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井上ひさしは、2010年に亡くなられた。そして、2011年に福島に地震と津波が来て原発がメルトダウンした。それから9年たつ。井上ひさしが、生きていたら、どうやっていまの日本を見るのかということは、楽しみである。井上ひさしは、沢山の本を書いているが、私は「農業講座」を取り上げたい。
プロローグで「なぜ農業にこだわるのか?」ということで、立脚点は「日本の農業を守る」ことにある。日本の食料は「隣人頼みの食糧政策」であると指摘する。
「日本の年間の穀物輸入量は約300万トンです。世界の穀物の全貿易量が約2億トンですから、1.5%に当たります。世界の人口を50億とすると、50分の1の人口の国なので、実際は2%くらいが数字としては合いそうなのですが、そういう日本が全貿易量の15%を買い込んでいる。」(1994年のデータ)
2000年の歴史を持つ水田。文化と伝統をはぐくみ、国の基礎をつくってきた。そこで、井上ひさしは、水の大切さをいう。自分の田に水を引くことを「我田引水」といいます。「仲間内で水くさい」ともいう。「水に流せ」「水に合わない」「水に染まる」「水をさす」「水入らず」「水をあける」「寝耳に水」「焼け石に水」「水掛け論」「末期の水」「死に水」・・・。こういう言葉の豊富さと羅列は、井上ひさしの得意な手法でもある。そして言う。われわれは、こういう「水の世界」で、生きているわけです。水は、文化そのものです。という。水を守って来たのが日本人の農業の一番大切なところです。(実際は、土も大切ですが。)
これは海水に含まれている塩分と人間の血液に含まれている塩分のパーセンテージがほとんど同じだというもの。人間はかって水生であった。人間は生まれてくる前、母親の胎内で、羊水にしたっている。体内で人類の歴史をはじめから、繰り返して生まれてきます。そもそも、水生の時代の塩分が、
身体にそのまま残っている。人間というものは、自然と一体の存在であるというわけです。
農業のイメージは、自給です。家族に食べさせたいものをつくって食べる。そしてたまたま余分にとれたものを市場に持っていく。旬なものを上手に食べ、無駄を出さないことがかえって安上がりになる。恵みを食べる。その中で生活を見直し、省エネルギーの生活を営む。エコダイエット(人と地球に優しい食生活)が必要という。米は1人の農民が1生の間に、40回から50回くらいしかつくることができない。これが農業の本質だという。
農村の地理的条件、道路、家、またその村の中、あるいは家および蔵の中にある器材、器物、さらには遺伝子情報も含めると、まさに、おびただしい数の情報が自分たちの周りをとりまいている。
地域文化の振興とは、人間らしい感情を育て感性を豊かに開花させる装置と制度つくり、主体が育つ条件を整備し、そのような営みを支援することによって、人間らしい、つまり文化的な地域社会をつくり出す営為が地域文化の振興という。
井上ひさしは、その地域に根ざして、その地域の豊かさを作ることを提案している。
農業の基本は、水だといい、生命と生活と文化の基本も水だという。最近の洪水は、水を大切にしていないことへの反乱かもしれない。
狂牛病の想像力におい��は、「狂ったのは牛ではない。本来、草食動物である牛に、よりやすく、より早く、より大きく生産するために、肉を食べさせ始めた人間こそ狂っている」という。12万頭の牛が出す糞尿による環境汚染の窒素負荷量は、人間に換算すると1200万人分ですと、地球環境の負荷についても考察する。
井上ひさしの独特の視点が、稲作に限られているのが残念であるが、農業の本質を言い当てている。