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見る脳・描く脳 絵画のニューロサイエンス みんなのレビュー
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紙の本
ホモ・ピクトル
2001/02/27 22:09
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ホモ・ロケンス(喋る人)ならぬホモ・ピクトル(描くヒト)をめぐって、著者はまず、なぜヒトだけが自発的に描くようになったのかと問いをたてる。「これは、ヒトのみが喋ることができる、ということと同じほど不思議であり、かつ重大な意味をもつ問題である」。
《西洋絵画における絵画を作成するアルゴリズムにあたる描画法は、心象絵画の描画法から始まり、ついで網膜絵画から脳の絵画へと進化してきた。脳の絵画の最初の段階は、視覚認知にかかわるモジュール性を意識した絵画であったが、やがてそこから視覚的記憶や文脈的再構築のプロセスにかかわる描画法が生まれ、そして視覚情報以外の感覚情報を取り込んだ描画法へと発展してくる。このような歴史的展開を見ると、網膜絵画以後の描画法の進化が、網膜に始まる視覚情報の流れをほぼ忠実に追う形で発展してきたことに驚かされる。網膜にはじまり、視覚関連皮質によってモジュール別に処理された視覚情報は、視覚的な記憶に関連する側頭葉内側部皮質に送られ、また前頭連合野の働きによって文脈的に処理される。そしてまた、これには体性感覚野から由来する触角や運動覚の情報が加わってくることによって、ヒトは外界を認識していくわけであるが、描画法の進化がこの外界の認識にかかわる神経回路の道筋と平行しているのは、たんなる偶然というだけでは片づけられないように思われる。絵画表現の方法を追求する直感が、画家たちをしてこのような道筋を辿らせたのは、視覚を通じて外界を認識するというプロセスを考えていく上での当然の結果だったのであろうか?》
《描画法の歴史的展開をたどると、新しい描画法を築き、これを実践していった画家たちは、その後長い年月を経て、神経科学の研究者たちがやっと探し当てることになる視覚生理学の原理を直観的に予感し、その原理をキャンパス上にはっきりと示していたことに驚かされる。網膜における光受容性の特徴を、あれほどまでに的確に再現したレンブラントの時代は、デカルトの時代と重なっている。デカルトにとって、見るということは、眼球を通った光が松果体に達することであり、網膜の光感受特性に思いを馳せることは想像だにできなかった。これと同様に、一九世紀から今世紀初頭にかけ、多くの独創的な画家たちが脳の絵画を形造っていたころ、脳における視覚情報処理過程がモジュール構造を有するということは、科学者たちには夢想だにできるものではなかった。まして、視覚的記憶の文脈構造や、視覚と体性感覚の結合などという問題に、神経科学の研究者たちが本格的に乗出してきたのはたかだか、ここ一〇年ほどのことである。このような事実を目の前にすると、見ること、描くことというヒトのもっともヒトらしい特性を追い求めるにおいて、画家たちはつねに神経科学者たちに先んじていたことを実感する。》
この文章を読んで鼻白んだり寂しがったり、はては怒り出す人がまだまだ多いかもしれない。かけがえのない(と思っている)事柄の実質を自然科学の言葉で言い当てられた時によくある痙攣的反応。文学や芸術や人間精神を「私物化」するこうした輩というより心性を根絶し蒙昧を払うためにも、本書に続く業績の多からんことを願う。
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