紙の本
ウソだらけの白村江
2008/05/26 17:31
14人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
白村江の戦いというのは、要するに高句麗・新羅・百済の三国と唐そして日本の5国のパワーゲームの沸点であった。そして、日本は別に勝ち目のない戦いを挑んだのでもないし、もちろん侵略をしたのでもない。もっといえば、太平洋戦争(対米戦)のような戦略欠乏戦争でもなかった。
総論的にいえばこれがその正体であるが、本書の要諦は小説チックにこの戦いを描いていることである。確かに、パワーゲームには権謀術数がつきものであり、豪族の集合である当時の朝廷と中央集権国家の戦いというのは興味深いものであった。特に興味深いのが、そもそも蝦夷征伐時の水軍力増強が朝鮮半島での戦いを見越してのものであったという点である。この点を見ても、戦略という意味では、かなり壮大で入念だったことが分かる。
では、なぜ朝廷は百済を助けるために朝鮮へ打って出なければならないのか。これはこの1300年後も状況は全く変わっていないのだが、もちろん日本本土防衛のために決まっている。当時の中国の船では、荒れ狂う東シナ海を飛び越えて日本へ侵略することは不可能である。なにしろ、始皇帝時代の言葉を借りれば日本は蓬莱の地だったのだ。つまり、不老不死の薬を探しに東シナ海へ出た者が行方不明になり、その後辿り着いたのが日本だったという伝説が日本各地に今も残っている。それくらい遠くかなたの日本へ、戦闘集団が長駆して攻撃することはまず不可能だし、そもそも補給線が続かない。
これは動かしがたい事実である。にもかかわらず、NHKの馬鹿どもは、NHKスペシャルで、「大和朝廷は太平洋戦争と同じく、戦略も何もない無謀な戦争に突入し、哀れにも敗れ去った」などという趣旨のクズ番組を垂れ流し喜んでいた。だから戦争は止めましょう的ないつもの流れであるが、この番組のスタッフは特に悪質で、日本の船はまるでカチカチ山の狸の泥船で、対する唐の船は巨大なまるで鉄鋼船というCGを作って終始放送していた。しかし、もちろん嘘で、実際は船に大差はないし、実際、日本の戦力の方が上だったのである。
要するに、中国が日本を侵略するには、朝鮮半島を経由するしかない。だから、日本としては「主権線」として、朝鮮が全部唐の影響下に置かれては困るわけで、だからこそ白村江の戦いが起きたわけである。
とりあえず、こうした背景をしらないと、また「日本が悪い事をした」という主観から本を見ることになり、つまらないものとなってしまう。実際には、大和朝廷の堂々たる戦略的戦争であり、侵略などといわれる筋合いはみじんもない。
実際、その後、日本は百済への義理から難民を多く受け入れ、移民たちは日本で活躍している。が、ここでも嘘がまかりとおっている。朝鮮人からすると、「百済人が日本を創った」だから日本は朝鮮の属国だなどという思い上がりにつながる。NHKなどは朝鮮大好きなので、こういう情報を日本国民が多くシャワーのように浴びる運命にある。しかし、移民は朝鮮人だけでないし、彼らの影響が日本を完成させたなどという証拠はどこにもない。どこにもないのだ。彼らは、律令国家体制の完成に貢献したにすぎない。むしろ文化的貢献の方が大きかったようだ。だからといって、もちろん日本文化は朝鮮の亜流だなどというデマは右から左へ受け流すほかない。付言すれば、日本文化は多くの文明を懐深く受け入れ(水墨画しかり)独自のものを醸成して完成した文化であり、朝鮮文化は数ある中の一つにすぎない。それも中国よりはるかに量的に過小であることは自明だ。
教科書では白村江などはなぜか1Pくらい割かれているのだが、本書におけるような深いものを知ることはできない。そして、われわれ一般人も多くのウソおよびうがった評価を突き付けられているから、実際は多くをしらない。白村江を知ることは、そのまま日本の教育および朝日新聞などの腐り切り抜いた偏向史観の問題をも浮かび上がらせる。まずは本書の一読をお勧めしたい。
