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紙の本
恩田自ら「手持ちのカードを使いまくる総力戦になってしまった」という内容の濃いSF。私は半村良の『岬一郎の抵抗』を連想しました。勿論、傑作です。ケチなこと言わないで、いつも総力戦で行きましょ・・・
2011/12/06 20:01
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
海外の、というかアメリカの、といったほうがいいのでしょうが、娯楽映画を見ていて、この国の人は本当に超能力ものが好きなんだな、って思います。正直、可愛らしいを通り越して薄気味悪い。国民の多くがUFOやESPを、イエスの復活どころか死者の蘇りまで信じているとしたら、そういう人が周囲に溢れているとしたら、それって怖いです。
じゃあ、日本ではどうか、っていうと超能力はあまり騒がれません。あくまで私の中で、と断っておきますが、それって70~80年代で終わっているんじゃないでしょうか。作家で言うと平井和正の創作が一段落したあたりのことです。無論、ゼロになったわけではありません。でも、大きなムーブメントは無い。健全というか信仰心が薄いというか、むしろホラーのほうにシフトしているような気がします。
はでな超能力戦闘ものが減ったかわりに、大人にも受けいれられる、日本らしい、しっとりとした話が書き続けられている、っていうとちょっと褒めすぎかもしれませんが、でも恩田陸の常野シリーズは、その代表選手みたいなものでしょう。私は既に『蒲公英草紙』『エンド・ゲーム』という、『光の帝国』の続編のほうを読んでいますが、日本に相応しい、いい話だなと思ったしだいです。
その時から、いつか、このシリーズの始まりとなった『光の帝国』を読もうと思っていて、漸く念願かなったわけですが、ともかく、素敵な小説であることは確かで、楽しさでは『ドミノ』を今でも一押しにしている私ですが、味わいではこの作品がベストかもしれないと思いました。私が読んだのは文庫ですが、そこには
この作品は1997年10月、集英社より刊行されました。
とあります。これでは、不親切。やはり初出も書いておくべきでしょう。
初出『小説すばる』1994年12月号~1997年5月号(全11回連載)。
カバー後の内容案内は
膨大な書物を暗記するちから、
遠くの出来事を知るちから、
近い将来を見通すちから――
「常野」から来たといわれる
彼らには、みなそれぞれ不思
議な能力があった。穏やかで
知的で、権力への思向を持た
ず、ふつうの人々の中に埋も
れてひっそりと暮らす人々。
彼らは何のために存在し、ど
こへ帰っていこうとしている
のか? 不思議な優しさと淡
い哀しみに満ちた、常野一族
をめぐる連作短編集。
です。目次紹介を兼ねて、以下、各話の初出と内容を簡単に書きます。
大きな引き出し(『小説すばる』1994年12月号):小学校四年生の光紀は、同級生が百人一首全部暗記しているのをみんなが騒いでいるのをみて、自分ならもっと多くのことを覚えているのに、といいたくて仕方がない・・・
二つの茶碗(『小説すばる』1995年3月号):三宅篤が取引先の部長に誘われて飲みに連れて行かれたのは、敷居の高そうな店。部長に言われて、店の入口で出てきた娘に、お水を一杯いただけませんか、と言うと・・・
達磨山への道(『小説すばる』1995年6月号):昔、父親と来たことがあるという達磨山に、康彦は克也と一緒にやってきた。康彦がふと思うのは、大学時代の後輩の藍子のこと。結婚はしないと断って付き合っていた彼女が彼のもとを去って・・・
オセロ・ゲーム(『小説すばる』1995年7月号):娘の時子と二人暮しの拝島映子は、バリバリのキャリア・ウーマン。彼女の的確な指示と行動は周囲の誰もが認め、部長に推す声もあるものの、彼女はそれを辞退して・・・
手紙(『小説すばる』1995年9月号):寺崎恭治郎の手紙に書かれているのは「鶴先生」のことを調べるうちに、その虜になってしまった彼の思いだった。百年近く前の記事にも、そして今の話にも老いることなく変わらぬ姿で登場する教育者・鶴先生・・・
光の帝国(『小説すばる』1995年12月号):ツル先生たちがひっそりと暮らす山中には、それでも人々が集まってくるようになる。『遠目』と呼ばれる予知能力を持つ一家のあやに好かれたコマチ先生もそうした一人だ。そしてある日、あやが「黒いのが来る。黒い」と言いだし・・・
歴史の時間(『小説すばる』1996年7月号):「あたしたちのことを思い出してくれた?」亜希子の頭の中に誰かが話しかけてきた気がして振り向くと、クラス仲間が不思議そうな顔をする。前を向くと春田記実子亜希子の机に肘をついていた・・・
草取り(『小説すばる』1997年5月臨時増刊号):今日は、彼が『草取り』をするところを見せてもらうことになっている。人好きのする、40から50の間のように思える男が取り出したのは、双眼鏡。勧められて覗いてみると、今まで見えなかったビルの壁に・・・
黒い塔(『小説すばる』1997年1月号・2月号):恋人と上手くいかなくなったこともあって、今週、秋田に帰ることにした亜希子。彼女が帰郷の長距離バスに乗ろうとすると、見たことのある女性が「あのバスに乗っちゃ駄目」と言いだして・・・
国道を降りて…(『小説すばる』1997年5月号):律の弾くチェロは一見自己主張がない。テクニックを見せるわけでもない。だから留学先でウクライナから来た、それこそ天才的なテクニックと表現力をもった生徒から目の敵にされる。そんな彼と組む美咲が向かうのは・・・
あとがき
解説――久美沙織
久美沙織の解説は丁寧で、読んでいろいろためになりました。でも、私が気になったのは、その前にある恩田のあとがきの一文
子供の頃に読んだお気に入りのSFに、ゼナ・ヘンダースンの「ピープル」シリーズというのがあった。宇宙旅行中に地球に漂着し、高度な知性と能力を隠してひっそりと田舎に暮らす人々を、そこに赴任してきた女性教師の目から描くという短編連作で、穏やかな品のいいタッチが印象に残っていた。
ああいう話を書こうと気軽な気持ちでこのシリーズを始めたのだが、その都度違うキャラクターでという浅墓な思いつきを実行したために、手持ちのカードを使いまくる総力戦になってしまった。今にしてみれば「大きな引き出し」の春田一家の連作にしてもよかったなあ、と少々後悔している。
です。まず、ゼナ・ヘンダースンの「ピープル」を読みたいな、思いました。それと、「手持ちのカードを使いまくる総力戦になってしまった」という言葉。だから、この話はここまでいいものになったのではないでしょうか。ネタを出し惜しみして、色々な作品にするのが一時代前の日本の小説。五つくらいの長篇ネタを一篇に押し込むのが海外の作品。作家の思いはともかく、読者とすればネタが詰め込まれたもののほうがありがたい気がします。
最後は、カバーデザイン。これは文庫というハンディもあって、平均的なもの。関係者は、下記の通り。
写真/TAKESHI ODAWARA/amanaimages
カバーデザイン/木村典子(Balcony)