄目、三島由紀夫も駄目でした」と告白しています。
言われなくても分かります笑。
第三の新人は、確かに春樹好みかもしれません(あ、私は小島信夫と吉行淳之介くらいしか読んでません、すみません)。
悪く言えば小さくまとまっていますが、身の回りの日常に視点を定めた作風は、政治や社会をテーマにした、いわば「大きな物語」を忌避してきた春樹を惹きつけるものがあるのでしょう。
本書で取り上げているのは、いずれも春樹が好きだという以下の作品。
・吉行淳之介「水の畔り」
・小島信夫「馬」
・安岡章太郎「ガラスの靴」
・庄野潤三「静物」
・丸谷才一「樹影譚」
・長谷川四郎「阿久正の話」
それにしても、散々批評され尽くしてきたであろう第三の新人のこれらの作品ですが、春樹がやると、やっぱり春樹ならでは、というか、恐らく本書のように論じた例はこれまでなかったでしょう。
吉行淳之介は「短編の名手」と言われますが、春樹は「むしろこの人の文章は下手なんじゃないか」と断言したうえで、「彼の書く文章は、文章的には意外なくらいごつごつしているんです。この人は決してみんなが考えているような繊細な文章的スタイリストではないだろうと僕は思うんです。逆に吉行さんの小説の面白さは、本当はそういうごつごつした不器用な、非スタイリスト的な部分にあるのではあるまいかと。」と述べます。
こんなこと、春樹を含め何人かくらいしか言えないわなぁ。
小島信夫の「馬」は私も大好きな作品ですが、主人公の妻・トキ子の言動について春樹は、次のように分析しています。
「homeという中身よりはむしろhouseという入れ物そのものの概念の中に、人間関係のより大きな、より深い可能性を見ているようでもあります。homeという想念(アイデア)はここではほとんどまったく取り上げられていない。まるでそんなものは必要ないみたいに見えます。それが僕にはすごく面白く感じられるのです。」
読みが本当に深い…。
各作品を丁寧にガイドしながら、随所の春樹の「作家論」「創作論」とも呼べるものが顔を出すのも興味深い。
うまくデビューして、さあ、これからプロになろうという時に、考えなければいけないことは何か。
「あまり良い表現ではないけれど、作家としての『経営方針』の決定を迫られるわけです。『この部分はもっと拡大して伸ばしていける』『これは一回ならいいけれど、いつもやるのはちょっときつい』というようなことを識別して行かなくてはならない。これはおそらくたいていの作家が、意識��にせよ無意識的にせよ、やっていることだろうと思います。逆に言えば、これがうまくできなければプロにはなれないんじゃないかと。」
そういう立場にある人には、とても参考になるのじゃないかしらん。
もっとも、その100ページほど後で、全く異なる文脈ですが、「僕自身は、作家の発言というものは多かれ少なかれみんな嘘だと思っています」と述べています笑。
海外文学に傾倒してきた春樹が、日本文学(のほんの一部ですが)とどう向き合っているのかを知る上でも好著。
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アメリカの大学の講義を元にしたもの。取り上げている作品もすくないが、ここで見るべきは作者の考え方だと思う。全部は読まなかった。