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授業で読んで、すっごいおもしろくて買っちゃった笑
高校で習ったのとはかなりイメージが覆される、ほんとにおもしろかった
読みやすいからすっごいおすすめ ちなみに著者の方が授業してくださいました
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昔むかし、今なんかよりもずーっとマトモに、東アジア外交が機能してた頃のお話し。
第一王子と偽って、ボンクラちゃんを人質に日本に助けを求める百済とか、良い駆け引きしてまんなぁ。
黒歯常之将軍の、グローバルな生き様にも感服。
著者である遠山先生の、中性的にして情熱溢れるストーリーテリングも、個人的に結構ツボです。
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[ 内容 ]
二日間の戦闘を読み解く。
海水みな赤し―唐・新羅連合軍の前に倭国の百済救援作戦は打ち砕かれた。
日本の国家形成途上に起こった壮大なパワーゲームを検証し、古代史の通説を覆す力作。
[ 目次 ]
プロローグ 捕虜たちの生還
第1部 白村江への道
第2部 検証・白村江の戦い
エピローグ 敗戦史観を見直す
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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「白村江」~私は「はくすきのえ」と記憶している。しかし最近はそのまま音読みして「はくそんこう」と読んだりするようだ。だから「百済」も「くだら」を「ひゃくさい」とやるらしい(ちなみに朝鮮語読みでは「ペクチェ」)。なんか調子が狂う。
「白村江の戦い」といえば、百済復興のために差し向けた倭国の水軍が、唐・新羅連合軍に大敗を喫したという7世紀に起こった大戦争という認識である。韓国ドラマを引き合いに出して恐縮だが、時はちょうどドラマ「善徳女王」に出てくる金春秋(キム・チュンチュ)(後の武列王)や金庾信(キム・ユシン)将軍らが大活躍したあたりの時代である。
次にこれもドラマ連載中の「階伯(ケベク)」に出てくる百済の階伯将軍らが唐・新羅連合軍に敗れ、百済は滅亡する。そこで百済救済のために倭国が大軍を派遣するも、白村江で連合軍に大敗する。このとき圧倒的物量の差で負けたと言われているが、実は当時倭国は連合軍をしのぐほどの大軍を派遣していたというのだ。
敗因は幹部である百済の旧王族の間に内部不和が生じ方針が定まらなかったこと、結果全軍の意思統一ができていなかったことなどによるものだという。歴史にイフは禁物だそうだが、もしこのとき百済・倭国連合が勝っていたら、半島に百済が復活し倭国が半島に権益を確保して、今の我が国の地図は違う形になっていたのかもしれない。
また、百済に向け熟田津を出発する兵士を鼓舞するために額田王が、
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかないぬ 今は漕ぎ出でな」
と歌ったと万葉集(巻第一)はいっているが、著者は斉明天皇の作歌とするのが妥当だとういう。斉明女帝はこの戦争のために移動していた時だから、それも一理あると思った。なぜ額田王か、この戦争の全権の象徴である斉明天皇の方がふさわしいと私も思うようになった。
このように、今まで一般常識のように思われていたことも、よく見れば歴史的事実は異なるかもしれないと気付かされる。
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白村江の戦いの時代的前後を,ところどころ小説調で書いてある。
目新しい発見はなかったけど,あの時代の人間関係に詳しくなった。
好きなのに,奈良時代の動きを捉えるのは難しい。
名前が訓読みで,覚えにくいからだろうなあ。
ちなみに日本で名前が音読みになるのは,道真の祖父君,清公が渡唐から帰ってきた際に進言したのが元々。
女帝は中継ぎというのが定説だけれど,それにしても斉明天皇の行動力は凄まじいものがある。
そういえば,観世音寺は斉明帝の菩提寺だったな。
歴史はこうやって所々繋がっているのが,面白い。
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白村江の戦い、日本史でその名を記憶している人も多いだろう。私の時代は「はくすきのえ」で習ったが、本書は音読の「はくそんこう」で統一している。戦いに関する直接的な記述は多くなく、日本(当時の「倭国)、朝鮮半島(高句麗、百済、新羅の三つ巴)、大陸(隋から唐へ)の三つの歴史を振り返りながら、日本が朝鮮半島の百済を救出に赴いた白村江の戦いに至る経緯を追いかける。いずれの国においても日本史・世界史に出てくる著名な人物のみならず、現存する文献に残っている細部の人物まで登場していて、当時の混沌とした世界観が目の前に広がる様に生き生きと描かれている。
日本といえば、大化の改新(645年)前後は蘇我氏が実権を握り、かの有名な中大兄皇子が登場するあたり。朝鮮半島は北の中国の一部までを支配する強大な高句麗と、東南に位置して後に半島統一を成し遂げる新羅、そして日本にも大量に文人や技術を伝播させてくれた西南の百済の三国が日々激しい領土の奪い合いを繰り広げる。時には大陸の唐と手を結び、時には争い合うなど近年の歴史の中でも目まぐるしく謀略やクーデター、団結などが詰め込まれた一大スペクタクルの時代だ。当時の時代感からすれば、相手国に敬意を示すために王族や権力を持つ重臣クラスの子息を相手方に送るのは常識であり、日本へも百済の王子の1人が数十年にわたり送られてくる。百済滅亡の危機に際しては、その王子が再び半島へ渡り、倭国の支援を引き出して新羅・唐の連合軍と戦う。
現代社会では日本と韓国の仲の悪さだけがフォーカスされて如何にも戦い続ける宿命の様であったかの様に感じられるが、遥か古代より大陸中国や半島とは交易を重ね互いに手を取り合って発展してきた歴史がある。同じ東アジアに暮らす民族にとって重要なパートナーであり続けた。それも日本が朝鮮へ侵攻し、中国を敵に回す近代までは。
本書で扱う時代からは隋を滅ぼして唐を建国した李世民(太宗)がのちに続く貞観の治世を築いたことで、ビジネスマンがよく読む貞観政要で有名だ。この唐は時代において最も律令や軍隊、技術的に最も進んだ存在であったことは間違いない。日本が参考にした統治制度や武器、宗教なども朝鮮半島の百済を経由して入ってきており、白村江で唐を敵に回すというのがどれ程強大な敵に挑んだ行動であったかが窺い知れる。国内を平定し次期天皇を目指した中大兄皇子の足場固めとしては非常に重要な戦いであったに違いない。
とは言え、百済内でも王が守備していた城を出てしまうなど戦局も不利にあった日本が勝てる見込みは小さく、船団数では唐を凌いだと言われる大船団も火攻めに遭って敢えなく破れ去る。然し乍ら当の捕虜とされた日本人の多くはその後の唐に学び、日本の国力自体を強化する事に寄与していく。考えてみれば、外国との戦いは互いの文化や技術を高め合うための絶好の機会と言えなくない。ペリーが来校し国力強化に目覚めた日本が、海外から積極的に技術を取り入れて世界の列強に名を連ねていく流れも、海外からの刺激によっている。そう考えるとその後も元寇や秀吉の時代の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)、前述のペリー来航による日米間で締結された通商条約(実質的な不利条約)など外国と��戦闘を交えた関係性は日本の発展には不可欠であった。
本書は日本初の大規模な海外遠征である白村江の戦いに至る各国の実情を踏まえながら、如何に他国と交わり共に成長してきたかの記録である。それぞれの歴史が糸を織りなす様に結ばれていく様は大変面白い。常時ワクワクしながら頁をめくれる一冊だ。